夜空の朝顔

文字数 2,827文字

 
  別に住む家を探していた訳じゃない、ましてや古い一軒家なんて。
 だが何故か家の前を立ち去れないでいた。
 もう何年も人が住んでいないのだろう、フェンスに貼られた『貸家』の張り紙は()がれかかっている。 
 「その家が気になるのかい」
 (しょう)はいきなり話しかけられた。声の主は隣家の庭先にいた中年の女性だった、どうやら隣人のようだ。
 「随分と古いようですね」
 「築九十年だって・・その家を借りるつもりかい?」
 「ウーン、どうしようかな」
 「やめておいた方がいいよ。幽霊が出るんだから」
 「まさか」
 「本当だって。この前だって郵便配達員が庭で植木に水やってるお爺さんを見かけて挨拶したら目の前でお爺さんが消えちまって、青白い顔してウチに飛び込んできたんだから」
 隣人は翔が尋ねた訳でもないのに、でるのは五年前に亡くなった佐田吉雄の幽霊で亡くなるまでこの家に住んでいたと教えてくれた。
 今まで何回も目撃されている事、昼だろうがお(かま)いなく所構(ところかま)わずにでる事などをまくしたてた。
 普通ならば、その話に借りる気も失せるだろう。
 だが隣人の話が終わる頃には、この家を借りたいと思う気持ちは揺るぎないものとなっていた。
 するとさっきまで地面に根っこがはえた様に動かなかった足が急に動かせる様になった。

 そして翔は今、幽霊がでると有名な家に引っ越しの真っ最中なのだった。

 翌朝、玄関で呼鈴が鳴ったので寝ぼけ(まなこ)でドアを開けると隣のおばさんがカボチャの煮物を手に立っていた。
 「あっ、生きてた」縁起でもない事を言う。
 「お早うございます」
 「お早う、で、どうだった?幽霊でた?」
 翔はかぶりを振った。
 隣人は明らかに失望したようだったので翔は苦笑した。
 確かに彼自身、覚悟していただけに拍子抜けだった。
 おばさんから貰った煮物をおかずに朝食を終えると、やり残していた荷解(にほど)きの続きにとりかかった。
 翔は和室に移動し押入れを開け中を見ると上の天袋(てんぶくろ)も開けた。
 指先に何か当たった。
 手探りで取ってみるとそれは少し色あせた手紙だった。

 二日後、松岡正一の自宅マンションのソファーに翔は腰を下ろしていた。
 「皆で集まって花火を見る?」松岡は()いた。
 「ええ、七十年前に佐田吉雄さんの家で約束したのを覚えていますか?」
 「ああ、覚えてるよ。毎年、夏に花火を見ると思い出すんだ。十歳の時に四人で集まって打ち上げ花火を見てその時、八十になってもまた集まって花火を見よう、と約束したんだよ」
 「そうでしたか」
 「そうか、よっちゃん、元気?」
 「五年前に亡くなりました」
 「えっ・・・・じゃあ、なんで花火を見ようと?」
 「彼の遺志なのです」
 翔は手紙を松岡に手渡した。
 手紙を読み終えた彼は目をしばたたいて言った。
 「いいね。集まろうよ。花火見ようよ」

 翔は松岡に残りの二人の名前を教えてもらい探し始めた。
 高梨和子
 溝口みつえ
 女性二人だった。
 女性陣の捜索は難航した。結婚して苗字が変わっていたからだ。
 それでもまず高梨和子が見つかった。
 彼女の家を訪ねた翔は和子が亡くなった事を知る。
 わずか、二ヶ月前の事だった。
 仏壇に手を合わせながら落胆の色が隠せない翔にねぎらいの言葉をかけてくれたのが二十四歳の孫娘の咲だった。
 翔は彼女を凝視した。
 咲は笑って言った。「驚きました?よく言われるんです。亡くなった祖母にそっくりだって」
 翔は集まりに彼女を誘い、彼女も快諾(かいだく)した。
 そして最後の溝口みつえも見つかった。
 認知症の症状が進み、グループホームに入所していた。
 家族の話では自分の事を子供だと思っているらしく、昔、見た花火の話を口にするらしい。
 こうして溝口みつえも集まりに参加する事になった。

