論文”転生者”
文字数 1,984文字
ガンに全身を侵され、医師から余命3ヶ月を宣告された。
オレは歴史小説家として社会的に一定の評価を得、幾つかのシリーズはドラマ化もされた。
両親からは小さい頃に妄想癖のある変り者と罵られた。高校大学では友人から、放浪癖のある、いい加減なヤツだと思われていたらしい。大学院生で歴史小説家としてデビューした時、母親は”会社員勤めは難しそうだったから本当に良かった”と嬉し涙を流した。父親は”妄想がお金を生むとは錬金術だな”と呆れられた。
周囲の人は、人生をかけて取り組んでいたオレの研究テーマを知らない。だから、そう思うのだ。
オレが死亡したら、付き合いのあった編集者へ論文を送るよう行政書士事務所に手配してある。
出版社は学術論文とするも良し、空想論文とするも良しである。学術論文として記述しているので、著作権はあっても著作権料は発生しないから、どこか1社ぐらいは出版するだろう。
入院してから15日目に彼は死亡した。
享年76歳。
彼の死後、1社が学術論文として、2社が空想論文として出版した。
彼は論文以外に”はじめに”と”最後に”を記述し、書籍としての体裁も整えていた。
”はじめに”と”最後に”の抜粋がネット販売の宣伝として使われ、それが功を奏したのだ。
『はじめに』
ここに私の生涯を掛けた論文を書き残しておく。
私は転生者だ。
記憶にある限り8回目の・・・。
私が調査した限り、転生者は100人に1人の割合だった。しかし誰も語ろうとしない。大抵の転生者は元一般人。下手すると奴隷だったという重い過去を持ってるかもしれないからだ。故に転生者の割合は1%以上あるだろう。
高校時代、私は九州・四国・中国地方をバイクで走り回った。
ツーリングがしたかったのではない。邪馬台国のあった場所を探していたのだ。
私は邪馬台国に女王として”卑弥呼”が誕生した時、少年時代を過ごした。一般人の私は、女王と接点はなく、話したこともない。そして当時は生まれ育った土地が、邪馬台国だという認識はなかった。
ただ、中学の授業で教わった邪馬台国の史実には、私の記憶に重なる箇所が多くあった。
邪馬台国について詳しく知らべ確信した。
私は邪馬台国で生まれ育ったと・・・。
山稜や稜線、川の流れ、それらの風景から、私は邪馬台国のあった場所を、ほぼ特定した。
邪馬台国のあった地名、緯度経度は論文に記述した。むろん論拠も記述してある。信じてくれた方々で、ぜひ邪馬台国の遺跡を発見しもらいたい。
転生者による遺跡発見の実例を挙げよう。
ギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアを発掘したヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマンである。
”トロイアの木馬”または”トロイの木馬”といった方が分かり易いだろうか。
シュリーマンはトロイア近辺の住民であったのだろう。ホメーロスの叙事詩”イーリアス”を読んだシュリーマンが、自分の知っている土地に類似しているとの直感から発掘を手がけたのだろう。
そして彼は、伝説の都市トロイアを発掘した。
トロイアの遺跡は9層からなる。その遺跡の下から第2層(紀元前2千年よりも前)をトロイア戦争時代とシュリーマンは主張していた。現在の有力な説では第7層(紀元前千二百年中期)がトロイア戦争時代だ考えられている。
このことから、彼はトロイア戦争時代からの転生者ではなく、紀元前二千年頃の生きていたと推測できる。
シュリーマン以外にも数多くの実例を論文で挙げている。
ただ、彼らが転生者であるという論拠はあるが証拠はない。
『最後に』
私が転生者だと信んじて貰えた信じて、読者に求めることを述べる。
彼ら転生者は、前世の知識知恵経験を生まれ持っている。
それは才能といえるだろう。その才能が集まれば時代は加速されるだろう。
私は、その加速した時代を見たいのだ。
ただ、前世の記憶というのは、生きているうちに薄れていく。それは大人になると、子供の時の記憶が薄れていくのと同じように・・・。
逆に思い出深い出来事は一生忘れない。それは前世の記憶でも一緒なのだ。
読者の皆にも、記憶の奥底にある自分が経験していない経験をときおり感じることがあるだろう。それは魂に刻み込まれた前世の記憶かもしれない。
転生の回数は有限だろうか?
それとも無限だろうか?
