事後説明

文字数 3,281文字

目を開けると、見慣れた天井があった。
えらく現実的な夢を見た。
少女の手が口に触れる感触、言葉が耳に入る感覚、不穏な風の匂い、怪物の彫像の冷たさ、魔王の低く太く大きな声、勇者の絶叫、魔法と斬撃の輝き。投げ飛ばされて心臓がヒュンとなった時も。
鮮明に覚えている。こんなに夢をはっきりと覚えているなんて初めてだ。
時計を見ると、午前六時ちょうど。
ちょっと早いけど起きよう。上体を起こす。
ここで、目が点になる。
「おはよう」
自室にとってありえない声。女性の声という相容れない音。
驚いた猫のように飛び起き、本能的に近くにあったテレビのリモコンを手にし、それをナイフに見立てて対象に向ける。
玄関に続く廊下の手前、ドアを背にして、
「驚くよね。でもそれが普通」
夢に見た少女がいた。
夢と全く同じ服装で立っていた。髪型も、背丈も、声も。
「な、……」
頭の中に言葉が渦巻く。現実、夢、夢、現実、現実、夢、不法侵入、かわいい、現実、夢、夢、不法侵入、泥棒、現実、夢、金髪、口、夢、魔王、魔王、緑色の爆炎、現実、夢、死。
「なんで、どうやってっ」
鍵をかけ忘れたか? いや、しっかり閉めた。窓も。
「落ち着いて。もう魔王城じゃないの」
俺はリモコンを構えてどうするつもりだ。リモコンでなにができる。
それよりもまず少女が何をするか考えろよ。
「まだ夢なのか!」
大声を出した。きっと、俺に届くように。未だ寝ている俺を起こすために。
夢の続きを見ていると解釈するのが、最も論理的で人道的で倫理的だと思った。
「いえ。これは夢じゃない。さっきのも、夢じゃない」
少女はそっと正座になり、ヒザを掴むように手を置いて、まっすぐ俺の目を見た。
俺は目を逸らして部屋の中を観察した。
どう見ても、どう考えても自分の部屋だ。
「聴いて。まずは事後説明になったことをお詫びします。ごめんなさい」
外は無音。異様な静けさが部屋を囲んでいる。
俺が住むマンションは道路に面していて、朝になれば車や通学通勤する人の音が自然とうるさくない程度に入ってくる。電車が走る音も聞こえる。午前六時。一日はとっくに始まっている。
「でもあれが一番早く理解できる方法なの。信じてほしい」
なんだこれは。なんだここは。異様な静けさ。少女の声しか聞こえない。自分の部屋なのは確かだけど、停止した時間のなかにあるような。
そうだ、ベランダのカーテンを開ければいい。
いい? いい、ってどういうことだよ。
俺はこのとき本能的に気づいていた。のかもしれない。
この部屋は俺の部屋であって、俺の部屋ではない。のかもしれない。
「それに安心して。ここは安全だから」
うるさい。ちょっとかわいいからって調子に乗りやがって。速攻で通報してやる。寝ている俺に何かしたんだろ。催眠的な。
「何が安全だよ。ここは俺の部屋……」
言いながらじりじりベランダに近づき、シャー、と、カーテンを開けて俺は絶句した。
三階。数メートル離れたところに向かいのマンションのベランダがある。平和そのものの四人家族が住んでいて、洗濯物を干すときに時折奥さんと目が合って、覗いているわけではないのに気まずい思いをする。でも奥さんは笑顔で会釈してくれる。
少し遠くを見ると、川があって、橋が架かっていて、電車と車が走っていて、ジョギングする人がいて。
そんなどこにでもある景色があるはずなのに。
ベランダの向こうはひたすらに闇だった。
無限に落ち続ける穴のような空間があるだけだった。
間近にあるけど永遠に手が届かない無。
大きさという概念の外側にある黒。
宇宙に飲み込まれたような感覚に、俺は、
「おえっ」
吐き気がした。昨日の夜に食べたカップ焼きそばの味と、胃液の酸っぱさが口内に溢れる。
昨日食べたカップ焼きそば?!
