催眠術で百合

文字数 5,003文字

「あなたはだんだん私が好きになーる。好きになーる」

 揺れる五円玉を追って、シオミーのクリクリした目も左右に揺れる。

 だけど、その目の奥は興味がないと言わんばかりの光のなさで――

「くそっ――」

 私はテーブルを拳で叩く。

「なんでシオミーは私を好きにならないんだ! 結衣奈はこんなに好きなのに!」

「なんでって――」

 私の心からの叫びにシオミーは冷たい目で言う。

「結衣奈がプロの催眠術師ならともかく、一週間前にその本買ったばっかでしょ」

 シオミーが示したのは、私のベッドに広げられた『これであなたも催眠マスター』という本だった。

 ブックオフで一〇八円なり。

 私はこれで、幼馴染にして私の片思い相手である塩見ことシオミーを籠絡しようと考えていたのだが、失敗してしまった。

「くそぅ。この結衣奈、三日も練習したというのに」

 映画の録画を忘れたくらい悔しい。

「一週間じゃないんだ」

「漫画だと簡単だから行けると思ったんだよ」

「そりゃ漫画だからだよ」

 シオミーは呆れるように言い、もう興味はスマホに移っている。

 シオミー酷い。

 けど、オレンジのシャツに、カジュアルなサロペット、そして友達の家に来ただけなのにバッチリメイク――

 可愛すぎる。

 アイ・ラブ・私の幼馴染。

「ていうか催眠術やるにしても、好きになーるって。わりと最低なことするよね」

 やっぱ酷い。

 可愛いけど。

「もう、好きなんだからしょうがないでしょ! シオミーは結衣奈のこと、好きじゃないの!?」

 私はまたテーブルを叩いて言う。

 小さなテーブルなので、叩くたびにコップとお菓子が揺れる。

 次は軽めに叩こう。

 そう私は一人反省していたのだが――

「べつに、好きだよ」

 シオミーは言った。

 なんのきなしに、けれどはっきりと。

「……それじゃ」

 私は自分でも頬が赤くなるのを感じながら、乙女の勇気を振り絞る。

「ほっぺにキスしていい?」

「なんかリアルにアウトかセーフかギリギリで、やだな」

 シオミーは顔を歪めた。

 それはギリギリのお願いをされた顔じゃない。

「なによ、わがままシオミー! どうせ、一緒に赤ちゃん育てよ、なんて言っても聞いてくれないでしょ! この前、誕生日プレゼントあげたんだからキスくらいいいじゃない!」

