第2話 どこまでも年齢不詳
文字数 2,518文字
「はい質問。先生は四十五歳より上ですか下ですか? ちなみにこれ、うちの母ちゃんの歳です!」
そう甲高い声を出したのは、おしゃべりチビ野郎との異名を持つケイスケだ。
さすがにそれより下ってことはないだろう、と誰もが思ったけれど、一応、先生の反応を待ってみる。
「もちろん」すると先生は、ここでちょっと間を置いて、全員の注目をしっかりと集めてから、満面の笑みを浮かべて言う。「し・た・でーす!」
「ええーっ!」
「うそだろ?」
誰もが失礼ということも忘れ、正直すぎるリアクションをしてしまう。
だけど、先生は少しもムッとすることなく、大げさに目を丸くしてみせる。
「ええーって、何です。私、そんなに老けてみえますか?」
「いえ、そんなことはありません!」
すかさず、ゴマすりのシンゴがフォローしたけど、ピクピクした鼻を見れば、本心じゃないことは確かだ。
でも四十五歳より下なんて、ビックリを通りこして、ちょっとショック。
だってうちのお母さんも今年、四十五になるんだもの。
だけど、そう思って見れば、そう見えなくもないのだろうか。
……って、ないない、それだけは断じてありえない!
どうひいき目に見たって、十か──いや、もっと言っちゃえば──二十は上に見える。
何かとんでもない苦労をしたとか、一気に老けこむような悲しい体験でもあったのだろうか。
だとしたら、かわいそうだ。
私は、先生の口元に刻まれたほうれい線を見ながら、少しだけしんみりしてしまった。
となりの席では、年のはなれたお兄さんのいるタケシが、無言のまま、貧乏ゆすりをはじめた。
授業参観のたびに、お母さんが高齢ってことでイジられるんだから、複雑な気持ちになるのも無理はない。
ほかのみんなも、先生と両親とをくらべて、自分のちっぽけな常識と格闘しているのかもしれない。
と、ここで人気者のアツシが手を上げる。
「じゃあ、先生は四十四歳ですか?」
ライバルのマサトも負けてはいない。
「いや、四十三ってことだってあるぜ」
二人の発言を受け、先生はまだ余裕たっぷりといった様子で言う。
「もっと、下ですってば」
「マジかよ。ってことは、三十代ってこともアリか」
アキラがボソッとつぶやくと、先生は急に真顔になってから言う。
「アリもアリ、オオアリクイです」
何という、反応しづらいギャグ。
「あははは」
クラスに広まったさざめき笑いがおさまったところで、私も満を持して、手を上げてみた。
「それじゃあ、三十九歳ですか?」
普段はあまり発表したがらないサクラも、すぐあとに続いた。
「えっと、三十八歳です!」
だけど、先生はあきれたように、何度も首をふってみせる。
「そんなにチマチマと数字を下げてたら、あっという間に日が暮れちゃいますよ」
この強気な発言に、クラス中にどよめきが起こる。
「じゃあ、思い切って三十五歳」
「いっそ、三十二歳だ!」
売れ残ってどうしようもない商品のセール価格みたいに、数字はどんどん下がっていく。
そのつど先生は「まだまだ」とか「もう一声!」なんて、嬉しそうにクラスをあおってみせる。
こうなると、本当の年齢を知りたいなんていう好奇心より、この興奮のるつぼと化したお祭り騒ぎを、もっと長引かせて、楽しみたいっていう気持ちの方が強くなってくる。
きっと、みんなも同じだろう。
だって自分たち史上、一番つまらないと思っていたクラスが、こんなにも盛り上がって一体となる、魔法のような奇跡が起こったんだもの!
