あかぎまんの手紙

文字数 1,069文字

ビラ”映画「最後の誘惑」に対する私たちの応答”に対する××××(あかぎまんの本名)の応答

 ビラ”映画「最後の誘惑」に対する私たちの応答”は、全キリスト者または全教会の総意には基づかないフィクションであり、歪められた全キリスト者像または全キリスト教会像を描いています。キリスト教の背景のない日本では、このビラの配布によって及ぼされる影響は決して小さいものではないと、私××××(あかぎまんの本名)は恐れています。また、このビラによる自由への冒涜に対して心を深く痛めています。

 このビラは「最後の誘惑」を憂慮する会が独自に制作したものを、まるで全キリスト者または全教会の総意であるかのように宣伝しています。ビラに「私たちキリスト者は・・・」との文句が三度、「日本全国のキリスト者、世界のキリスト教信者の・・・」との文句が一度使われています。また、「教会に来て下さるならば」との文句があり、最寄りのキリスト教会の紹介をするという文句があり、ただ「連絡先」として、この会の名が小さく記されているだけです。これこそ××××(あかぎまんの本名)の痛みであり、抗議を呼び起こすことは当然です。

 このビラでの全キリスト者または全キリスト教会は、一本の映画にも耐えられない無力な者として描かれています。もちろん、この会のようにそういうキリスト者もいることはいます。しかし

真のキリスト者または真のキリスト教会は鷹揚で、その信仰は揺るがないものです。

 憂慮する会は「自分のアイデアの全キリスト者または全キリスト教会」を描いています。しかし、他のキリスト者または他のキリスト教会と、この会の思想が根本的な点で違っても、全キリスト者または全キリスト教会を代弁するような表現が用いられ、単に「連絡先」としてだけしかこの会の名が記されていないならば、真実と虚構の相違がこのビラを読む人にはわかりません。その結果このビラは陰険な惑わしとなっています。尊いものである「自由」が否定され、ただ「キリスト者ならばこのように感じるものだ」という「おしつけ」で終わっていると言っても過言ではありません。
 このビラ全体が、真のキリスト者の感性を似て非なるものとすることによって、真のキリスト教の自由を歪めています。

 私××××(あかぎまんの本名)は、このビラによって真のキリスト者または真のキリスト教会の自由が曲解されることに心を深く痛めています。この手紙を書いたのはそのためです。

 文責:〒567××××(当時のあかぎまんの住所)××××(あかぎまんの本名)  1989.2.6.
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