第１話

　……あと一週間。

　優華は体重計の表示を微動だにせず見つめていた。

　……痩せてから告白しようと思っていたのに。

　食べてはだめだと考えると、もう四六時中食べ物のことばかり考えてしまい、かえって食欲が増し、6キロも太ってしまった。

　
　優華の想う相手は同じ高校の三年生の田崎俊哉。背が高くスポーツ万能、成績も良くて塩顔で笑顔の優しい……とにかくイケメンだった。

　だが、おそらく田崎はこの世に優華が存在していることさえも知らない。
　優華は二年生で田崎とは学年も違う上に、遊びも勉強もスポーツもこなす田崎と、『地味』の一言で形容が終わってしまうような優華には接点などあろうはずもない。優華の片思いだった。
　それでも優華は毎日早めに登校し、門の前で友達を待つふりをして田崎が来るのを待っていた。そうすれば田崎の顔を見ることができるからだ。優華の密かな生き甲斐だった。
　
　　なのに。

　一週間後には卒業式を迎える。

　その日に田崎は卒業してしまう。東京の大学へ行く、とうわさで聞いた。もうその姿を隠れ見ることもできなくなってしまう。

　今のうちに何とか田崎につながりを作っておかなければ。およそ２か月前から優華はその考えに取りつかれ、ダイエットを始めたのだ。だが、結果はこの有様だった。

　……もう後がない。

　元々かなりぽっちゃりの優華が6キロ太り、間違いなくどすこい系になってしまったが……告白を実行することにした。

　全く接点がないので、メアドなど知る由もなく、古式ゆかしくペンと便箋を使い手紙を書くことにした。

　寒がりな優華の部屋は、冬の間エアコンとオイルヒーターのダブル暖房で、優華はその中で半袖で過ごすのが常だった（そして夏は、やはり暑がりでもある優華はエアコンをガンガンかけ長袖で過ごすのだ）。

　寒がり暑がり……そう、つまり汗っかき。そんな優華が手紙などと言う慣れぬ作業に熱中したため、手汗をかき、額には玉のような汗がにじんだ。

　ポタッ。
　書いている手紙の上に汗の粒が落ち、勝手に持ち出した父親の万年筆で書いた手紙の文字を滲ませた。





　―――あれから一週間。

　優華は来る日も来る日も手紙を書き続けた。
　
　「ずっとあなたを見つめていました」

　「毎朝あなたの来るのを首を長くして待っていました」

　「一生貴方を追いかけます」

　正直な気持ちだった。だが翌朝になると、あまりにストーカーのようなその文面に自分で驚愕し、破り捨てる日がつづいた。

　手汗で便箋がよれていることにも気づき、近くの百円ショップに走って、薄い布製の手袋をはめて書くようになった。額の汗が落ちて台無しになることも何度もあったので、バンダナを鉢巻のように巻き、顔から汗が落ちるのを止めた。

　始めのころ書いた手紙は、想いを書き連ねるまま長文となり、便箋三枚、四枚と長いものになってしまった。
　優華は思い直し、それはやめて、一文一文を練るようになった。

　やがて、文面はシンプルに形を変えていった。

　そして最終形態となったものは、ただ一言のみ。

　『好きです』

　書き続けるうちに、何を書いても言い訳を書いているようにしか思えなくなっていた。接点のない相手に『なぜ好きなのか』と言うことを説明することがこんなに難しい事だとは思いもしなかった。
　それで結局、優華の心の中にあった事実だけ、好きだというその気持ちだけを書くことにしたのだ。

　そして手紙を書くことに熱中した優華は、知らず知らずのうちに4キロほど痩せていた。

　そう、優華は恋する乙女として、この一週間に劇的な進化を遂げていたのだ。

　卒業式当日の朝になった。

　優華はこの一週間、あまり熟睡していなかったので、朝食に濃いコーヒーを２杯飲んで眠気を飛ばし、「よしっ！」と気合を入れて家を出た。





　優華は卒業式の後、校門近くの咲き初(そ)めた桜の花の下で彼を呼び止めた。

　心臓は口から飛び出しそうにガンガンと打ち、今、家で時々いたずらして測ってみる父親愛用の血圧計で測れば、おそらく今まで生きてきた中で最高の数字をたたき出していただろう。

　「あの、これ……」

　振り返った田崎は一瞬の笑顔のあと、驚いたように大きく目を見開いた。

　何をそんなに驚いているのかしら、と思った優華はふと自分の顔に違和感を感じ、手の甲でぬぐった。

　手の甲は真っ赤な色に染まった。

　ポタッ。

　何度も書き直し清書した『田崎俊哉様』と書いた封筒の表書きの上に優華の鼻からしずくが落ちた。

　寝不足、コーヒー、興奮、緊張。

　その滴下痕は、まるで今二人に舞い降りている桜の花びらのように……ただ少しそれより赤みは強かったが……白い封筒に美しく映えていた。