落合榻の雑記「疑念」

文字数 5,937文字


 【はしがき】
 
 私は、一介の文筆家になりたかったのかもしれません。すべてを書き終えてから漠然とそう思いました。いくらかの作品をこの世に残して、己が持つ内なる淀みを自身で暴いて、叫びたかったのかもしれない。私は、己の罪を誰かに知っていて欲しかった。多分、そういうことです。それはもう大声で秘密を叫び、新聞社やテレビ局に私の書物を送り付け、世間の目を全て奪うくらいの大きな声で。そして、あまたの人間の思考を遮って、脳みそにこびり付いてやりたいという衝動とも言えそうです。ただ知って欲しいという欲望がそこまで肥大化していたのを素直に告白しようと思います。
 ああ、やはり私は気持ちが悪いのかもしれません。かもしれないなんて保険をかける時点でそう思いたくないという欲望がでているのは、結局この歳になっても直すことなど出来やしないことを証明しているようです。これは私自身がそういう形であったという証明――ああ、恐ろしい。恐ろしい。
 
 そんな私にはこの世の正解などは分かりません。そんなことを考える器でございません。
 しかし、そんな私でもたったひとつだけ確信していることがございます。
 
 私ができる最善行為というものは、潔く死ぬのが正解――いや、きっと衆生のためであるということでございます。
 私という害悪極まりない人間が自分の意思で消え去ることが、きっと最初で最後に遂行できる本当に正しいこと。
 きっと、きっと、そうなのです。これだけは、きっと”事実”なのです。



 






 

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 落合 榻の雑記「疑念」



 


 
 
 
 
 

 
 私という人間を一言で表すならば、コットンです。


 
 他人が吐き出したありとあらゆる情報に駆られて気持ちが揺れ動き、すぐに染まる。吸収効率が売りのコットン。そして、乾きにくい。他人の情報をじっとりと吸収したそのコットンは、消化しきれず、かといって余韻に浸らざるを得ない程の水分を持ち続ける。
 それが私の本質であると思います。

 私はコットンであることを避けたく思います。
 ああ、避けるなんて言い方も曖昧極まりませんね。そうです、やめたいのです。
 常に誰かを意識しているような性分に踏ん切りをつけて、己の中の本物の欲求に従っていきたい。だというのに、私という人間は愚かにも他人が楽しげにしていることに目が惹かれてしまいます。ありとあらゆる方法で出力する幸福、喜悦、そして満足感。そんなものに大層思うのです。「羨ましい」と。

 どうしようもありません。救いがありません。実に愚かです。
 
 このように卑下することは容易いです。自覚があるなら改善策を提示し、実行するべきです。
 こう思うのも簡単なことです。それでも出来やしないのです。技術を会得するのとは訳が違う。私の心というものは、元来から気難しいものでした。私こそ、こんなものとは反りが合わない。そう思うほどであります。
 苦しくて仕方がありません。もうこんな気持ちとおさらばができるのなら、なんだってしたいと感じるほどでございます。

 
 思えば私という人間は、昔からコットンのような人間でした。しかも砂鉄入り。強力な磁石がやってくればそちらに逆らうことの出来ない、砂鉄であります。
 私にとっての他者との交流というものは、相手にどれだけ傾倒できるかの合戦でありました。
 まずは話を聞く相手の気持ちになりきり、汁が漏れ出るほどに染まり切ります。
 相手の気持ちを十二分に吸い取ったら相手とくっつかのように会話をします。事実を湾曲して幻想を助長させる。そして膨らませて、適度に形を整えてやる。そうすると、その助長された幻想が、相手にとっては確信できるほどの真実へと変化するのです。それから、私という等身大の人間が共感したという唯一の事実がトドメの一刺しとなります。

 有名な推理漫画で、このようなセリフがございます。
 
 ”真実はいつもひとつ!”
 
 この言葉を聞く度に、私はそんな訳あるかと抗議します。胸の中で、静かに、決して誰にも聞かれないように、顔を地面にむけながら。
 真実なんてものは、人の数だけございます。
 真の事実、という意味でかの名探偵は恐らく言っていらっしゃる。しかし、私という他人に真実を作り植え込む人間からしたら馬鹿げているセリフにこの上ないのです。
  僭越ながら物申しますと、事実というものは常にひとつしかございません。それをどう見るか。どこを切り取るか。それで皆々様がたいそう議論なされる。当然です。皆々様は見ているところ、切り取っているところが異なります。ゆえに、たくさん言葉を交わし、話し合っては整合性を得ようとするのです。それでも尚、皆々様は争います。彼らの軸というものもやはり異なります。どれを事実としてはめるかというお話は、もはや殴りあいだと私は思うのです。勝ち負けが必要とされるような、闘争であります。だからこそ負けまいと自分の中にある真実で相手を屈服させ、正当性を主張しつづけるのではないでしょうか。
 己の中で見たものばかりを信じるのは生物的な本能として存在するべきものです。しかしながら、それだけでは社会性ある動物とは言えないのでございます。(ああ、自分が社会性があるとは言えないのに……尊大だ、このうえなくクズすぎる……しかしこれは誰にも見せないものです。だから、持論くらい展開するのをお許しください。……誰に許しをこいているのかも不明だけどね)
 だからこそ、皆々様は議論なされる。話し合っては他人とできるだけ同等の事実を入手しようとする。

