チャバネゴキブリ転生

文字数 1,998文字

 ある日のこと。
 トラックでひかれた俺は、気づくとゴキブリになっていた。
(おいおい、冗談じゃないよ)
 そう思いながら、自分の体を見た。
 黒光りする体と触覚
 どう見てもチャバネゴキブリのそれである。
 俺が呆然としていると、近くのゴキブリが声をかけてきた。
「おい、ちょっと飯でも食いに行かねえか」
 俺は言われるままに、仲間のゴキブリと一緒に残飯を漁りに出かけた。
 人間の時だったら吐き気のするような残飯に、最初はウッとなったが、一度思い切って食ってみると、なかなか美味い。
 どうやら、ゴキブリになって嗜好も変わったようだ。
 美味しく食事をしていると、どすんどすん、という足音がする。
 人間がやって来たのだ。
「おい、ずらかろうぜ」
 仲間にそう言われ、俺もうなずきパッと逃げた。
 ゴキブリを自力で捕まえるのがなかなか大変なのは諸君もご存じだろう。
 俺たちは大した苦も無く、我が家へと逃げ帰った。

 ゴキブリになってからしばらく経った日のこと。
 なんだかいい匂いのする『建物』があるという話が、仲間のあいだで話題になった。
 仲間と行ってみると、案の定。
 その『建物』は、要はゴキブリホイホイだった。
「中にいいものがあるんじゃないかって、みんなで話してるんだ」
 と、俺と仲良しのゴキブリは言った。
 俺は、
「そんなことはない、あれは地獄への入り口だ」
 と強く訴えた。
 聞くもの半分、聞かぬもの半分。
 結局、何人かの仲間がゴキブリホイホイへ行くことを避けることはできなかった。
 数日が経った。
 無論、ゴキブリホイホイに行った仲間は誰一人帰ることがなかった。
 死んだ連中には悪いが、この一件以来、俺は仲間うちでも一目置かれる存在となった。
 これに気をよくした俺は、人間時代の『常識』を、仲間に教えてやるようになった。
 特に、人間の作る料理についての情報は、仲間の知的好奇心を著しく刺激したようで、俺は仲間じゅうの人気者になった。

 さて、いくら人気者になったとはいえ、元人間の俺にとっては、食べる・逃げる・寝るだけのゴキブリの生活はいささか退屈だ。
 そんな中、友達と部屋をかさこそと動き回っていると、見覚えのある機械を見かけた。
 デスクトップパソコンである。
 俺は、周りにいる友達に言った。
「あれを使うと、色んな情報を知ることが出来るんだぜ」
「へえ」
「少し試してみよう」
 俺は仲間と一緒にパソコンのそばへと舞い降りた。
 なんともセキュリティ意識のないことに、パソコンの前に付箋でパスワードが貼ってある。
 俺は、ぴょんとパソコンの本体に飛び乗り、電源スイッチを押した。
 ぶおおという音とともにパソコンが動き出す。
 仲間たちはびっくりしてはねのいたが、俺が、
「大丈夫だよ」
 と言うと、またノソノソと戻って来た。
 起動して、パスワードを入力する。
 仲間たちに頼んでマウスを動かしてもらい、ブラウザを立ち上げる。
 キーボードを飛び跳ねて検索。
 すると、まさかゴキブリになってから見れるとも思っていなかった様々な情報が、俺の目の前に展開された。
 人間時代にはなんとも思っていなかった情報が、実に興味深く感じる。
「この模様の羅列が分かるのかい、お前は」
 俺がパソコンのディスプレイを眺めていると、仲間の一人が聞いてくる。
「まあ、分かるよ」
「ふーん、面白そうだな」
「なんなら、教えようか」
 俺も教師ではないし、相手は言っちゃなんだがゴキブリだ。
 あまり自信があったわけではないが、俺はひらがなの学習サイトから順に調べて、仲間のゴキブリたちに教える。
 すると、どうだろう。
 仲間のゴキブリたちは意外なほどの物分かりのよさで、どんどんと知識を吸収していく。
 人間よりもよっぽど理解が早い。
 こうして俺は彼らの教師となった。
 
 一年が過ぎた。
 俺の語学講習が功を奏し、仲間のゴキブリたちは、俺なしでもネットを閲覧し、様々な情報を得るようになっていた。
 ある日、仲間が言った。
「人間というのは、なかなか組織的にすごいことをやっていやがるな」
「集団を作って同族を侵略しては配下に加えている」
「それを繰り返してとんでもない数の仲間を一緒に動かしているわけだ」
「どうだ? 俺たちもやらないか」
「うむ。全く賛成だ」
 こうして、俺たちのグループは、他所のゴキブリのグループのいるところまで遠征しては、そこを配下に加えるようになった。
 彼らを我々の持っている知識で教化し、さらにグループとしての力をたくわえる。
 教化されたゴキブリたちは、比例的に知識を蓄え、さらには――。

 こうして、今や、我々ゴキブリは、かつてでは考えられなかったほどのネットワークと技術力を有するに至った。
 もはや情報源はネットのみではなくなり、人類の専門知識の領域にすら手を出し始めている。
 そして我々の方が人類より遥かに数が多く、生命力も強い。
 この調子なら遠からず人類は――。


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