文字数 2,730文字



近頃ね、よく見知った顔の人たちを勝手に


210クン

720さん

170さん

810クン


そんなふうに呼んでいるの。

もちろん、頭の中でだけどね。



彼女はそう笑いながら言った。


「210?720?」

と聞き返すと、彼女はうん、と頷いた。


一体何のことか、と問うと答えは実に簡単だった。

日本十進分類法で分けられている本の数字の事だ。

日本十進分類法は、0から9の数字を使い図書を分類していく分類法で、この国の図書館で使われているやり方だ。

常連さんたちが借りて行くジャンルを覚えてしまったので、その分類数字で勝手に呼んでいる、というそれだけのことらしい。


ちなみに、210は歴史の中でも日本の歴史。

720は、絵画、 書道。

170は、神道。

810は、言語の日本語。


他にも常連さんは多くて、910という文学小説さんたちは結構いるらしい。

そうして、そういった数字から、貸し出しカードの学籍を見て、専攻と照らし合わせて見る。

合っていれば、ああ、やっぱり、と頷き。

違っていれば、何故だろう、と想像してみるのだと言う。


大学図書館のカウンターに座っている彼女は、密かにそんなことをしているようだ。


彼女も僕もその大学の卒業生だ。

彼女は、大学卒業してすぐ、その大学の図書館事務員を募集していたので務めることにした、と、ある日僕に告げた。


うん、そりゃいいんじゃないか。


僕は笑いながら頷いた。

図書館は彼女に似合っている。

とりわけ、大学の図書館は似合っている。

そう思ったから。


僕と彼女は大学時代同じサークルで、その頃からの付き合いだ。

…関係ないが、僕は大学に残りもせず、普通に公務員になった。


「もちろん、彼らがいつもいつも同じジャンルを借りて行くわけじゃないわ」


彼女は、続ける。


日本史(210)クンが日本文学(910)を借りて行く。

日本語(810)クンは植物学(470)も借りて行く。

170さんというのは、普通は日本文学ばかりを借りて行くけれども、時々神道(170)や民俗学(380)をごっそり借りて行くから、呼び方は170なのだ、と。


「だから810(日本言語)クンが、政治の本や生物化学の本を借りた時にも、あまり気には留めていなかったのよねー」


彼女はため息混じりにそう言った。


この間のことなんだけどね。

そう前置きして、彼女は語った。


・・・・・・


…あれ?810クンは、今度は780のスポーツの本??


貸し出しの手続きをしながら、ふとした違和感を覚えたのは、810クンがまったく言語関係の本を借りなくなってからしばらくした時だった。


なんだろう、趣味が変ったとかかしら。

それにしても、政治、生物学、園芸、スポーツ、と、とりとめがない。


多趣味になったのかな。

そう思いつつ、貸し出して続きをしたその次の日。

中庭を通りかかったときに、810クンが女の子と親しげに話をしているのを見た。

あー、彼女ができたから、その彼女の趣味に合わせようとして勉強したのか。

そか、そか。…そうすると、多趣味なのは彼女?


その女の子は図書館には来たことがない顔だった。


まあ学生と言えども、大学図書館に来る必要の無いような蔵書の持ち主も、すごくたまにいるから。

と、知り合いの研究室に残った一人を思い出し苦笑いをした。


数日たって、810クンがまた図書館に来た。

カウンターにやってきて、貸し出し手続きをお願いします、と言われたとき、思わず声をかけていた。


「今度は哲学?すごい多趣味ね」


810クンは、ちょっと驚いたような顔をしてから笑った。


「いろんなサークルかけもちしてるんです。だから、そのために」

「あら、それでも、多趣味なことにはかわりないじゃない」


カードを返しながら答えると、照れくさそうに小さな小さな声で810クンは笑った。


「いやぁ…なんと言うか…そのサークルに所属してる子たちが目当てで…」



・・・



「…あ、そう…って曖昧に笑うしかなかったわ」

と複雑そうな表情で彼女は笑った。


図書館の常連が、思いのほか気が多い軟派クンとわかって、言葉にできない感情がわいたらしい。


「何ていうかね。

 学生の時、私も図書館に入り浸ってたけど、あんなふうに軽やかに学生時代を遅れなかったっていうか。

 恋愛に疎いわけじゃないけど、そんな恋愛恋愛した人間でもなかった、っていうか。

 悔しかったのかなぁ、私。

 なんとなく、図書館の常連さんたちは、どことなく自分に似た部類の人間だと決め付けてみていた節があるから」


うん、こう言っては失礼だろうけれど、確かに彼女は、その810クンのように、いろんなことを一度にできるようなそんな器用な人じゃない。


でも、だからといって面白味がまるでない人ではない。

僕から見ると、十分に面白い。

図書館常連さんを十進法分類で呼ぶなんて考え事態、十分に軽やかだと思うんだけど。


「810クンは、もう分類810じゃなくなっちゃったんじゃない?」


僕がそう問うと、彼女はんー、と首をかしげてちょっとだけ考えた。


「そうね…。あれだけいろんな本を借りて行くんだから…

 0分類クンかな…000」

「000?」

「総記。目録みたいなもの…。

 よーし、これからは“スリー・ゼロ”って呼ぼう。なんかSFっぽくておもしろくない?」

「軟派クンという考えから、風紀とか風俗とか連想するかと思った」

「風俗習慣だと、民俗学の380と重なるのよ」


別に重なっても良さそうなものだけれども、彼女なりの何かのこだわりがあるのだろう。

やっぱり面白い。


「じゃあさ。

 図書館の元常連で、今も図書館に務めてる君は分類で言うと何?」


と尋ねてみた。

彼女は、え?と目を丸くした。


「自分の分類は考えたことが無かったわ…」

「君は図書館勤務だから、図書? そういう分類はあるの?」

「うん、0分類の一つで、010だけど…うーん…」


000クンと同じ分類なのが気に入らないのだろうか。

何か眉間にしわを寄せて考えている。

そうかと思うと、次の瞬間、ニンマリと笑ってこっちを見た。


「私は分類ナシ!」

「え?」

「学生の時は910の一人だったけど、今は図書館で本を貸したり、本を戻したりしてる存在。そして、その分類で遊んだりしてる存在。

 私は図書館の配置図」


うーん、それは分類010とは違うのかい?とツッコミそうになった。

まあいいや。

配置図は、目立たないけれど確かに存在しててなくては困る物だしね。


「ちなみに…僕は?」


さあ、なんと来るのかな。

会社員だから、そういう系統の分類か?

歴史学専攻だったから、そっちか?

大学時代の所属サークルの方面か?


「………

 ………

 ………

 図書本棚ごとについてる分類の見出し?」

「…見出し……って、なんで!?」

「…いえ、なんとなく…」


思わず大声で笑っていた。

配置図と見出し、いいコンビだから良しとするか。







―了―
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