第1話

文字数 15,128文字

季節は長月「九月」に入ったばかりの未の刻《ひつじのこく》(午後二時)。
夏も終わりの季節なのに、山の峰から吹きおろし、谷の底からは沸きあ上がる、耳に痛いほどの蝉時雨が止むことを知らずに降り注いで来る。
吹く風は今日も暑く、頭上に輝く陽の光は項垂れた山の草木に容赦なく照りつけている。   うだるような暑さの中、頭に白い物が目だつ老武士と、六尺(一メートル八十センチ)を優に超える長身でがっしりとした体格の若い侍が山袴を穿き、脇差一本を腰に差し、田圃道を登り降りしては体中から吹き出す汗を腰の手拭いで拭いている。
小松藩十二万三千石の農政を担う郡奉行《こおりぶぎょう》佐々木光義の嫡子で、二十歳になった佐々木光正《ささきみつまさ》は「地方《じかた》差配役見習」として芋川村を検分していた。
光正には、郡奉行配下で地方差配役の(おさ)を長く務める古老の斎藤治助《さいとうじすけ》が付き従っている。
小松藩では、二人の郡奉行の下に五十人の地方差配役を配し、藩領の農を監督し、年貢の徴収、藩士への俸禄支給、新田開発、村長《むらおさ》や百姓衆が起こす訴状の取り扱いや採決など多岐にわたる政事《まつりごと》を行っていた。

「若、此の穂をご覧くだされ」
古老の治助は、山の中腹に開墾された棚田の稲を節くれだった無骨な手で摘まんで見せた。
その手の稲穂には空籾(からもみ)が多く混じり、まさに今年の凶作を暗示していた。
治助の手から稲穂を貰った光正は、空籾を指で触りながら「うーん」思わず大きなうなり声を出していた。
「若、今年の冬の小雪と梅雨時の雨不足は、誠にひどう御座いましたからな」
治助は、近来にない小雪と、空梅雨による水不足を嘆いていた。
確かに、毎年八尺(二メートル四十センチ)を超える雪が積もる小松藩では、冬になれば屋根の雪下ろしと後片付けに追われるのが常であった。                            だが、今年の冬は屋根の雪おろしなど一度もせずに終わっていた。
其れも、雪が降り出したのは正月の松の内が終わってからで、人々は戸惑いながらも年末年始の挨拶に土の道を踏みしめながら下駄や草履を履いて家々を回っていた。  
それほどまでに雪の少ない、まさに稀有な冬だった。                    「儂が生きて来た歳月で、こんなに雪の少ない年はなかったんが。それにだてー、冬だと云うのに降って来るのが雪じゃなくて雨んがだろ~、何だか気持ち悪いくらいだんがて~。いやはや、何か悪い事でも起こらねばいいんだがの~」
小松藩の年寄りたちは、今迄経験した事の無い小雪と暖かな冬に、驚きと不安を口々に言っていた。
光正が村々を歩いて見ても、山からの湧き水だけに頼る棚田程被害は甚大で有った。
春を思い返せば、田植え時の水不足も目を覆うばかりの惨状で有った。
棚田の不作を覚悟していた光正だが、顔も自然と曇ってゆく。
小松藩は、十五万三千石の藩で有る。
だが小松藩の実高はと云うと、長年にわたる山間地の開墾など懸命な新田開発で二千石程増やしている。
しかし、二千石増やしたとは云え諸式高の昨今、藩の財政事情は依然として厳しく、江戸や大阪の札差から多大な借財を繰り返しながら凌いでいるのが実情で有った。
小雪の冬も終わり、暮らしてゆくには大雪も困るが、かと言って小雪も困ると云う矛盾した郷に人々は暮らしていた。
「若、朝早くからのご検分お疲れになったでしょう。少しお休みくだされ」
治助は、そう言うと芋川村の外れに有る、一軒の小さな家に光正を誘った。
その小さな家の庭には、家とは不釣り合いな柿の大木が聳え立ち、大きく広げた枝には数えきれない程の柿の実が熱風に吹かれて揺れている。

