Part3/3

文字数 2,615文字




透明な壁の向こうは、相変わらず静かだ。
俺がアイバ リイチから『換者079』としてここに来てから、何も変わらない。

しかし、本当は気づいている。この街は2ヶ月ほど前から騒がしい。人々の怒号や、パトカーのサイレンがよく聞こえる。
毎日眺めていた風景のどこかで、いつも煙が上がっている。
『外の世界』が揺れているのだ。



次の瞬間、視界が真っ白になった。

轟く爆音に、デポルーターの透明な壁がビリビリと震動する。透明な壁の向こうから、アスファルトを捲りあげるような風圧と共に赤い炎が高く上がっているのが見える。

その向こうには外界の人々。彼らの持つ横断幕には、

『この街を混乱に陥れるデポルーターと換者は、この街から出ていけ!』


ああ、人々はついに堕ちたのだ。
忌避と畏怖に満ちた視線を向けていた、この毒を吸う街の人々は、あまりに大きすぎた混乱に飲み込まれ、

換者に、刃を向けるようになってしまった。


怒りの声を上げる、絶望して祈り始める、呆然と立ち尽くすしかないデポルーター内の換者たち。


『外部の人間の侵入を確認 外部の人間の侵入を確認』

けたたましいアラート音が鳴り響き、政府の軍隊が武装を展開する。
バールや鉄パイプを持った人々が、ジュラルミン製の盾を持った隊員たちと衝突する。

発煙筒から上がる煙、爆発によって散らばった炎が至る所で燃え上がっている。
黒いフルフェイスのヘルメットに炎が映り、人々の顔を赤いライトが照らす、誰もが悪魔のようだ。

非常事態を知らせる赤いライトが照らし出す外の世界は、地獄絵図だった。


ぁあ、こんなにも、外の世界は知らない間に歪んでいたのか。





駆けつけた時には、そこはすでに混沌の渦中だった。

立ち上がる煙のもとに近づいていくたびに、強くなる熱と不安。それに耐えながら、必死に走ってきた私の目の前には、ずっと遠くから見ていたデポルーター。

近くで見て始めて実感する。
こんなにも大きかったのか。
世界中の毒を吸うこの巨大な透明な箱の中に、どれだけのDT29が封じられているのだろう。

そのデポルーターの前では、まさに暴動の最中だった。至る所で燻る煙が視界をさえぎり、突然大きくなる炎が汗に濡れた頬を焦がす。

人々の怒号、ジュラルミンの縦と人々の武器がぶつかる鈍い音、炎が空気を焦がす音の中を、必死で走る。

兄に、会うのだ。
あの日、突然目の前からいなくなった兄に。

「やぁああっ!?」

ゴルフクラブを持った男に突き飛ばされ、地面を転がる。肘が地面と擦れて血が滲む。
ここまで走り続けて疲れきった身体が、ズキズキと非常事態を告げる。

それでも、

会わなければならない人がいる。

「ぅうっ!!」

立ち上がろうとした私は、再び起こった突き上げるような揺れに倒れ込む。

右手の方で今までで1番大きな爆発が起きる。
火の手が上がり、人々の悲鳴がこだまする。
デポルーター制御施設の誘電機に引火して、爆発が起きたようだ。


そしてとどめを刺すように、轟音が上がる。
地獄のような光景に絶望した私の目の前で、デポルーター内の送電塔がゆっくりと傾いていく。

そして速度を増した送電塔がデポルーターの壁に激突する。

内側から一瞬ヒビが入り、
つんざくような音と共に砕け散るデポルーターの透明な壁を見て

私は

世界の歪みが

今ここで限界を超えたのだと知った。





透明な壁の向こうで、初めよりも激しい爆発が起こり、蛇が飛びかかるように大きな炎が立ち上がる。
悲鳴をあげて逃げる人々。なかには服に火がついて転げ回っている人もいる。

その時だった。

デポルーター内では最も高い建造物である送電塔。
それが青い火花を散らしながらゆっくりと傾いていく。

換者も、人間も、その時全てを理解しただろう。

それだけの時間を十分に与えて加速した送電塔は、内側からいとも簡単にデポルーターの壁を打ち砕いた。


『 』



空が、燃え上がるように赤く、ただひたすらに赤くなる。
太陽を遮るように灰色の雲が湧き出し、真っ赤な空がどんどん広がっていく。

世界中の毒を集めたこのパンドラの箱は開かれてしまった。

DT29が、大量に世界に拡がっていく。


争っていた人々も静まり返った。

次第に聞こえてきたのは、すすり泣く声。

祈る声。 絶望の淵で呟く小さな声。

それはどんな爆発音より、どんな怒号より、
どこまでも響き渡る。
小さくて大きい叫びだ。



街の中心部の高層ビルが、最上階から、何かに蝕まれるように崩れ始める。


砂場に作られた砂の塔を、子供が蹴散らし壊すように。

丁寧に積み上げられた積み木が、ゆっくりと傾き倒れるように。

街が。

人が。

建物が。

世界が崩れていく。


リサはゆっくりと歩き出した。その指先は灰色に染まり、今にも崩れ落ちそうだ。

実際、彼女の周りの人々は、腕がない。
脚がない。

静かに終わるんだな、とリサは思う。
崩れたデポルーターの破片を踏み締めて、歩いてゆく。

揺れる視界が、限界を知らせる。

それでも彼女はたどり着いた。
目の前にいるのは、兄だ。
リサはゆっくりと微笑んだ。



9年ぶりの妹を前に、リイチはガスマスクを外す。


この街は毒を吸いすぎてしまった。
世界中の毒を。

世界は、
誰にも見えない、でも誰もが見える透明な箱の中に閉じ込め、見ないふりをしていた。

その箱の中で、歪みがゆっくりと育ってしまった。
誰も気が付かないほど静かに。


でも、それももう終わる。




リイチは微笑んで、膝から崩れ落ちるリサをそっと抱きしめる。
リサの腕はもう半分は灰色に凍っている。
膝ももう力は残っていないだろう。


徐々に静謐に包まれていく世界。
空の赤は時間を追うごとに濃く、深くなっている。

世界全体が毒に包まれ、終わる時。
終焉の中心で、リイチは微笑んでいた。

どこまでも赤い空を見上げて、全てが無くなる時を、静かに待っていた。

今、ガスマスクを外して見た世界は、もはや歪んではいなかった。


~END~
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