だけど……、このハッピーな流れを、見事、一瞬にしてせき止めてしまう、とんでもない猛者が現れた。
クラス一、空気を読まないことで有名な、アヤカだ。
「あの、もしかして先生、六十歳だったりして」
これにはさすがに、クラス中からブーイングの嵐が起こる。
「ちょっとアヤカ、何言ってんの」
「今までの流れ、ちゃんとわかってる?」
この程度のツッコミですませられる女子たちは、まだいい方だ。
男子たちは待ってましたとばかりに、容赦のない集中砲火を浴びせる。
「んっなわけねえだろ!」
「六十っていったら、先生が定年退職する歳じゃねえか」
ドSのリクなんて、丸めた塾の問題集をトントンと壁に打ち付け、コントの監督役みたいにダメ出しする。
「おい、意外と若いっていうヒントはどこ行ったんだよ。お前絶対、文章問題できねえだろ」
「ハハ、空気を一瞬で凍らせるエルサってのは、お前のことだったのか」
うまいこと言ったつもりのダイチは、一度フラれたことのあるマイカをチラ見して、反応を確かめている。
……ああ、アヤカは大丈夫かな。
家が近所で、保育園も一緒だった私は、ハラハラしながらおさななじみの様子を見守る。
だってアヤカは空気こそ読めないけど、それにはまったく悪意がなく、ただ不器用すぎて、みんながドン引きするようなことを口走ってしまうだけなんだから。
今回だって、先生に失礼なことを言っちゃいけないって思いと、見た目のまま、正直に言うべきだっていうマジメさとがせめぎ合い、もつれ合い……、結局、自分でもわけがわかんなくなって、あんなことを言っちゃったんだと思う。
「あ、泣いてやんの!」
ミナトに指摘され、アヤカはこらえきれず、肩をふるわせ号泣しはじめた。
おさげ髪から見える耳は、完熟トマトみたいに真っ赤だ。
「おい、泣かせてんじゃねえよ」
「お前が一番、ひどいこと言ったんだろ」
「うるせー!」
とうとう男子たちは、言い合いをはじめた。
「アヤカ、大丈夫?」
「泣かないでいいよ」
キツいことを言っていた女子たちも、手のひら返しで優しくなる。
これぞ女子の鑑だ。
もはやこうなってしまったら、ベテラン教師としての、守谷先生の采配に期待するしかない。
でも、そう思って先生の方を見たとき、私の予想は一瞬にして覆されることになる。
さっきまでのなごやかな表情とは打って変わって、先生の顔が、能面みたいに無表情になっていたのだ。
これには誰もが、得体の知れない恐怖を感じ、教室全体にピーンと張りつめたような緊張が走った。
さすがのアヤカもただならぬ気配だけは感じ取れたようで、すぐにしゃくりあげるのをやめ、体を硬直させた。
そう甲高い声を出したのは、おしゃべりチビ野郎との異名を持つケイスケだ。
さすがにそれより下ってことはないだろう、と誰もが思ったけれど、一応、先生の反応を待ってみる。
「もちろん」すると先生は、ここでちょっと間を置いて、全員の注目をしっかりと集めてから、満面の笑みを浮かべて言う。「し・た・でーす!」
「ええーっ!」
「うそだろ?」
誰もが失礼ということも忘れ、正直すぎるリアクションをしてしまう。
だけど、先生は少しもムッとすることなく、大げさに目を丸くしてみせる。
「ええーって、何です。私、そんなに老けてみえますか?」
「いえ、そんなことはありません!」
すかさず、ゴマすりのシンゴがフォローしたけど、ピクピクした鼻を見れば、本心じゃないことは確かだ。
でも四十五歳より下なんて、ビックリを通りこして、ちょっとショック。
だってうちのお母さんも今年、四十五になるんだもの。
だけど、そう思って見れば、そう見えなくもないのだろうか。
……って、ないない、それだけは断じてありえない!
