第1話 彼女が見下ろしたから俺は見上げたんだ

文字数 4,493文字

 放課後の「誰もいない教室」というのは、本当に誰もいないものなんだな。
 いないと言いうのだから当然なのだが、実際は部活や委員会やらで、もっと居残っている生徒がいて、話し声や笑い声が、もう少し
聞こえているものだと思っていたけれど。
 グランドから微かに、ちょっとしたリズムネタにも思える、運動部の掛け声が繰り返し聞こえてくる。
 隣りの棟の音楽室から、管楽器の厚みのある幾つかの音色が、各々揃わずバラバラと、中庭に響いて落ちる。
 冷たくシンとしていた教室に、音が届き、色が入った。まだ上手くは塗れていないようだけれど。
 それでも、そんな『ザ中学校』といった効果音も、この伽藍堂とした教室では、放課後のBGMとしたら、丁度いい雑音だ。
 こんな時間まで教室に残っている事なんて久し振りで、いつもは、さっさと帰宅していたし、午後の授業はフケて、奥山ん家の離れでファミコンやっている事が多かったから、担任に呼び出されて珍しく居残る事になって、忘れていた放課後の風景も、その中に自分がいるのも歯痒くて仕方ない。
 開けっ放しの窓からカーテンを揺らして入る風が少し冷たくて、もうすっかり秋だと実感する。
 学校の周囲では、小さい頃から続いている港北ニュータウン開発が、遠くに聞こえる、造成工事のショベルカーの音が、ガタガタと窓を越えて届いてくる。
「遅っせーなー」つい口にして、椅子を倒して伸びをする。
 さっきまで担任に、職員質でねちねちと説教されていて、やっと終ったと思ったら「渡す物があるから教室で待ってなさい」と、放置されたままだ。
 今日も、無視して帰ろうかとも思ったけれど、以前にバックレた時は、担任が家まで訪問して来た。そう毎度々家に来られるのも却って面倒なので、今日は仕方なく居残ったんだ。
 担任は、女の先生らしい執拗さが有る。もう新人の熱血教師って訳では無いけれど、学年主任に、ねちねちと俺の事を言われてるからなのか、どーでもいい様な事でもいちいち五月蠅くて、とにかく曲がらない。
 アクティブな雰囲気は好印象だけど、いつも、そのまま登山にでも行けるような恰好、いや、数日は山中にいた様な感じで、流行りの『ボディコン』を着ろとまでは言わないけれど、せめて髪くらいは、ちゃんと梳かせばいいのにと思う。
 それでも、生徒には結構人気があるらしいが。
「あー、ダメだ帰ろう」
 思わず声に出し、椅子から跳ね起きて、教室の出口へ向うと、目前で扉がガラっと開いた。
「うわあっ」
 扉の前で鉢合わせになった担任の横山が、驚いて変な声を上げた。
「ちょっと青野、帰る気だったの?」
 横山が眉を寄せて、手で教室に押し戻す。
「なんだよ、おせーよ先生」と、ふて腐れながらも従って戻る。
「ごめんごめん」と、片手を出して謝るポーズかと思ったら、差し出した手で封筒を渡して寄越した。
「これ、青野が割ったガラス代の請求書。お母さんにお渡しして」
「えー、俺が渡すのかよ」大袈裟に嫌がって見せる。
「ちゃんと謝って渡しなさいよ、自分がやった事なんだから」と、まっすぐ目を見て言われるから、従うしかない。
「わかったよ、ったく。でもあれは、俺が割った訳じゃないんだからな」
「わかってるよ、でも止めに入った遠藤先生も怪我されてらっしゃるのよ」と、横山が話し出したのを遮って
「もう分かったよ」少し声を荒げる。
 横山は、一瞬黙ったけれど、まだ何か言いたげで「青野の気持も分かるよ」とだけ、小さく言った。
