第1話

文字数 4,800文字

 仕事終わり、会社の近くの居酒屋に立ち寄った。
「ねえ、ウチら周りからどう思われているんだろうね」
 同期の笹川が聞いてきた。
「さあ、ただの仕事仲間とでも思われてるんじゃね?」
 ビールを飲みながら、答えた。
「何、俺と笹川が恋人同士にでも見えてほしいわけ?」
「うーん。その方が都合いいんじゃないって思っただけ。別にあんたと付き合おうとか思ってないよ。ほら、こうして飲んでいると、傍から見ればカレカノにも見えないことはないんじゃない?」
「恋人同士なら、もっとマシな店行くだろ?」
 だんだん面倒臭くなってきた。
「そんな、失礼だよ。ここ安くて美味しいんだから。カップル同士で居酒屋だって行くでしょ? いくら付き合ってても毎回オシャレな店に行くわけじゃないし。そりゃ、記念日とかは気合入れるだろうけど。ここ、会社からも近いからさ、会社で公認のカップルとかは来るんじゃない?」
 よく喋るし、よく飲むなと感心する。でも、今日はいつもよりペースが早い気がする。一時間も経たないうちに四杯目のおかわりを頼んでいる。
「おい、笹川。ペース早くねえか? 落ち着いて飲めよ。何かあったか?」
「彼氏でもない人に心配されたくありませーん」
そう言って、わざとらしくそっぽを向く。
「別に彼氏じゃなくても、そんな飲み方していたら心配するだろ? どうしたんだよ、つっかかってくるし。やたらとカレカノにこだわるし」
 しばらく黙っていた笹川が、今度は泣き出しそうになっていた。勘弁してくれよ。このままだと、俺が泣かしてしまったことになりかねない。それこそ、周りから見ればカップルが喧嘩しているとでも思われるのだろうか。それにしても、今まで何度も笹川と飲んだことはあったが、こんなことは初めてだ。いつもはもっと楽しい酒の席だった。気付くと、ついに堪えきれなくなったのか、彼女の目からこぼれ落ちた涙が頬を伝った。やがて、鼻をすする音も響きはじめた。何となく周りからの視線が痛い。慌てて店員にティッシュを持ってくるように頼んだ。
 店を出て、少し歩いたところにある公園まで来ていた。笹川をベンチに座らせ、俺は急いでコンビニまで走って飲み物を買ってきた。
「はい」
 水の入ったペットボトルと、お茶の入ったペットボトルを袋から取り出して渡した。
「ありがとう。二つもくれるの?」
「とりあえず、水飲めば? お茶は後からでも飲めるだろ? 今日はもう、酒ストップな」
「ふふっ。野田は優しいね。ごめんね、ここまで付き合ってくれて。このまま本当に付き合っちゃう?」
「おい、今日は本当にどうしたんだよ。何かあったんだろ?」
 あのままゆっくり店で話せるような雰囲気でもなかったし、コイツが泣かしたんだなと思われているのは間違いないので、いたたまれなくなった。外の空気を吸って、気分転換するためにも店を出た。自分にも、笹川にとってもその方がいいと思って外に出たが、彼女はよほど話したくないのか、ただ水を飲み続けている。
「ちょっと、水まで一気に飲んでないか」
「別に水は大丈夫でしょ? さっきまで優しいと思ったけど、やっぱり野田、ウザい」
「いや、今日はどう考えてもおかしいだろ? これで気にならない方が変だろ?」
 俺も自分用に買ったお茶に口を付けた。
「話したくないなら、無理に話せとは言わないけど。少しゆっくりしたら、送っていくから」
 そう言うと、笹川は急に水を飲むのをやめた。ようやく決心したのか、口を開いた。
「最近さ、同期会しなくなったじゃない? みんな忙しいのもあるけど、白井とみのりが付き合うようになったでしょ?白井幸樹と藤村みのり。まあ、そのおかげでみのりとも話さなくなったんだけど、何か二人別れたらしいんだよね」
 これには俺も驚いた。
「野田チャンスじゃん」
「え、それを言うなら笹川もだろ?」
 すると、笹川がふっと寂しげに笑った。