 私は、その整合性をとろうとする行為、つまりコミュニケーションに対して斜に構えております。

 しかし、皆々様は私に向かってこう仰られるのです。

「あなたと話していると、気持ちがいい」

 私は嬉しかった。
 嬉しく思ってしまったのです。曇りなど見当たらないほどの上天気に身を置いたほどに心は清々しかったのでございます。
 他人が喜ぶということは、正しいということであると私は思いました。皆々様が喜ぶような行為ができた、私には能があると認められた。
  もはや誰に言って貰えたかはよく覚えていません。しかし、その言葉だけは一字一句鮮明に思い出せるのです。きっと、私の肉体に見えない刺青となって刻まれているに違いありません。
 あの言葉を言われた時、人に必要とされるに足るのだという確信が芽生えました。芽生えてしまったのです。
 人生で初めて才能の二文字さえ感じたほどでした。
 それくらい、私にとっては大きな言葉となりました。


「あなたと話してると気が楽になるよ」

 こちらは、ある日言われた言葉でございます。そして私は以下のように思ったのです。
 
 気が楽に?
 なるほど、見たい現実だけを相手に見させてやれば、気が楽になるのですね。なるほど、なるほど。そうやって気を楽にさせ、あとは大丈夫と思わせたことで相手がこの先直面する課題を、現実を想定せずに、全く持って準備をせずに挑むことになる、と。それがこの人にとっては”気が楽”になる。
 ああ、なるほど、なるほど。

 ――と。

 りりちゃん、あなたはそのままでいいんだよ。そう言うだけで、彼女は武器も防具も持たずに危険地帯へと旅立ったらしいのでした。
 憑き物が落ちた様なあの顔は、どこからどう見ても問題が解決したと物語っていました。

 
 それから私は、同級生のりりちゃんが次第に病み崩れていくのを見ていました。あんなにも悩ましそうに日々を送り私に悩みを相談していたあの子は、人知れずに学校に来なくなりました。あの子の席は常に空いていたのがあたりまえのような気さえしてきます。
 
 私は、震えていました。
 
 言葉の力と、りりちゃんの脆さに。
 彼女の席を見る度に、ああはなりたくないと心底思いました。
 社会のレールから外れて生きることは、社会性の奴隷である私からは恐ろしいことこのうえありませんでした。
 それ以外に感じることが特段ないというのは、とても最低だと思います。いや、正確には感じたことはあったと思います。あったと思う、と言うのもまた私が信じたい事実――つまり私だけの内なる真実を作りあげているのかもしれませんが、兎にも角にも、私の中にはあったと思いたい――、この情動だけは確かな輪郭を持って、そこに居座ってはおります。
 
 当時高校1年生のまだまだ青い人間だった私の言葉を信じて、随分さっぱりとした顔で微笑むあの横顔が、私の青春にどこか影を落としています。
 そして今も尚、青黒くて冷たい何かがズリズリと背筋を這っております。
 

「君ほどの聞き上手を知らないよ。傾聴力がある」

 
 聞き上手。
 傾聴力。
 また別の人間にそのような言葉で褒められました。
 なるほど、世の中というものにはそのようなタグ付けが存在しているのか。
 そう思いました。
 大学の先輩であるコウスケ先輩は、私にああ言いながら頷いておりました。
 若さを象徴するような明るい茶髪と、銀色のピアスが印象的なよく笑う先輩でした。
 
 私には、傾聴力がある。
 聞き上手の、才がある。
 私もまた、そうやって曲げた真実を抱えて眠っておりました。
 だって、あんなにも人望があってそこそこ見た目も良い、社会的地位のある先輩にそう言われたのです。あの時の私は、もうそればかりが眼前にあって、どうにも疑うよちなど感ぜられませんでした。

 あの言葉をはかれてから、月日が経ちました。
 
 あれは私が大学3年生の時のことです。傾聴力があると言ってくださった先輩は、就活真っ最中にいました。それから、私を呼び出すことが多くなりました。
 2人きりで話し、時にはものを食べ、歓談し、遊び、男女として求められることがございました。
 