前世の記憶がないなら、無限であっても、転生が有限であるといえる。
転生者諸君。
転生は絶対ではない。
ならばこそ、今の人生を精一杯に生きて欲しい。
”時代は加速する”
彼の本心は”最後に”に記述されていたように”時代は加速する”ことではない。
彼はこう考えながら、短い入院生活を送っていた。
「世界が発展しても良いし、滅びても良い」
「半端は良くない」
「極端こそ至高なのだ」
彼は転生者であり、小説家であった。
オレは歴史小説家として社会的に一定の評価を得、幾つかのシリーズはドラマ化もされた。
両親からは小さい頃に妄想癖のある変り者と罵られた。高校大学では友人から、放浪癖のある、いい加減なヤツだと思われていたらしい。大学院生で歴史小説家としてデビューした時、母親は”会社員勤めは難しそうだったから本当に良かった”と嬉し涙を流した。父親は”妄想がお金を生むとは錬金術だな”と呆れられた。
周囲の人は、人生をかけて取り組んでいたオレの研究テーマを知らない。だから、そう思うのだ。
オレが死亡したら、付き合いのあった編集者へ論文を送るよう行政書士事務所に手配してある。
出版社は学術論文とするも良し、空想論文とするも良しである。学術論文として記述しているので、著作権はあっても著作権料は発生しないから、どこか1社ぐらいは出版するだろう。
入院してから15日目に彼は死亡した。
享年76歳。
彼の死後、1社が学術論文として、2社が空想論文として出版した。
彼は論文以外に”はじめに”と”最後に”を記述し、書籍としての体裁も整えていた。
”はじめに”と”最後に”の抜粋がネット販売の宣伝として使われ、それが功を奏したのだ。
『はじめに』
ここに私の生涯を掛けた論文を書き残しておく。
私は転生者だ。
記憶にある限り8回目の・・・。
私が調査した限り、転生者は100人に1人の割合だった。しかし誰も語ろうとしない。大抵の転生者は元一般人。下手すると奴隷だったという重い過去を持ってるかもしれないからだ。故に転生者の割合は1%以上あるだろう。
高校時代、私は九州・四国・中国地方をバイクで走り回った。
ツーリングがしたかったのではない。邪馬台国のあった場所を探していたのだ。
私は邪馬台国に女王として”卑弥呼”が誕生した時、少年時代を過ごした。一般人の私は、女王と接点はなく、話したこともない。そして当時は生まれ育った土地が、邪馬台国だという認識はなかった。
ただ、中学の授業で教わった邪馬台国の史実には、私の記憶に重なる箇所が多くあった。
邪馬台国について詳しく知らべ確信した。
私は邪馬台国で生まれ育ったと・・・。
山稜や稜線、川の流れ、それらの風景から、私は邪馬台国のあった場所を、ほぼ特定した。
邪馬台国のあった地名、緯度経度は論文に記述した。むろん論拠も記述してある。信じてくれた方々で、ぜひ邪馬台国の遺跡を発見しもらいたい。
転生者による遺跡発見の実例を挙げよう。
ギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアを発掘したヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマンである。
”トロイアの木馬”または”トロイの木馬”といった方が分かり易いだろうか。
シュリーマンはトロイア近辺の住民であったのだろう。ホメーロスの叙事詩”イーリアス”を読んだシュリーマンが、自分の知っている土地に類似しているとの直感から発掘を手がけたのだろう。
そして彼は、伝説の都市トロイアを発掘した。
トロイアの遺跡は9層からなる。その遺跡の下から第2層(紀元前2千年よりも前)をトロイア戦争時代とシュリーマンは主張していた。現在の有力な説では第7層(紀元前千二百年中期)がトロイア戦争時代だ考えられている。
このことから、彼はトロイア戦争時代からの転生者ではなく、紀元前二千年頃の生きていたと推測できる。
シュリーマン以外にも数多くの実例を論文で挙げている。
ただ、彼らが転生者であるという論拠はあるが証拠はない。
『最後に』
私が転生者だと信んじて貰えた信じて、読者に求めることを述べる。
彼ら転生者は、前世の知識知恵経験を生まれ持っている。
それは才能といえるだろう。その才能が集まれば時代は加速されるだろう。
私は、その加速した時代を見たいのだ。
ただ、前世の記憶というのは、生きているうちに薄れていく。それは大人になると、子供の時の記憶が薄れていくのと同じように・・・。
逆に思い出深い出来事は一生忘れない。それは前世の記憶でも一緒なのだ。
読者の皆にも、記憶の奥底にある自分が経験していない経験をときおり感じることがあるだろう。それは魂に刻み込まれた前世の記憶かもしれない。
転生の回数は有限だろうか?
それとも無限だろうか?
前世の記憶がないなら、無限であっても、転生が有限であるといえる。
転生者諸君。
転生は絶対ではない。
ならばこそ、今の人生を精一杯に生きて欲しい。
”時代は加速する”
彼の本心は”最後に”に記述されていたように”時代は加速する”ことではない。
彼はこう考えながら、短い入院生活を送っていた。
「世界が発展しても良いし、滅びても良い」
「半端は良くない」
「極端こそ至高なのだ」
彼は転生者であり、小説家であった。