朝の大一番

文字数 1,218文字

「私はそれに勝つことができない」
 私は毎朝あるものと格闘している。戦うことは好きではないのだが、どうしてもそれを避けて通ることができない。
 対戦成績は七勝十五敗。明日を逃すと今月の負け越しが決まる。どうしても勝たなければならない。
「この時期になると、途端に調子悪くなるんだよなぁ」
 特に春。生まれてこの方、勝ち越せた例しがない。取り組みは真っ暗で寒い場所で行われる。
 相手は抜け出そうとして疲れたところを温かさで誘惑してくる。その温度がまた絶妙なのだ。そして、迷っている隙に拘束され、気づいたときには離れられなくなっている。どんなに意識していようとも必ずひっかかってしまうし、仮に逃げようとすれば、強引に中へ引きずり込まれる。いずれにおいてもその後は同じで、思考する間もなく倒される。気づいたときには全てが終わっているのだ。
 弱点分析に、戦略構築。どちらをとっても相手の手腕に脱帽してしまう。だが、私だってここまで詳細に分析しているのだから負けるはずがない。
「明日こそ勝つ」

***

 大音量の音が今朝の取り組みの始まりを告げる。
「無防備に構え、何を考えているんだ?」 
 相手はいつもどおりに体を大きく広げ、堂々と待ち構えている。隙だらけに見えるのだが、それが返ってどこを攻めれば良いのか分からなくさせている。
「はぁ、またこれだよ。参ったな」
 お見合い状態が続く。いつも通り、しびれを切らした私から仕掛ける。
 掴もうとするも、ひらひらと交わされる。やっとの事で掴めたが、大きな体に包み込まれてしまった。抜け出そうとするも手足をしっかりと拘束されていて離れられない。
「ふあぁ」
 それに、なんだか心地よい熱が伝わってくる。取組中だというのにうとうとしてしまう。
「いけないいけない。もう後はないんだから」
 相手の拘束が緩みだす。長い間掴んでいたら、相手だって疲れるのは同じ。今なら抜け出せるか?しかし、こちらももう体に力が入らない。
「また、負けるのか」
 いまなら逃げられるのに。そうか。逃げるために暴れて疲れたんだ。
 反撃する間もなく、相手に倒される。適度な重さが体にかかった。疲れた体と相乗効果を成して気持ちよくなる。
 そもそも挑もうとすること事態が間違っていたのかも知れない。わざと勝機を与えて、油断させたところで反撃するつもりだったのだろう。そうすることで「絶対に勝てない相手だ」、ということを教えるのが目的だったのだ。そうだ、そうに違いない。この全ては最初から罠だったのだ。
「なら、おとなしく術中にはまっているほうが、幸せなのではないだろうか」
────ただいまの決まり手は二度寝。二度寝で、布団の勝ち。
「李白が言った『春眠暁を覚えず』とは、このことを言うのかムニャムニャ……」
 今月の取り組みは負け越しが決まった。だがそんなことなど気にも止めず、温かい布団に包まれて再び夢の世界に戻る。
 私は完全なる勝利を確信して、再び二度寝をするのだ。
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