 恥を忍んで綴ります。私は、全てに応えてきました。彼が共にご飯を喰らいたいというのならば、朝昼晩問わずに駆け付けました。もちろん、常日頃から相手のためにあけていますと彼が求める上質な椅子にはなりません。それなりに手が届きそうにないこと、しかしながら必ず彼が心地よく座れるような椅子でなければなりません。私という人間は日頃どんなに充実していて、持っている人間であるかを示唆しつつ、そこはかとなく彼の予定に合わせておりました。
 もちろん、驚いたことはございました。まともな恋愛などもしたことがなかった自分が、ひとりの男に求められ続け、酒を飲みあげくそういうことまで求められるほどとは思っておりませんでした。しかしながら、だからこそ、でした。そう、またひとつ認められたような気持ちが確かに芽生えたのでございます。ひとりの人間として秘密を共有し合い、そして女として求められたことも私にとっては嬉しいことでした。自分には、そういう素質やら魅力があるのだと思える材料であり、自分が生きていてよいと再確認ができたのです。
 この世の倫理や道理は、うっすらと理解しているつもりです。きっと、気持ち悪いと思われるかもしれません。ですが、これは私にとっては酸素なのでございます。この世の中というとにもかくにも頭を下げ、四つん這いで歩かねばならない、いや顔を出すことも許されない――そんな過酷な世界に潜り続けるためには、然るべき酸素が必要なのでございます。
 


 私は、ここに告白いたします。初めてあの言葉を言われた時は、まるで自分が生きていいと思われたほどに肯定された気持ちになったのです。ええ、そうです、その通りです。ご明察でございます。それまでの私という人間は、常に頭を下げ、へいこらへいこらして、意地汚さやら打算的な思惑、そしてこのどうしようも無い性分と、多くの人間とはかけ離れた幸せの定義を隠すことで必死でありましたから、己を客観視しては”ああ、なんて醜く見苦しい生き物であろうか。何にもなし得ずただ時を過して生物としての営みを全うする木偶の坊だ。”と嘆いておりました。
 今もそうです。しかし、そんな私の中にもいちまつの疑念がございます。
 他の人間はどうなのかと。
 皆々様はこのようなことをやっているのでしょうか。全く同じではなくとも、近しいことは行っているのでしょうか。それならば、そうだというならば、きっと私は普通の人間でいられると思います。しかし、私のような考えに基づいていたならば、矛盾するような言動をとる輩がおります。
 人を平気で傷つける阿呆。正論ばかり並べる共感とは無縁な賢者。愛嬌のみで生きていけるほどの無知共。
 彼らは一体、どのようなコミュニケーションを取りながら生きているのでしょうか。
 私からしてみれば、そんなふうに他人に臆することなく、そしてしがらみに縛られることなく他人と会話をし楽しく生きていけるというこの上ない幸福を持つ輩です。たとえ社会でどう扱われようと、各々自分の行動には合点がいっている。それが、私には大変素晴らしい宝物に見えてなりません。私には今まで書き記してきた癒着するようなやり方でしか他人との距離を図ることが出来ないのです。どんな風に扱われたとて、相手が快を得てくれるならば私は生きていてよいのだと心底思うのです。
 また、こんなやり方を続けてきたからこそ思うことがございます。私の真意を知った皆々様は、私のことを如何思うのでしょうか。答えは自明の理でございます。最悪である、最低である、死ぬに値する、などなどの評価であると思われます。そのような推察は容易です。だからバレないように、頭を深く垂れ続けているのです。私の顔色などは誰も気に留めないのですから。
 
 私には、人間の生活というものにどうも適さないと確信を持っております。
 こんな原稿用紙十数枚の文字数で事足りるような本質と人生。ただ人物やら私の齢が異なるだけで、そのほかは全くテンプレのようなものです。だから、足りるのです。それほどまでに面白みのない人生なのです。
 そんな人生がひとつ、消え去ったところでこの世は何も変わりません。寧ろ空気が綺麗になるような気がします。それでも消える勇気がございません。ある日、突然車に轢かれるとか、そうではなければきっと私は至極大事に自分の体を生かすのです。動物的な本能に逆らうことは絶対にできない。こんなにも辛いのに。
 
 だから、私はきっと明日も目が覚めて、身支度をして、地を歩き、然るべき業務をこなし、思ってもない会話をしながら社会的地位を守る為に生きにくのです。
 何のために生きてるかなど問われても答えられません。
 しかし、もし答えるなら、私はこう答えます。
 ただ、時間が過ぎ行くだけ。

 それだけは、森羅万象有象無象、変わらぬ事実です。
 
 

 
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