神名月秋亮の誕生日

文字数 1,808文字

 初冬の曇天から降り注ぐ、小さな雨粒。雨の日は、嫌いだ。

「髪の毛が爆発するからだろ」

 なんて、春猫さんは笑うけど。それだけじゃ、ない。教室の向こうの校庭とそのまた向こうにうっすら見える海岸線も。硝子越しの今日はまるで、水族館の水槽の方に居るみたいだ。全てが、冷たい水の中に沈む。夏の雨と、冬の雨。俺だったら、ぜってぇ、夏の雨の方が良い。先が見えるから。冬の雨は、先が見えない。そんな気分になる。つまりは、憂鬱って言う事なんだろうけど。おまけに今年は……。
 ジメジメとした空気に耐えられなくなり、廊下に出る。向かいの校舎の一角。そこに。俺の兄弟や先輩達は居るわけで。小さい頃は、一個くらいの年の差なんて関係なかった。一番上の姉が言うには「大人になったら、一歳くらいかわんないよ」って。確かに、そうなのかもしれないけど。俺達、青春期真っ只中の十代(ティーン)にとっては。物凄い(タイムラグ)である事を。今、しみじみ感じている。ぼやけた灰色の窓硝子に映る、何処にいても分かる後ろ姿が見えた。
 俺と同じ茶色。金髪。桃色。ずっと一緒だと思っていたけど。たぶん、今が。俺にとっての兄、姉離れなのか? どんなに足掻いても。俺は。みんなと一緒に行けない。何年経っても。その背中を追いかける。隣に並ぶ事はあるけど、また、置いていかれる。今まで、そんな風に考えた事もなかった。実際に学校と部活という領域から、姿が消えて、やっと理解(わか)った。俺にとっての、皆の存在が。
 ぺたりと硝子窓に額を付けた。冷たい。きっと今の俺と皆の間は、水族館の水槽みたいに近くて遠いんだ。寂しい……かな。こんな感情が自分にあるとは驚きだ。驚き桃の木山椒の木だ。自分らしくもないセンチメンタルな気分になっていると。

「シュウ!」

 後頭部に突然の衝撃を受ける。ちょうど硝子からデコを離そうとしていた俺は、もう一度硝子にデコをくっ付ける事になった。しかもかなりの衝撃で……。

「おい! 露草! 強く叩きすぎだ!」
「硝子は無事か?」

 思わず額を抱えてしゃがみ込んだ俺は、可笑しさがこみ上げてきた。顔を上げないで、そのままくすくす笑ってた。

「……なあ、秋亮(しゅうすけ)、笑ってるけど……恐いぞ?」
「打ち所が悪かったんじゃないのか? 露草、責任をとってやれ」
「よかったなあ、秋亮。夏都華がお婿に貰ってくれるって」
「ばっか……! 春猫! アンタ、何言ってんのよ! こんな電波な旦那はゴメンよ!」

 ほら。いつもと何も変らない。一年なんて、あっと言うまで。たとえ、大人になってしまっても。きっと、久しぶりに会ったとしても。皆となら、いつでも。帰ってこられる。それに、気がついた。雨の月曜日。

「秋亮? 悩み事でもあるのか?」

 ようやく立ち上がった俺に、春猫さんがこう言ってくれる。首をぶんぶん振ると、皆は顔を見合わせて苦笑した。

「じゃあ、どうして窓ガラスに顔くっつけてんの? 怖いわよ。マジで」
「俺が?」
「反対側から、丸見えなんだけどね。深刻そうだったから、来てみたんだけど」

 あ……そうだった。俺から向こうが見えるって事は、向こうからも俺が見えていた事で……。

「かなりの呆けた顔だったぞ」
「あちゃー」
「……この先、何か問題が起きて、一人で考えて答えがでないなら、言えばいい。俺達に」

 何の為の兄弟なんだと笑う笑顔が。眩しくて、胸がつまった。そうだ。俺の周りの人達は、自慢したいくらいの、変わってるけどいいヤツばっかりで。そう思ったら、嬉しくて。自然に笑みが零れる。そんな俺の顔を見て。皆はホッとした表情になる。俺はそんなに、深刻そうな顔してたんだろうか?

「秋亮、手を出してみろ」

 春猫さんに言われ、差し出した掌にのせられる。俺の大好物のお菓子の箱。しかも、季節限定物。

「こんな図体して、似合うよわね。ほんっと、このお菓子が」

 呆れたように言われても。好きなもんは好きなんだよ。ああ、そうか。好きなもんは好きだから、だから、離ればなれが寂しいんだ。……そうだな。いいよ、でも理解ったから。離れていても、きっとすぐに追いつけるから。だから。離れていても、笑って会える仲間でいて欲しい。ずっと。ずっと、ずっと。大人になっても。

「「「十六歳の誕生日、おめでとう。秋亮」」」

 お祝いの言葉と笑顔。水の底のような場所で、俺は大切なものに、やっと手を伸ばした。俺を憂鬱にするもの。月曜日と雨。初めて、冬の雨が好きになれそうな、気がした。
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