どうひいき目に見たって、十か──いや、もっと言っちゃえば──二十は上に見える。
何かとんでもない苦労をしたとか、一気に老けこむような悲しい体験でもあったのだろうか。
だとしたら、かわいそうだ。
私は、先生の口元に刻まれたほうれい線を見ながら、少しだけしんみりしてしまった。
となりの席では、年のはなれたお兄さんのいるタケシが、無言のまま、貧乏ゆすりをはじめた。
授業参観のたびに、お母さんが高齢ってことでイジられるんだから、複雑な気持ちになるのも無理はない。
ほかのみんなも、先生と両親とをくらべて、自分のちっぽけな常識と格闘しているのかもしれない。
と、ここで人気者のアツシが手を上げる。
「じゃあ、先生は四十四歳ですか?」
ライバルのマサトも負けてはいない。
「いや、四十三ってことだってあるぜ」
二人の発言を受け、先生はまだ余裕たっぷりといった様子で言う。
「もっと、下ですってば」
「マジかよ。ってことは、三十代ってこともアリか」
アキラがボソッとつぶやくと、先生は急に真顔になってから言う。
「アリもアリ、オオアリクイです」
何という、反応しづらいギャグ。
「あははは」
クラスに広まったさざめき笑いがおさまったところで、私も満を持して、手を上げてみた。
「それじゃあ、三十九歳ですか?」
普段はあまり発表したがらないサクラも、すぐあとに続いた。
「えっと、三十八歳です!」
だけど、先生はあきれたように、何度も首をふってみせる。
「そんなにチマチマと数字を下げてたら、あっという間に日が暮れちゃいますよ」
この強気な発言に、クラス中にどよめきが起こる。
「じゃあ、思い切って三十五歳」
「いっそ、三十二歳だ!」
売れ残ってどうしようもない商品のセール価格みたいに、数字はどんどん下がっていく。
そのつど先生は「まだまだ」とか「もう一声!」なんて、嬉しそうにクラスをあおってみせる。
こうなると、本当の年齢を知りたいなんていう好奇心より、この興奮のるつぼと化したお祭り騒ぎを、もっと長引かせて、楽しみたいっていう気持ちの方が強くなってくる。
きっと、みんなも同じだろう。
だって自分たち史上、一番つまらないと思っていたクラスが、こんなにも盛り上がって一体となる、魔法のような奇跡が起こったんだもの!
だけど……、このハッピーな流れを、見事、一瞬にしてせき止めてしまう、とんでもない猛者が現れた。
クラス一、空気を読まないことで有名な、アヤカだ。
「あの、もしかして先生、六十歳だったりして」
これにはさすがに、クラス中からブーイングの嵐が起こる。
「ちょっとアヤカ、何言ってんの」
「今までの流れ、ちゃんとわかってる?」
この程度のツッコミですませられる女子たちは、まだいい方だ。
男子たちは待ってましたとばかりに、容赦のない集中砲火を浴びせる。
「んっなわけねえだろ!」
「六十っていったら、先生が定年退職する歳じゃねえか」
ドSのリクなんて、丸めた塾の問題集をトントンと壁に打ち付け、コントの監督役みたいにダメ出しする。
「おい、意外と若いっていうヒントはどこ行ったんだよ。お前絶対、文章問題できねえだろ」
「ハハ、空気を一瞬で凍らせるエルサってのは、お前のことだったのか」
うまいこと言ったつもりのダイチは、一度フラれたことのあるマイカをチラ見して、反応を確かめている。
……ああ、アヤカは大丈夫かな。
家が近所で、保育園も一緒だった私は、ハラハラしながらおさななじみの様子を見守る。
だってアヤカは空気こそ読めないけど、それにはまったく悪意がなく、ただ不器用すぎて、みんながドン引きするようなことを口走ってしまうだけなんだから。
今回だって、先生に失礼なことを言っちゃいけないって思いと、見た目のまま、正直に言うべきだっていうマジメさとがせめぎ合い、もつれ合い……、結局、自分でもわけがわかんなくなって、あんなことを言っちゃったんだと思う。
「あ、泣いてやんの!」
ミナトに指摘され、アヤカはこらえきれず、肩をふるわせ号泣しはじめた。
おさげ髪から見える耳は、完熟トマトみたいに真っ赤だ。
「おい、泣かせてんじゃねえよ」
「お前が一番、ひどいこと言ったんだろ」
「うるせー!」
とうとう男子たちは、言い合いをはじめた。
「アヤカ、大丈夫?」
「泣かないでいいよ」
キツいことを言っていた女子たちも、手のひら返しで優しくなる。
これぞ女子の鑑だ。
もはやこうなってしまったら、ベテラン教師としての、守谷先生の采配に期待するしかない。
でも、そう思って先生の方を見たとき、私の予想は一瞬にして覆されることになる。
さっきまでのなごやかな表情とは打って変わって、先生の顔が、能面みたいに無表情になっていたのだ。
これには誰もが、得体の知れない恐怖を感じ、教室全体にピーンと張りつめたような緊張が走った。
さすがのアヤカもただならぬ気配だけは感じ取れたようで、すぐにしゃくりあげるのをやめ、体を硬直させた。