「そりゃ、白井のことは好きだったよ。だけど、みのりは私が白井のこと好きなの知っていて、応援するとか言っていたのに、結局みのりが告白して付き合うようになったんだよ。そんなの今までどおりに友だち付き合いできないよね。部署が違ったのがせめてもの救いだよね。仕事以外、話さなくなったよ。何度も奪おうって思ったけど」
「最近、結婚間近とか聞いていたから、別れたとは意外だな」
「野田、白井と付き合っちゃいなよ」
 そう言われてお茶を吹き出しそうになった。
「笹川が白井と付き合えばいいだろ?」
 笹川はずっと浮かない顔をしている。何度も藤村から奪おうと思ったくらいの相手だ。付き合えばと言ったものの、そんなに簡単なものではない。
「そんなこと言ったって、本当は野田も複雑でしょ? 野田だって白井のこと好きなくせに」
 周りに人がいないとはいえ、
「おい、やめろよ」
 と思わず叫んだ。でも、笹川はやめる気配がない。
「何よ、お互い白井が好きだったから、こうして相談とかいろいろ話すようになったんでしょ? 野田こそ踏み出せないわけ? 私が付き合ってもいいの?」
 そう言って、また泣きそうになっている。
「そりゃ、白井と付き合えればと思っていたよ。みのりには裏切られて悔しかったし、悲しかった。女友だちは、恋愛が絡むと面倒と実感していたから、野田が白井を好きだと知って、私はよかったと思った。みのりみたいに裏切られることはないだろうし、同じ人を好きって何だか『推し』が同じで安心できたの。ライバルというか、同士だって思っていたの。同じ人へ、報われない片思いしている同士でもあるし」
 そこまで言って、また笹川は水を飲み始めた。
「二人が別れたら、付き合えるって思っていたよ。でも、いざ別れたと聞いたら、何かそういう気になれないの。仮に私が白井と付き合ったら、野田を裏切るみたいで。みのりと同じようなことをするみたいで嫌なの。野田はいいヤツだし、こうして話したり、飲んだりするのも居心地いいし。この関係を壊したくないの。自分が野田を裏切るくらいなら、野田に裏切られる方がマシだって。気付いたんだもん。野田のこと好きだって。ああっ。もう何で不毛な恋ばかりしているんだろう」
「えっ?」
 白井と藤村が別れた話なんかより、衝撃的過ぎてしばらく固まってしまった。
「笹川、自分が言っている意味分かっているか? まだ酔っているんじゃないか?」
 ようやく出てきた言葉は、情けないことにごまかすようなものだった。
「意味分かって言っているわよ。野田が他の人と付き合うのは、本当は嫌だよ。例え白井であっても。でも、野田には自分の気持ちに素直になって幸せになってほしいとも思うし。野田は、同期で信頼し合っている白井との関係を壊したくない、今のままでいいと思っているでしょ? それに、白井が受け入れてくれるか分からないし。そのことで変な噂が立って、会社に行きづらくなるのも避けたいしね」
「笹川の気持ちはありがたいけど、ごめん。人としては好きだよ」
「何それ。まあ、分かっていたけど、人として好きって最低なフラれ方じゃん。決して恋愛対象として見てくれることはないもんね。やっぱり白井が好き?」
 どう答えればいいか分からない。
「俺、女の子とも付き合ったこともあるけど、やっぱり違ったんだ。小学校高学年くらいに、自分は男の人が好きって気付いて、誰にも話せなくて悩んでいた。自分はおかしいんだと思っていたから、何とかしないといけないって、ずっと焦っていた。高校の時、告白されて付き合った女の子がいたんだ。彼女と付き合えば、自分は普通になれるかもしれないって、勝手な思いから。でも、好きになろうとしたけど、ダメだった。頑張って好きになるもんじゃないしね。だから彼女のことはすごく傷つけてしまった。自分のことしか考えていなくて、巻き込んでしまった。悟はずっと別の人を見ていたよねって言われたし。自分は恋愛するべきじゃないって思っていたけど、大学の時、初めて彼氏ができた。四年付き合ったけど、就職を機にいろいろあって別れた。社会人になってからは、誰とも付き合っていない。白井のこと好きになったけど、白井は彼女が途切れることなかったから。こんな話をすると、引かれること多いけど、白井のこと好きって言っても、笹川は普通に受け入れてくれた。それは俺にとってありがたかった。それは本当だよ」