 私はテーブルを叩く。

 今度は軽めに。

「その前に私も結衣奈にプレゼントしたでしょ。それと赤ちゃん育てよって、段階を飛ばしすぎでしょ」

「でも私のプレゼントの方が千円高かった! だから、その赤い口紅を塗った艷やかな唇にキスさせてよ!」

「キスの対象がほっぺから唇になってるよ。つーか、あと口紅って……まあいいや」

 シオミーは「これ貰うね」と言いながら当家提供のチョコを手に取る。

 ツッコミにもやる気がなくなってきているようだった。

 むぅ。

 こんな感じになってくると、シオミーも私の本気の悪ふざけに乗ってくれなくなってくる。

 でも、せっかくシオミーに催眠術かけてイヤらしいことしようと思っていたのに。

 なにか一つくらい催眠術を成功させたい。

 私は本のページをめくり、

「……」

 私はテーブルを軽く叩き、シオミーの注意をひく。

「なに?」

 シオミーはスマホを眺めたままだけど、私はわたしで本を見ながら言う。

「まあ、シオミーが結衣奈を好きにならないのは仕方ない」

「諦めるの?」

「それは持久戦に移行します。ただ今日はせめて催眠術を一回くらいは成功させたい。だからもう一回やらせて? 今度は眠くなるやつで」

 私は精一杯かわいこぶりっ子をして言った。

 私だってシオミーほどじゃないが、可愛いと言われる顔立ちなのだ。

 本気で可愛さをアピールすれば、

「ま、そのくらいのお願いならいいけど」

 堅固なシオミーもこのとおり。

「ちょろいもんだぜ」

「やっぱやめる」

「ちょっと待って」

 私はそこから十分間お願いをして、

「あなたはだんだん眠くなーる。眠くなーる」

 改めて五円玉を揺らしだした。

 また改めてシオミーのクリクリした目も左右に揺れる。

 そして私は内心でウッヒッヒッと笑いまくった。

 この本によれば、催眠術がかかる人というのは術師との信頼関係がしっかりしている人。

 まあそこは私とシオミーの仲だから問題ない。

 ただ、さっきの好きになーるはシオミーいわく最低のこと。

 だったら信頼関係が崩れるのも当然だ。

 そして逆に言えば、普通の催眠術なら信頼関係は崩れない。

 シオミーだって催眠にかかる――という寸法だ。

 そしてシオミーが寝ちゃった暁には――ぐへへ――

「あなたはだんだん眠くなーる。眠くなーる」

 私は五円玉を揺らし続ける。

 だが、

「あなたはだんだん眠くなーる。眠くなーる」

 だんだん腕が疲れてきた。

 そしてシオミーも、

「……」

 眠くなるどころか目はパッチリだ。

「……」

 しかももう五円玉を追っかけていない。

 まっすぐと、冷たい目で前を見据えている。
「……」

 シオミーはただひたすら前を見る。

 もういいだろ、的な声が聞こえてくる。

 ……いや、わかっていたけど、もう少し……こう……ねえ?

 いくらノリのいいことで有名な結衣奈さんだって、好きな人にこんな目をされたら泣きたくなるよ。

「はいはい。わかりました。もうやめるよ。あとは私を煮るなり焼くなり好きに――あ、生のまま食べてもいいけど――なんて――?」

 私は五円玉を下げて、さらに軽口を叩いてみせるが、シオミーはなおも動かない。

 相変わらず、まっすぐ前を見据えている。

「シオミー?」

 その目は、私が動いても変わらない。

 手のひらを前で振っても。

「……」

 これはまさか――

「ぐぅ」

「ほんとに寝た!?」

 シオミーはいびきをかいた。

 可愛く。

「いやいや、騙されないよ。シオミー。どうせ、寝たフリでしょ?」

 私はシオミーの肩を揺らす。

 と、シオミーはミステリーに出てくる死体のように、床に倒れてしまった。

「ぐぅ」

 そして、なおも目を覚まさない。

 それどころか、前を見捨ていた目は閉じられてしまった。

「……お腹くすぐるよ? こちょこちょ……。脇腹……足の裏……脇……膝のお皿……耳の裏……」

 私は恐る恐るシオミーの体中をくすぐってみるが、

「ぐぅ」

 本当に寝てた!

 え、え!?

 やった! やった! やった!

 大成功!

 私は心の中も、実際にも小躍りした。

 タンスにつま先ぶつけたけど、痛みなんて感じない。

 だって今ならシオミーになんでもできるんだから。

 少なくとも、シオミーの体をこちょこちょするのは大丈夫。

 つまり、それ以下のことなら今は余裕のよっちゃん。

 おっぱいやお尻を触るくらいなら大丈夫。

 そしてもうちょっと先のことも――

 ぐへへ。

 っと、妄想は置いといて、だ。

 私はシオミーの横にちょこんと正座する。

 私だって犯罪者じゃない。

 そんな寝ている女の子にイタズラなんてするわけがない。

 とりあえず服がシワになっちゃいけないから、服を脱がす――

 じゃなくて、きちんとした姿勢にする。

 そして、

 せいぜい、ほっぺにキスぐらいでとどめておくさ。

 それぐらいならシオミーもギリギリって言ってたし、セーフでしょ。

 そして残りは催眠ではなく、本当にシオミーを落としたときにとっておく。

 ふっふっふっ。

 私は女性ながら、なかなかの紳士ぶりだぜ。

 あ、そこは紳士じゃなくて淑女らしく、シオミーに合わせて私も口紅塗った方がいいかな?