 分かると言いながら、あの日に起きた事は分からない様にしている。誰が誰を止めたって言うんだ。ガラス代を弁償してお終いって事だ。
「もう帰っていいの?帰って『夕ニャン』見なきゃいけねーから」と、ふざけて返す。
「ちょっと待って、三者面談のプリント、青野は学活に居ないから渡して無かったでしょ」そういってプリントを寄越した。
「高校くらいは行こうよ、青野は勉強出来ない訳じゃないんだから、もう最終決定の時期だぞ」
「わかった、わかった」と、適当に返事を返して教室を出る。
「わかった、わかったって、本当に分かってんの?」
 教室の扉を開ける背中に投げ掛けてくる
「授業、サボんないで出なさいよ、青野春彦、分かったのー」
 横山の声が、運動部のダサい掛け声に混ざって、廊下に響いた。
 まったく、二人で『分かった』って何回言うんだよ。
 委員会が終ったりしたのか、先程よりは生徒が増えた気がする。 これから遅れて部活に向う生徒だったり、帰宅する生徒だったり、大体が昇降口に行くから、裏の渡り廊下側には人があまり居ない。
 あーイライラする。横山先生は嫌いじゃないし、むしろ好きな先生だけれど、イライラした。
 あの人は先生っていう職業ではあるけど、教師ではないと思う。教師というのは『教える人』の事で、横山先生には何も教わる事が無い。
 先生と、そう呼んでいるだけで、ただの『呼称』に過ぎない。
 そんな事を考えてると余計にイライラするので、校舎裏でタバコを一服してから帰ろうかと、外階段を降りて行く。
 反対側から渡り廊下を渡って、階段を女生徒が二人並んで登ってくる。
 こちら側にでると、吹奏楽の音が大きく聞こえる気がする。ずっと『Song for U.S.A.』を演奏してたんだと、今、気付いた。
 階段を登ってくる娘たちと、チラッと目が合った。クスクスと笑っている。
 知っている娘だ、あの娘だ、一個下の・・・確か名前は松田・・・松田菜穂だ。隣りの娘は・・・ちょっと分からないな。
 二人でキャッキャ言いながら歩いている。すれ違い様に、また一瞬目が合って、小さく笑った横顔に思わずドキッとした。通り過ぎて飲み込んだ息が漏れた。
「先輩」
 階段を下りる途中で、不意に後から声を掛けられて、手をポケットに突っ込んだままで、振り返る。
 数段の先の踊り場から、通り過ぎていった筈なのに、一段降りて戻った彼女が見下ろし、俺が見上げている。
 夕暮れにはまだ少し早いけど、だいぶ陽が傾き、西日が彼女に射して光って見える。
 紺色の制服を、肩まで伸びた髪を、陽の光が赫く染める。
 悪戯っぽくも、照れ隠しにも見える小さな笑顔で彼女が言った。
「私、青野先輩と付き合う事にしたから」
 中庭に響いていた、不揃いの管楽器の音も、運動部の掛け声も、この瞬間、消えた。
 無音の中、心臓の音が階段の上の彼女に聞こえて仕舞いそうで、彼女の鼓動も下にいる俺に届きそうなくらいで、時間が止まったみたいだ。
 彼女が、赫(あか)く、輝く様に見えたから、俺は眩しくて、目を細めて睨んでいた。
 キレイで眩しかった。だから、見とれて、何も言えなくて、ただ彼女を見上げていた。
 彼女が振り返って、駆け足で階段を登って戻って行くと、喧騒が戻り、時間が動き出す。
 彼女が居た踊り場が、終幕の後のステージみたいで、残った高揚感と、終った後の寂しさが漂っているようだったけれど、俺も前を向いて階段を降りた。
 あれは告白なのか、揶揄っているのか、分からなかったけど、まだドキドキしていて、心臓の音と、吹奏楽の音がさっきより大きく、不揃いに聞こえて来て、耳障りだ。