 今まで人に詳しく話せなかったことを、一気に話した。ここまで黙って聞いていた笹川が、
「意気地なし」
 と呟いた。
「彼女が途切れなかったからって、言い訳にしていない? そんなに好きなら他の彼女からでも、みのりからでも奪えばよかったじゃない。私とこんな馴れ合いみたいなこと、しなくてよかったじゃん。それとも、あれ? 白井に本当の気持ちをぶつけるのが怖かったわけ?」
「ああ、そうだよ。怖いよ。好きだからこそ、本当の気持ちぶつけるのが怖いんだよ。普通に女の子が好きな白井を困らせたくない」
 すると、笹川がふっと笑った。
「意気地なしは私もか。奪おうと思ったとか言いながら、できなかったしね。まあ、私が暴走しそうになると、野田が抑えてくれたし。野田が居てくれたから、辛かったけどそんなに塞ぎこまなくて済んだよ。ありがとう」
 笹川に見つめられ、本当にこのまま俺たちが付き合えたらよかったのにと思った。でも、きっと同じことの繰り返しだ。今度は笹川を傷つけてしまう。そんなことを考えていると、
「さあ、帰ろうか」
 そう言って笹川がすくっとベンチから立ち上がった。
「あ、そうだな。そろそろ帰るか。送るよ。タクシー拾うか」
「いや、歩けるよ。歩いた方が気持ちいいし、酔い覚ましにもなるから」
 おぼつかないとまではいかないが、彼女はゆっくりとした足取りで歩き出した。そして、気になっていたことを聞いてみた。
「それにしても、白井と藤村は何で別れることになったんだ? 結婚話も出ていたというのに。白井から結婚するかもしれないと、聞かされていたから」
 そうだ、幸せそうな顔をして白井が話していた。もちろん俺の気持ちなんて知らないだろうから話せたと思うが、おめでとうと口では言ってもちゃんと笑えていたか分からない。
「まさか、白井も野田が自分のこと好きだなんて思わないから、呑気に話せたんだろうね。たしかに結婚話は出ていたみたいだけど、そこからおかしくなったみたいね。実はさ、みのり最低なヤツなの。取引先に羽島商事ってあるでしょ? そこの専務の息子と婚約したらしくてさ。本命は専務の息子で、白井は遊びだったってわけ。私の気持ちを知っていながら、白井を遊び相手に利用したんだからさ。もう、その時点でアウトだよね。後で分かったことだけど、友だちのフリして陰で私の悪口言っていたみたいだし、前から男癖悪いって話も納得したわ。結局得しているの、みのりだけじゃない。ボンボンが早くみのりの本性に気付けばいいんだけど。ああいう、おとなしそうな女が一番ヤバいんだから」
 今日はこれ以上動じないと思っていたが、なかなかパンチのある話だ。藤村に引っ掻き回された俺たちは、何だったのだろう。
「白井もコロッと騙されてさ。好きになった相手でもあるけど、見る目なかったよね。まあ一番、白井がかわいそうだけど」
 俺の気持ちを察したかのようにまた笹川が続けた。
「もう、ここまででいいよ」
「え、家まで送るよ。あともう少しじゃん」
笹川の家まで送るつもりだったが、そうはさせてくれなかった。
「ありがとう。コンビニに寄りたいし。今日はいろいろごめんね。じゃあ、お疲れ様」
 お互い軽く手を振った。笹川がコンビニに入ったのを確認してから歩き出した。
 ふと、ウチら周りからどう思われているんだろうと言った笹川の言葉を思い出した。
「漸近線(ゼンキンセン)みたいだな」
 昔、数学で習った近づくけど決して交わらない直線を思い浮かべた。
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