第弐話 見知らぬ、台所

文字数 1,510文字

 電気自動調理鍋、襲来翌日。午後九時過ぎに帰宅すると見知らぬ台所になっていた。

 真っ赤なホットクックはもちろん在る。
 なれど、昨日私が無理矢理突っ込んだ密とは違う。ラップやアルミホイル、キッチンシート用のラックが新調され、トースター、レンジ、炊飯器、ホットクックが余裕をもってかつ機能的に配置されている。ホコリや汚れも拭い取られている。
 さては私の雑な整頓術が気に入らず深夜に直したな、兄。妖精さんか。
 かよう、まめなキョウダイというのは有り難い。おかげで帰って早々気分良くホットクックと向き合える。こういう時、自尊心とやらは無視するに限る。

 さて、もう結構な夜分だ。だからこそ、試したい料理があった。
 温泉玉子である。
 料理というか、一品というか、トッピングというか・・・・・・いや、でも、立派な料理であろう。
 冷蔵庫から出したての卵二個を内鍋の底へ置き、かぶるぐらいに水を注ぐ。広い湯船に所在なさげな風情はどこかしら憐憫を誘う。貧乏な姉妹がお嬢様の気まぐれでお屋敷に招待されたみたいな。
 もう数個追加するか、いやいや昨日卵五個使ってシフォンケーキ錬成したばっかじゃない。
 追加はせずに、本体にある操作画面から温泉卵を選びスタート。45分と結構かかる。
 その間、換毛期にてもあもあの猫にブラッシングをして、入浴済まして、髪を乾かして・・・・・・あっという間に時間は過ぎる。というか、過ぎている、8分オーバー、駄目じゃん!

 慌てて蓋を開け、45分前と見かけ上は寸分違わぬ卵たちを冷水にさらす。
 とんだ失態である。温泉卵は黄身と白身の凝固温度(各70℃、80℃ウィキ調べ)の差を利用した食物、温度管理されているのなら、多少遅れても大丈夫か──いや、白身はともかく黄身の安否は・・・・・・!?

 こんこん、ぱかっと割れば、とろとろ白身に包まれたほんのり橙色づく慎ましやかな膨らみが小鉢に落ち()でる。・・・・・・ほお。
 ここはめんつゆ一択で。だし香る琥珀の液体を垂らし、箸を入れれば、柔い。
 が、想像よりも少し硬いか、けれどそれも初々しくまた一興。
 つやつやした黄身を、こぼさぬよう、おそるおそる口に運び、私はその懐かしい味わいに瞠目する。


 ・・・・・・ジョイフル!?


 ジョイフルについて説明せねばなるまい。
 筆者が懇意にしていたファミレスであり、安価であり、美味であり、パートさんらしき店員さんらは有能かつ適度な距離感を保ってくれる、素晴らしき哉ジョイフルT店。足繁く通っており、あんまりしょっちゅう行くのが恥ずかしくなってガストと交互にしようと自戒したほど。
 『かすみ燃ゆ』も『白雪姫の接吻』も SF(センチメンタル・ファニー)の短編群も純不純文学もその何割かはジョイフルの二人用テーブルでポメラにて生まれた。

 けれど、今はもう、ない。

 新型感染症コロナウイルス感染症の影響下による閉店である(閉店前にT店への感謝のメールを本部へ送ったのはまた別の話である)。
 そのジョイフルT店でしょっちゅう食べていた豚汁定食(ドリンクバーセットで税込¥504)についていた選べる小鉢の※半熟玉子と同じ味がするのだ。
 
 ……ジョイフルはここにいた、私の元に帰ってきてくれた、これからはずっと一緒、もう離れない!

 私は感動した。多少の誇張はあれど、まあ、わりと。そこにまんまと兄が仕事から帰宅し、興奮して温泉玉子についてのあれこれを話す。
 そうして、兄は温泉玉子の小鉢とホットクックの筐体(筐体じゃないけど筐体っぽい)を見比べて一言。


「核融合でお湯沸かしてるみたいな」
 

 ※2021年4月現在、選べる小鉢から半熟玉子はなくなっている。残念。













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