「お豊、居るか。治助だが少し休ませてくれぬか」
斎藤治助は、小さな家の板戸に向かって声を掛けた。
直ぐに板戸が軋む音を響かせて開くと、二十代半ばと思われる丸い顔の女が、小さな男の子の手を引いて出て来た。
母子が着ている着物は貧しさを感じさせるが、不潔感は無く、何処か小ざっぱりとしている。
「これは、これは、斎藤様。ようこそお越しくださいました」
頭を下げたお豊という女は、治助と光正の顔を交互に見ると、そのまん丸な顔が破顔した。
口を大きく開けたお豊の顔には笑窪が浮かび、大きな瞳が(きら)めいている。
光正は、お豊のまん丸笑顔に目を奪われた。
そして、譫言(うわごと)の様に心の中で呟いていた。
「ひまわり」と。
光正には何故か、お豊の笑顔が大輪の向日葵に見えた。
日の光をいっぱい浴び、光り輝いている向日葵の花に見えたのだ。
「お豊、いてくれて良かった。済まぬが茶など一杯頼めるかな」
治助は、安堵の色を浮かべた。
「はい、お役目ご苦労様に御座います。むさ苦しい家で御座いますが、どうぞお上がりになって汗でもお拭き下さい」
挨拶を終え、光正を見るお豊の視線に気づいた治助は言葉を添えた。           「おお、お豊、其方は初めてであったな。此方は郡奉行様のご子息「佐々木光正」様じゃ」
お豊は、またも向日葵の様な明るい笑顔を光正に見せると頭を下げた。
「お豊どの、造作をお掛けします」
光正も、お豊の笑顔につられるように微笑むと軽く頭を下げた。
お豊は幼子を抱き抱えると「さ、さ、お入り下さい」と言いながら先に立った。
光正は、板の間で供された藁座布団に座ると、入れて貰った茶を飲みながら家の中を何と無く見渡していた。
入り口の脇には八畳ほどの土間が広がり、竃《へっつい》や水瓶などが整然と並び其処は台所になっている。
その他は、光正達が座っている十五畳程の板の間と、奥には八畳の畳部屋が有るだけの小さな家だった。
光正は、治助とお豊が話す当たり障りのない世間話を聞きながら、家具の少ない家の中をぼんやりと眺めていた。                                     その時、母の横で「モジモジ」しながら正座している三歳位の男の子と目が合った。
男の子は、俯きがちな大きな瞳で、光正を「チラチラ」と見ている。
光正が微笑むと、男の子も恥ずかしそうな笑顔を光正に向けて来た。
光正は、男の子に手招きをすると自分の懐を探った。
懐には、懐紙に包まれた飴が十個程何時も入っている。
この飴は、光正が村々の検分に出かける時に、母の美津が何時も用意してくれているものだ。
光正が初めて見習方として出仕した十二歳の時、美津は我が子に語り掛けた。
「光正、宜しいですか。人と言う者は心の中がなかなか分からない生き物です。上辺だけを見て人を判断してはなりませんよ。百姓衆と畦道で話をする時でも一緒に此の飴をなめなさい。飴が口の中で溶けて無くなる迄百姓衆の話を良く聞くのです。百姓衆とのたわいの無い四方山話であっても、何時の日か貴方のお役目に役立つはずですよ」
母は、子供だった光正に何時も言っていた。
そんな慣習が、二十歳になった今も続いている。