「どういうことだよ。何なんだよ、おい」
吐き気で、一気に現実味が口に広がった。
現実であった昨日とつながっている、ここは、これは、今は、現実に起こっていること。
少女の態度は変わらない。淡々としているが、申し訳なさそうな顔で言う。
「説明します。まず、ここはあなたの部屋を模したもので、本当のあなたの部屋ではない」
リモコンを掴んだ手が、力なく降りていく。
「なんで、そんな部屋つくったの」
「少しでも驚かせないための配慮です」
「充分驚いたけど」
「そしてここは、あなたが生まれ、育った世界とは違う世界。つまりあなたにとっては異世界ということになります」
「異世界? ラノベとかでよく見る?」
「そうです。でも特定のどこか、というより、異世界と異世界の狭間、と言った方がいいでしょう」
「狭間?」
「ええ。私たちはここを『異世界管理世界』と呼んでいます」
「私たちって?」
少女は説明する。
現時点のここがどこの世界にも属さない世界であること。
魔王城で爆死したのは夢ではなく事実であるということ。
俺が爆死したおかげで勇者が魔王に勝利したこと。
勇者が勝利したことによってあの世界に平和がもたらされたこと。
死んだ世界には永遠に干渉できないこと。
少女のような存在が他に10名ほどいて世界同士の均衡を保っていること。
「簡単に言うと派遣会社みたいなものなの」
派遣会社については詳しくないが、
「だったら要請があったのか? あの魔王の世界から」
「いえ」
少女はきっぱりとした口調と姿勢で言う。
「我々が判断したまで。というか今のところ我々を除いて、違う世界からこちらにアクセスできる存在はいません」
「勝手に派遣やってんのか?」
「勝手とは、まあ、外から見たらそうでしょう。でも世界同士の均衡を保つのに必要なことだったの」
「世界同士の均衡を保つ。よくわからん。例えば魔王でなくても、利己的な奴が世界を支配する。なんてこともありえるんじゃないのか? それはその世界にとって、普通のことじゃないのか?」
ハッピーエンドだけではない、なんて童話でも教えてくれる。
「実はあの勇者、我々があの世界に送り込んだの」
「俺みたいに?」
「そう。実際に、あの勇者はあなたの世界の人間だった。でも勝手にではないの。事前に説明したし、同意書に署名捺印してもらっています」
「署名捺印するのか」
「それに、体力魔力共にあの世界でトップクラスの能力を付与し、彼の希望で付き添いの女性も用意しました」
付き添いの女性。というところで何かしらが反応する俺はダメだ。
それにしても、と少女は続ける。
「まさか勇者の彼があそこまで無能だとは思わなかった。完全なる人選ミスよ」
「トップクラスの能力与えたんだろ? それでダメなら仕方ないだろう。魔王城では独りで立ち向かったじゃないか。充分だと思うが」
「いえ。独りで戦うようになったのは、彼自身が招いたことなの」
「というと?」
「魔王城に行きつくまでに付き添いの女性を、そして魔王城で仲間であった魔法使いと武闘家を、それぞれ自分勝手な理由で、つまり自分の盾にして死なせたの。……あと、魔法使いと武闘家も女性であったことを付け加えておくわ」
ぶっ殺してやる! クソ魔王が!
あれは勇者の言葉ではなく、彼自身の言葉だったのか。
「貸与した能力のなかにそういうチカラも含まれていたから、ハーレムにするのは目をつむった。でも仲間をぞんざいに扱い、あまつさえ死に至らしめる彼の身勝手さに、途中介入は避けられなかった。物語のように上手くはいかないの」
俺はそんな最低な野郎の身代わりになったのか。聴くんじゃなかった。
「では本題に入りましょう。あなたをここに連れてきた理由を説明させて」
「そうだよ。俺には何の説明もなかったよな」
「冒頭に謝ったじゃない」
少女は呆れ顔から真顔になって、言う。
「我々の中に、許可なく勝手に異世界から異世界へ人間を飛ばしている者がいるの」
やはり外は黒くて、無限にあるようで。
ここは俺が知る現実の世界じゃないと無音で教えてくれている。
「その違反者を、一緒に探してほしいの」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み