第1話
文字数 1,143文字
これは、わたしの大好きなエッセイ集、江國香織さんの“とるにたらないものもの”に憧れて、憧れすぎて、書いているものです。
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ピーラーからするすると舞い降りるにんじん。
それはまるで、新体操のリボン。幾重ものカーブを描き、ボウルにさらっと着地する、オレンジ色のリボン。
広い厨房の、真っ白な調理台に置かれた透明のボウルには、オレンジ色が、次々と舞い降りる。ひらひらと踊るように着地する、細長いリボン。
ボウルのなかで、ふぅわりと積み重なるにんじんからは、はかなさがにじみでていて、思わず守ってあげたくなるような薄さだった。
ピーラーから舞い降りるにんじんは、非の打ちどころのない美しさ。
子供のころからにんじんが苦手で、これまで1度も美味しいと思ったことがないのに、そのときだけはなぜか、にんじんのオレンジ色に惹きつけられた。
「このスープ、23番テーブルの男性のほう。Aコースね」
そう言われ、視線をピーラーから店長に移す。フレンチレストランでアルバイトをしていたときのことだ。
シェフが手のひらで握ったシルバーのピーラーから、するすると弧を描くように舞い降りるオレンジ色。その情景は、ふぅーっとため息をつくほど美しく、しばらく頭から離れなかった。
ある日のバイトを終えるとき、シェフにお願いしてピーラーを見せてもらった。
どのメーカーのものだったか、名前はすっかり忘れてしまったが、ドイツ製のピーラーだったことは覚えている。
そのステンレス製のピーラーを、厨房の灯りの下におく。
持ち手には、薄い線のような細かい傷がたくさんついていて、いかにも使い込んであるという風合いを醸しだしていた。これぞプロの道具、という感じ。
「握らせてもらってもいいですか」
シェフにお願いして、右手で掴んでみる。ピーラーの持ち手は思っていたよりも太く、ひぃやりと冷たかった。
この刃の部分から、あの、はかないにんじんの舞いが生まれたのかと思い、しみじみと刃をながめる。あまりにもしげしげと見つめるものだから、シェフが怪訝そうな顔をした。
「この刃から落ちるにんじんの姿から、目を離せなかったんです」
ポツリとそう言うと、シェフは、それはそれは嬉しそうな表情を浮かべ、なにも言わずにわたしの顔を見つめて、何度も何度もうなずいてくれた。
家のキッチンにあるピーラーを手にとるたびに、あのたくましい風貌のドイツ製ピーラーと、そこからひらひらと舞い降りるオレンジ色のリボンと、相好を崩したシェフの顔を思い出す。
そして、我が家のピーラーが、ひどく頼りなく思えてくるのだ。
このピーラーからは、あの思わず見入ってしまうような、切なくなるような、オレンジ色の舞いは生まれない。
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ピーラーからするすると舞い降りるにんじん。
それはまるで、新体操のリボン。幾重ものカーブを描き、ボウルにさらっと着地する、オレンジ色のリボン。
広い厨房の、真っ白な調理台に置かれた透明のボウルには、オレンジ色が、次々と舞い降りる。ひらひらと踊るように着地する、細長いリボン。
ボウルのなかで、ふぅわりと積み重なるにんじんからは、はかなさがにじみでていて、思わず守ってあげたくなるような薄さだった。
ピーラーから舞い降りるにんじんは、非の打ちどころのない美しさ。
子供のころからにんじんが苦手で、これまで1度も美味しいと思ったことがないのに、そのときだけはなぜか、にんじんのオレンジ色に惹きつけられた。
「このスープ、23番テーブルの男性のほう。Aコースね」
そう言われ、視線をピーラーから店長に移す。フレンチレストランでアルバイトをしていたときのことだ。
シェフが手のひらで握ったシルバーのピーラーから、するすると弧を描くように舞い降りるオレンジ色。その情景は、ふぅーっとため息をつくほど美しく、しばらく頭から離れなかった。
ある日のバイトを終えるとき、シェフにお願いしてピーラーを見せてもらった。
どのメーカーのものだったか、名前はすっかり忘れてしまったが、ドイツ製のピーラーだったことは覚えている。
そのステンレス製のピーラーを、厨房の灯りの下におく。
持ち手には、薄い線のような細かい傷がたくさんついていて、いかにも使い込んであるという風合いを醸しだしていた。これぞプロの道具、という感じ。
「握らせてもらってもいいですか」
シェフにお願いして、右手で掴んでみる。ピーラーの持ち手は思っていたよりも太く、ひぃやりと冷たかった。
この刃の部分から、あの、はかないにんじんの舞いが生まれたのかと思い、しみじみと刃をながめる。あまりにもしげしげと見つめるものだから、シェフが怪訝そうな顔をした。
「この刃から落ちるにんじんの姿から、目を離せなかったんです」
ポツリとそう言うと、シェフは、それはそれは嬉しそうな表情を浮かべ、なにも言わずにわたしの顔を見つめて、何度も何度もうなずいてくれた。
家のキッチンにあるピーラーを手にとるたびに、あのたくましい風貌のドイツ製ピーラーと、そこからひらひらと舞い降りるオレンジ色のリボンと、相好を崩したシェフの顔を思い出す。
そして、我が家のピーラーが、ひどく頼りなく思えてくるのだ。
このピーラーからは、あの思わず見入ってしまうような、切なくなるような、オレンジ色の舞いは生まれない。
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