光正は、懐紙から飴を取り出すと男の子に見せた。
母の横に正座する男の子は、嬉しそうな顔を見せて立ち上がったが、足が痺れたのかふらつきながら光正の方に歩いて来た。
光正は、ふらついている男の子の手に飴を渡すと、男の子は胡坐をかいている光正の股に「ストン」と尻もちをついた。
光正は懐に入り込んだ男の子を、背中から抱き抱える様な形になった。
「あ、正吉。駄目ですよ」治助と話をしていたお豊は大きな声を上げた。
お豊は急いで立ち上がると、光正の手から奪い取る様に正吉を胸に抱き抱えた。
するとすぐにお豊は正吉を横に置き、両手を板の間に添えて頭を下げた。
「佐々木様、子供の事とは云え大変なご無礼を致しました。どうか、お許し下さい」
平伏して詫びるお豊の言葉が、板の間の床に響いた。
「お豊どの、お気になさらずに」
光正は、突然の言動を見せたお豊に、困惑顔を向けていた。

芋川村からの帰り道、古老の治助は、光正に白髪頭を下げていた。
「若、お豊に御座りまするが。お豊は、我が家の縁戚筋に当たる者に御座いますれば、先程のご無礼、この年寄りに免じてお許し下され」
治助は改まった言葉遣いで膝に手を置くと、腰を深く曲げて光正に詫びた。
治助が、改まって詫びたのには訳が有った。
戦乱の昔、いち土豪から武によって大名にまで登り詰めた小松藩藩主の大伴家は、立藩以来藩士に対し、武士としての厳しい不文律を求めてきた。
だが、武士が武勇を競った戦国の世は遥かに遠く、徳川家康が征夷大将軍となり徳川幕府を開いてから百二十年近い歳月が流れ、将軍職も八代を数え、今は徳川吉宗の時代となっている。
もはや戦の無い泰平の時代が続き、文武両道と言うよりも文の時代が長く続いている。

その騒動は五年前の享保三年正月二日に起きた。                     前年に父親の逝去の為、十一代藩主に就いたばかりの大伴是洞、正義《おおともこれとう、まさよし》十七歳は、最早黴の生えた家訓とも云うべき(常在戦場)《じょうざいせんじょう》の心得を、新年参賀の為に登城した居並ぶ藩士たちの前で説き始めた。
「小松藩の「武士《もののふ》たるもの、たとえ何処に居ようとも、(我、今、戦場に有り)と云う武士としての矜持をけっして忘れてはならぬ。我が藩に腑抜けた者など要らぬ、その様な輩を見つけたなら、我が藩から放逐する」
若い藩主は、戦国の熱気が熱かりし頃の家訓を唐突に持ち出して来た。
そして、若い藩主が常在戦場の話を説いたその日のうちに、惨事は起きた。
藩主の話を聞き終え、肩を怒らせて城下がりした一人の若い藩士が町を歩いていると、年老いた百姓が引いていた荷車に、腰の鞘が軽く当たるという出来事がおきたのだ。
若い藩士はいきなり激高すると、腰の曲がった百姓の老父を怒鳴りつけた。
「無礼者、武士の刀を何だと思っておる」                        年老いた百姓が、泣き出しそうな顔で藩士に近づいたときに事は起きた。          いきなり若い侍は腰間から太刀を抜き。抜き身が鈍く光った瞬間、百姓の左肩から袈裟懸けに太刀は打ち下ろされた。
老人は「ギャー」断末魔の一声を叫ぶと、倒木の如く背中から「ドサリ」と倒れ落ち、首からは「ピュー」笛の様な高い音を出しながら吹き出した赤い鮮血が城下の道に撒かれていった。
道行く人々は遠回りに二人を囲んでいたが、血の吹き出す様を見て、口々に悲鳴や奇声を上げ通りは騒然となったと云う。
老人を切った若い侍は、道に飛び散った血だまりを見ながら顔面は蒼白になり、血塗られた二尺八寸(八十四センチ)の抜き身を持つ手が小刻みに震えていた。
町人たちの視線を一身に受けた若い侍は、刀の血糊を拭うことも忘れ、刀身を鞘に押し込むと逃げるように去っていった。
この惨劇の裁定は、家老など藩の重役達によって長い間議論が交わされたが、若い藩主の「この度の非は、武士の命とも云うべき刀を軽んじた百姓に責が有る」                 若い藩主は、老中たちが言う反対の意見具申には耳を貸さずに譲らなかった。        結局は藩主の意向通り、老百姓を無礼討ちにした若い藩士には、大目付よりお咎め無しと云う裁定が下される事となった。