 打ち上げ花火当日、三人は七十年前と同じ佐田吉雄の家に集まった。
 和子にそっくりな咲を見て正一は驚いた。
 子供に戻ってしまっているみつえは「かずちゃん」と咲に抱き付く。
 三人で昔、そうした様に縁側に座布団を並べて座り花火が始まるのを待つ。
 「あっ、朝顔」みつえは嬉しそうに言うと庭の朝顔を指差した。
 「そうだ」
 咲は立ち上がり三人の横にもう一枚、座布団を置いた。
 「よっちゃんのか」今度は正一が嬉しそうに言った。
 そして立ち上がると缶ビールを吉雄の座布団の前に置きながら言った。
 「子供だから分からなかったんだよなぁ、全ての人が八十まで元気でいられるとは限らないって事が・・約束があと十年早ければ・・皆、元気だったろうに・・」
 彼は自分の缶ビールを吉雄の缶ビールにかざした。
 咲もそれをまねる。「乾杯(かんぱい)。吉雄さん」
 その時、花火が上がった。
 色とりどりの花火が次から次へと上がる。
 「朝顔よ、かずちゃん」みつえが咲に言う。
 「朝顔?」
 「ああ、みっちゃんは昔から花火を朝顔みたいっていうんだよ。多分、色とりどりだからかな?」正一が言った。
 夜空に朝顔が開く。
 色とりどりの朝顔が開く。

 部屋の中でタバコをくゆらせながら縁側を見ていた翔が息をのむ。

 一瞬だが三人の横の誰も座っていない筈の座布団に白髪頭の男性が座っているのが見えたような
・・・

 花火は終わった。
 三人は帰路につく。
 別れ際、正一が言った。「じゃ、また」
 「ええ、また」
 「バイバイ」
 『また』は無い事を二人は知っている、でも笑顔だった。

 花火は終わった。
 もうすぐ夏も終わりを迎える。
 独り縁側で庭の閉じた朝顔に翔は話かける。
 「これでよかったんですか?」
 風も無いのに朝顔が揺れる。

 正一が言った様に十歳の子供には分からなかったのだ、八十という年齢がどういうものか。
 だが、分かっていた事もあった。
 四人の子供たちは子供ながらに気付いていた。
 新聞やラジオのニュースに大人たちが表情を曇らせるのを・・
 戦争が始まり、大人が言う『イヤな時代』がやってくるのを・・
 日常のいろどりが失われるのを・・
 花火大会が来年は多分、無い事を・・

 だから約束したのだ、八十になったら花火を一緒に見ようと・・

 四人は約束をずっと忘れていなかった。
 正一は勿論、みつえは病に侵されても、それでもなお覚えていた。
 和子は・・和子の魂は咲は気付いていないが彼女の中に(とど)まっていた、今夜の為に。
 そして吉雄は・・七十五で病に侵され八十を迎えられない事を悟った時

 正一に手紙を書いたのだ。
 朝顔が好きなみつえの為に庭に朝顔を植え、そして・・
 亡くなってからはわざと幽霊の姿を人々に見せ、この家に借り手がつかない様にして来たのだ。

 そして今宵を迎えたのだ。
 
 四人は七十年の時を経て約束を守ったのだ。
 
 「これで良かったんですか?ちゃんと皆、集まっていると・・正一さんだけにでも教えればよかったんじゃないでしょうか」

 朝顔が揺れた。まるで『これでいいのだ』といっているかの様に・・
 
 その夜からこの家で幽霊を見た者はいない。
 やがて秋風が吹くと庭の朝顔も花を落とした。
 
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