未練

文字数 812文字

「石を持ち帰らないでください」

 そういう張り紙のある場所は多い。
 そして、石をポケットに入れたくなる人、あるいは瞬間も多いものだ。

 例えば神社や寺には、綺麗な玉砂利を引いていることがある。境内周辺や庭、参道に敷き詰められた、白くて丸い石を、きゅっ、きゅっと踏みしめた経験がある人は多いだろう。

 そして、なぜか、そういう石を持ち帰りたくなる人がいる。
 友人のMさんがそういう人で、この間もつい無性に拾いたくなってしまったらしい。

 神社、というよりは小さな鳥居がある祠。その祭壇の上に、ぽん、ぽん、といくつかの白い石が乗っかっていた。それを見て、「持って帰りたくなっちゃった」という。

「いやあ、なんか子どものいたずらかな、くらいに思ったんだよ。」

 確かに、石を供える意味があるとは普通考えにくい。宝石ならともかく、ただのといえばただの、石である。
 私も見せてもらったが、うずらの卵くらいの大きさで、形もちょうど卵のよう。
すべすべした表面は、特に印や文言が彫ってあるわけでもない。
「綺麗だろ?だから、なんだか欲しくなっちゃって。」
おもむろにポケットに入れた、そうだ。

ところが、それを結局Mさんは返しにいった。

「泣くんだよ、毎晩。石がじゃない、女が。」

毎晩、毎晩、夢ですすり泣きが聞こえる。
お尻をぺたんと地につけた正座で、両手で目から溢れる涙を拭いぬぐい、さめざめと泣く女。
祠から物を持ち出したことを祟って恨む、怒る、そういう怖い目にあった話はある。

そこを、うら若い女性がしくしくと泣くのだ。
「石を取られてよっぽど悲しかったのかなあ。可哀想になってきちゃって。」
たまりかねて、友人は祠に再び石を置いた。

−綺麗だったから、返したくなかったけど。
そう付け加える友人の顔は、どこか痛々しいほどに切なかった。

−ああ、この人は。

返したくなかったのは、石ではないのだ。
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