「治助どの、顔をお上げくだされ。童が事で御座います、何の無礼がありましょうか。あの正吉と云う童に『またきてね』と、よく回らない舌で言われました。飴の力と云うものは大したものです。ふふふふ」
光正は楽しそうに笑った。
治助は、光正の笑いが収まるのを待ってから改めて礼を言うと、お豊の身の上話しを語り出した。
「お豊は、誠にもって幸せ薄い女に御座いまする。縁あって、勘定方下役の浅田正孝と云う男に嫁いだので御座いますが、婚儀から半年ほどたった春先の夜半、宴席帰りの浅田は大川橋の上で何者かに肩口から切られ、絶命しておりました。其れも有ろう事か、徒歩目付様のお調べによりますと、浅田は刀を抜いておりませなんだ。若もご存知の様に、常在戦場を旨とする我が藩では刀を抜かずして殺されるなど、藩士として許されざる所業に御座いまする」
「すると、お豊どのの嫁ぎ先は」
光正は其処まで言うと、端整なお豊の顔と飴を貰って大喜びする正吉の笑顔が蘇って来た。
「はい。程なく浅田家にはお家断絶のご下命が藩より下されましたが、既にお豊の腹には正吉
を宿しておった次第」 
「すると治助どの、芋川村に住んでいるお豊どのは、実家に戻らなかったと」
「それなので御座います、お豊の哀れは。お豊が浅田の家に嫁いで間もなく、馬廻り役を務めるお豊の父、草野源左衛門が馬場にて首に矢を受け絶命しておりました。そしてただ一人の姉弟で有る弟「幸次郎」も、十日程後の早朝に家を出た処で、心の臓をただ一矢で射貫かれて死んでおりました。誠に恐ろしくも有り、何故二人共殺されたのか摩訶不思議な変事に御座いました」
草の上に腰を下ろして話す治助は、時折り瞼を閉じて言葉を繋いだ。
「その上でございます。源左衛門と幸次郎は射殺されたとき、やはり刀を抜いておりませず、藩からのご下命はまたもお家断絶と云うことでに御座いました」
治助は、一つ大きな息を吐いて言葉を続けた。
「ただ一人の肉親となったお豊の母も、二人の後を追うように自害して果てたので御座います」
治助の声は心なしか、震えている様に聞こえた。
光正は、お豊が見せる明るい笑顔の下に、大きな苦悩が潜んでいる事を知った。
治助の話によると、二人を射殺した下手人と浅田正孝を斬殺した犯人は、未だに捕まっていないと云う。
草野親子と浅田正孝は、常在戦場などと云う遠い昔の亡霊のために、その死は不名誉な死となってしまった。
治助達親類筋は相談の上、帰るべき家も家族もなくした身重のお豊を、芋川村の外れにある小さな空き家に住まわせ、母子二人は親類たちが出し合っている僅かな金子で糊口を凌いでいるという。
治助がお豊の話を暗い顔で語っている頃、芋川村のお豊は家の庭にある柿の大木の根元に座り、自死の直前に母がくれた長い文を読んでいた。
母が他界してから三年余の歳月が流れていたが、お豊は事有るごとに母の文を読み返していた。                                         文を読みながらふと上げたお豊の目は、一つの柿の実に注がれ、その目の眼光は柿の実を射貫く程の殺気を見せていた。