 いや、ここはピュアな私の唇をシオミーに受け取ってもらうべきだ。

 私は意を決してシオミーの肩を掴み、顔を合わせる。

 その寝ているシオミーの顔も、やっぱり可愛い。

 特に唇がいい。

 今からこの唇を奪えるかと思うと私は――

「……興奮したんだけどなぁ、萎えちゃったよ」

 私はテーブルを挟んで、シオミーの対面に座り直す。

「まぁ、どうせ、結衣奈がキスしようとしたら、実は起きてましたーって落ちでしょ。わかってるよ」

 言うが、シオミーは目を覚まさない。

「わかってるよ。シオミーが私を友達以上には思ってくれていないことを。でもシオミーは優しいから結衣奈に付き合ってくれている。そういうところが本当に好き。だから、催眠術でほんの一瞬でも結衣奈のことを好きになってほしかった」

 私はゆっくりと言う。

「……結衣奈がキスしたかったわけじゃない。……結衣奈にキスしてほしかったんだ」

 私はため息を一つ入れる。

「今みたいに、私がプレゼントした口紅を塗ってね。今の今まで気づいてあげられなくて、ごめんね」

 それだけ私は言い終わって、テーブルに額を叩きつける。

「って、なに一人で言っているんだ。中二病かっての。恥ずかしい――」

 ゴンゴンゴンと私は叩きつける。

 ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンパーン!

   /

「はれ?」

「お、ちゃんと解けたね。よかった」

 手を叩く音が聞こえて、視界がくらくらする、と思ったら目の前にはシオミーがいた。

 まっすぐ前を向いているけど、ちゃんと起きているシオミーだった。

「あれ? シオミー、催眠解けたの?」

 私は問うが、どことなく呂律が回らない。

 寝起きの気分だ。

「結衣奈がね。まさか私に催眠術かけようとして、自分がかかるなんて。漫画みたいだなことになるとは思わなかったよ」

「え? 結衣奈が、かかって? え? 結衣奈、なにかしてた? なにか言ってた?」

 急激に頭が冴えてくる。

 催眠状態だったから、都合よくシオミーも催眠にかかってくれて、急にシオミーにキスするのもやめて、中二病みたいなことも口走っていたのか。

 それに今よく見れば、シオミーのやつ口紅塗ってない!

 くそ、催眠状態で、しかも口紅塗ってないなら、いっそキスしておけばよかった!

 だけど、今はそれより、催眠状態の私が変なことを口走っていないかが問題だ。

 シオミーに聞かれていたとしたら、恥ずかしいどころの騒ぎではない。

 おっぱい触ろうとしていたとか、言っていたら、いくらシオミーでも私を軽蔑しかねない。

「うーん。なんか、私のこと好きなら脇の毛の処理してくれる? って聞いてきた」

「いや、そんなマニアックな趣味、私持ってないよ? 私が言ったのは一緒に赤ちゃん育てよ? だよ」

「どっちにしろ、だね」

 シオミーはやっぱり呆れるけど、私はほっとする。

 とりあえず恥ずかしいことは言っていないらしい。

 変なことは言っていたけれど、軽蔑はされない。

 ――にしても、それより、

「頭がちょっとくらくらする」

 頭が重く感じて、重心が定まらない気がする。

「素人が催眠術なんてやるもんじゃないね。顔洗ってくれば?」

 シオミーは改めてスマホを見る。

 基本的に私には興味がないらしい。

 酷い。

 まあ、そんなそっけないシオミーも可愛いけど。

 ともかく私は「そーする」と言って洗面所へ向かった。

 鏡を見ると、そこには寝起き状態の私がいた。

 うーむ。こんな顔をシオミーに見せていたとなると、シンプルに恥ずかしい。

 知らないうちに新しいニキビもあるし。

 テンション下がる。

 私は、下がったテンションを上げ直すつもりで、勢いよく顔を洗った。

 ちょっと冷水が冷たい季節だったけど、おかげで目も覚める。

 私は改めて鏡を見る。

 すると、もうそこには寝起きの私はいない――

 いないけど、

「あれ?」

 私は首を傾げる。

「見間違え、かな?」

 さっきあったはずのニキビが消えていたのだ。

 確かにほっぺに赤い痕があったのだけど。
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