「青野先輩、コンチハっす」
「おう」
 ここ最近は工事が本格化してきている。丘陵を切り崩して平たく広げていった造成地が一面に広がっていて、その端っこを巻き込むように、単管パイプで作られた簡易的な歩行者通路を歩いて行くと、あちこちで声を掛けられ「先輩サヨナラ」「はいよー」と、何度も繰り返しで嫌になる。
 やっぱり、とっととバックレて、市ヶ尾のマックでパイナップルバーガーでも食っていれば良かった。
 後輩が挨拶して来るのは良いんだけど、こっちも返すのが面倒くさい。中には、イチイチ気お付けして、直立不動でお辞儀してくる奴もいて、これは本当に止めてほしい。
 大袈裟すぎるし、俺には、バカにしてる様にも思えて、余計に腹ただしい。
 けれど、後輩達にしたら、宇田川とかが煩く言っているから、仕方ないんだろう。
 ちょっと前に「いちいち大袈裟な挨拶しなくていいよ」って後輩に言ったら、効果覿面で会釈程度の挨拶で済む様になった。
 気楽で良かったんだけれど、その後輩たちを宇田川が呼び出して「お前らちゃんと挨拶しろよ、ナメてんのか」と、怒って小突いた。
 俺は宇田川に「後輩イビってんじゃねーよ」と窘めた。
「挨拶は肝心だろが、お前が甘やかし過ぎるから付け上がるんだよ、そんなんじゃ、シマんねーんだよ」宇田川が食って掛かる。
「はぁ、俺が何だって、だいたいテメーは軍隊でも作るつもりかよ、大袈裟な挨拶させやがって、コントだぜありゃ、鬱陶しいんだよ」
「春彦、テメーは後輩のケツも持たねーのに出しゃばって来るんじゃねーよ、『アオハル』の癖に冷めてスカシやがってよ」
「誰が『青春』だ、やんのかコラ」
 宇田川の胸倉を掴む。
「上等だ、コラッ」
 宇田川が短ランを掴み返す。
 教室の扉が、ガラっと音を立て開く。
「お前ら、何やってんのよ」
 笑いながら室戸亘高が、中ランにワタリ40のボンタンをひらつかせて教室に入ってくる。
「便所まで聞こえてたぞ」手を払う仕草で「いいから座れよ」と、促す。掴みあっていた俺たちも、白けて椅子に座り直した。
「春彦が後輩に優しくしたいのは分かるけど、まあ、宇田もさ、よく知らない後輩が悪さしたりしない様にシメてる訳だからさ」
 貫禄のあるデカい身体で、優しく笑って話す室戸に諭される。
「5月頃にもあったろ、よく知らねー後輩が俺らの名前使って、連休中とかにカツアゲしまくってたって話。そんで連休明け早々に、南中の奴に掴まってボコボコにされたの」
「ああ、覚えてるよ、宇田川が一人で話し着けに行ったんだろ、後で後輩にカツアゲした金返させたって話だろ」
「そうだよ、テメーが何にもしなかったアレだよ」宇田川が噛みつく。
「あぁ、俺は絶賛『ダイアナフィーバー』真っ只中だったんだよ。そんなカツアゲした奴なんて、放っておけばいいだろが、プリセスの来日と、どっちが大事だと思ってんだよ」と言い返す。
「まあまあ、宇田が話し着けないとデカい事になってた訳だし、あの事もあって後輩に厳しくしてるの分かってやれよ、な、春彦」
「分かったよ」室戸に言われると納得してしまう。
「宇田も、シメ過ぎは只のイジメになっちゃうからな」
「おう」宇田川も、おそらく同じ様な気持ちで返事をした。
「お前らが揉めるとさ、周りはハラハラするんだから、特に学校でケンカすんなよなっ、ハルちゃん」そう言って肩に腕を絡めてくる。
「ヤメロよ」室戸の腕を払い除ける。
「なんだよー、アオハルちゃーん」また絡んでくる。
「ヤメロ、触んな」
 見ていた宇田川が鼻で笑う。
 ただ、挨拶が面倒くさいと言った事が、ちょっとしたイザコザになって、更に面倒臭い。
 後で後輩に謝りに行って「悪かったな」と言ったら「こちらこそスイマセンでした」と頭を下げて言われて、以前に増して凄く距離が出来ていた。
 コチラコソって、どちらかにお勤めですか?と聞きたくなった。宇田川の奴はどんだけシメたんだか。
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登場人物紹介

青野 春彦 川名中学3年 UMAのA

室戸 亘高 川名中学3年 UMA-M

宇田川 健 川名中学3年 UMAのU

YOKOHAMA Showy Ride Wild to the Moon「赫耶王」


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