魔王召還

文字数 1,993文字

 15歳の少年ロビンは願った。世界が滅びますように、と。
 父親がこの世にいない。着ている服がボロい。新しい本が買えない。恵んでもらったペンを使っている。そんな理由で、同年の少年少女たちに後ろ指を差され、仲間外れにされ、身体に痣をつけられる日々が2年続いた。
 誰にも相談できない。誰も助けてくれない。
 唯一の心の支えは、柄頭に鳥の文様が施された杖。母が13歳の誕生日祝いにと奮発して買ってくれたものだった。13歳から魔法学校に通うというのに、母の御下がりの杖では恰好がつかないから、と。
 人の背丈ほどある地杖(ちづえ)を持つのが一般的というなかで、ロビンの杖は地杖の4分の1ほどの長さしかない手杖(てづえ)だった。それでも、母の愛が詰まったそれを肌身離さず持ち歩いていた。
 それを、奴らに燃やされた。立ち去る彼らの高笑いが、いつまでも耳に残っている。炭になった杖を拾い、誰もいない森へと向かった。こんな行為をする奴らへの恨みつらみ、恵まれた環境に育った奴らへの妬み。底なしの深淵のような感情を抱えて。
 喬木が縄張りを争うように密集する森を進むと、一転して灌木が平和的に円形に並ぶ広場に出た。その中央で、ロビンは炭の手杖を地に刺し魔法陣を描き始めた。
 2年前に怪我に効く薬草を摂りに森に入った時に、この場所を見つけた。その時は先客がいた。頭の先から爪先まで届く黒いローブを纏い、目深に被ったフードのせいで顔も見えない。高い背丈と低い声で男だと判別できた。身なりだけを見れば怪しい彼だが、優しかった。悩みを聞いてくれた。そして、彼は一冊の魔導書をロビンに手渡して言った。
「もしも世界が憎くなったら、この魔法を使え。全てを終わらせる魔王を、君にとっては英雄を呼び出せる魔法だ」
 人一倍記憶力が良いロビンは、その場で魔法陣を覚えた。名も知らぬ魔法使いは、ロビンが目を離した一瞬の間に姿を消した。彼が何者だったのか、今となっては知る由もない。だが、そんなことはどうでもいい。
 世界を、滅ぼすのだから。
 持ち前の念力で魔法陣を思い出し、描き終えた。役目を終えた杖はボロボロと崩れ落ち、ロビンの迷いと共に消え去った。発光するそれに両手を向け、最後の詠唱を行う。

 ― summon demon(魔王よ来たれ) ―

 魔法陣が発する光は禍々しい黒に変わり、バチバチと雷が迸る。何かが押し寄せる感覚を全身で感じ、鳥肌が立つ。もしかしたら、世界の終わりを見ることなく死ぬかもしれない。それでも、後悔は無い。
 闇は、唐突に終わった。戻った光に一瞬の眩暈を感じ、目を開けた。
「我を呼んだのはお前か」
 下から声が聞こえた。声の主に目を向けると。
「何の用だ。日課の水浴びをしておったのに」
 黒い毛で覆われた頭。吊り目。尖った嘴。鮮やかな橙の毛が生えた首元。白い腹の両脇に翼。水かきのついた足――どこからどう見ても、ペンギンだった。
「失敗、した……?」
 ロビンは混乱してへたり込み、頭を抱えた。そんな彼を、ペンギンが短い翼でぺちぺちと叩く。濡れている。
「どうしたのだ、少年よ。悩みがあるなら言ってみよ。魔王たる我が聞いてやらんこともないぞ」
「……魔王?」
「いかにも。我は魔王モカである」
 ロビンの中の魔王像が一瞬にして崩れた。存在感、体躯、その他何を取っても人々が想像する魔王からかけ離れている。益々頭を抱えるロビンだが、頭と心を整理する余裕は無かった。
「……ったく、ただでさえ今日は残業してるってのに」
 予期せぬ来客が現れてしまったのだ。
「あなたは……」
「魔法警察のリジャロだ。それは魔王召還の陣だな。やったのはお前か、小僧」
 魔法警察。魔法に関する犯罪を取り締まり、秩序を保つ組織だ。リジャロと名乗った男は、咥えていた煙草を地面に落とし、靴で火を踏み消した。
「危険な魔法の発動を検知したから来てみれば、とんでもないことしやがって。おいお前、とりあえず黙って拘束されろ」
 不機嫌を隠さず言い放ったリジャロが、詠唱に入る。
「まずい、逃げなきゃ」
「ふむ? 逃げたいのか?」
 慌てるロビンとは対照的に、のんびり毛繕いをしていたモカが、可愛く首を傾げた。
「当たり前でしょ! 捕まったら最悪死罪だよ!」
「ほう。それは我にとっても面倒だ。どれ、力を貸そう」
 モカが翼を広げると、地面からもりもりと氷が現れ、あっという間にロビンたちを包んだ。
「逃がすかよ!」
 リジェロが詠唱を終えると、氷の上空に巨大な鉄の檻が現れ、どしんと地面に落ちて氷を囲んだ。同時に、氷は飛散した。檻の中に残されたのは、細かい氷の破片だけだった。
「ちっ、遅かったか」
 懐から二本目の煙草を取り出し、火をつける。
「今夜は残業どころか徹夜だな。報酬上げてもらわなきゃ割に合わねえよ」
 吐き出した煙とともに、ぽつりと愚痴をこぼした男の影が消え去った。静けさを取り戻した森の広場に、魔法陣の跡だけが残った。
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