「光正、今日は久しぶりの非番だから道場に行くのでしょ。そろそろ、明け六つ(午前六時)の刻限になります。朝餉(あさげ)の支度が出来ましたから、汗を拭いて来なさい」
屋敷の中庭で三尺(九十センチ)の真剣を使っての型稽古をしていた光正に、母の美津は廊下から一声掛けると台所に戻って行った。
光正は太刀を鞘に納めると、台所脇の井戸に行き、井戸水で手拭いを濡らし、汗を拭くと台所に向かった。
光正は、台所の土間より一尺五寸(四十五センチ)程高くなっている板の間に座った。
「いただきます」
山盛りのご飯味と味噌汁が載ったお膳に両手を合わせると、勢いよく白米を口に放り込んだ。
香の物も一緒にかみ砕くと、茄子の味噌汁を吸い、一緒に胃の腑に流し込んだ。
「ううん、うまい」
「母上。今日も米の炊き加減といい、茄子の味噌汁といい、旨いですね。もう一杯お代わりを」
光正は、空になった飯椀と汁椀を交互に出しながら前に座っている美津に言った。
「はいはい、たんとお上がりなさい。よく噛んでね」
まるで幼子に語り掛けるようである。
光正は何時もの様に、この日の朝も山盛りの飯を三杯と味噌汁三杯をたちまちに平らげて、朝餉を済ませた。
「ふー。何時もの事とはいえ、朝から三杯飯と味噌汁。ほんとに、良く胃の腑に入りますこと」
母は光正に茶を出しながら、ため息まじりに言った。
光正は脇差一本を腰に差し、四半刻「三十分」程歩いて城下外れに有る総武館道場に着いた。
古い百姓家を改築した道場の朝は静まり返っていた。
光正は、道場主であり師でもある「岩村普賢斎」《いわむらふげんさい》の居室へ朝の挨拶に伺うのが、五歳で入門した時からの恒例であった。
総武館道場は三十人程の門弟がいるだけで、藩に三つある他の剣術道場の門弟数と比べると、総武館道場は藩内で一番小さな剣術道場と云えた。
だが裏を返せば、総武間道場の稽古は苛烈さで知られ、その厳しい稽古に耐え抜いた者達だけが門人として残っていた。
光正は玄関を入ると、道場の壁に据えられている神棚に一礼し、道場主で有る岩村普賢斎が住まう離れにつながる廊下を歩いて行った。
離れには、台所の他には板の間と十畳程の部屋が三間あり、その周りを廊下がぐるりと回っている。                                         家の周りには、小さな池と小さな庭が綺麗に手入れされていて、庭の脇にはこれまた小さな畑が耕されている。
畑には、かぶや大根、葱などが所狭しと作られていた。
光正は一番奥に有る部屋の前で歩みを止めると、障子の閉じられた居室の廊下に坐した。
「先生、おはようございます。光正に御座います」
光正は、障子に向かって言葉を送った。
「おうおう、光正か。入りなさい」
太い声が返ってきた。
「はっ、失礼致します」光正は、片膝を立てながら両手で障子を開けると、普賢斎は妻の春江と共に茶を飲んでいた。
二人が並んでいるその姿は、世間で云うところの「蚤の夫婦」である。
大きな妻と、小柄な普賢斎。
六十まじかの普賢斎は、一見楽隠居した好々爺の様に見える。
何時も温和な顔を見せている。
そんな普賢斎だが、一度道場での稽古が始まると、その顔と雰囲気は一変する。                       眼光は鋭く光り、小さな身体から発せられる威圧感は、その体を何倍にも大きく見せていた。
小松藩の中で、最高位と云われる総武館道場で五指に数えられる光正ではあるが、師である普賢斎の繰り出す竹刀の猛攻を凌ぐのがやっとで、反撃すら出来ていない。
そんな普賢斎だが、普段顔の微笑みで光正を迎えてくれた。
「先生、奥方様お早うございます。今日もよろしくお願いいたします」
光正は、両手を付くと丁寧に頭を下げた。
「光正、おぬしが道場に来るのも久しいな」
「はっ、先生、申し訳ございません。お役目の方がいささか」
光正は、其処まで言うと口を閉じた。
「誠にのう、大変なるご時世よ。村々から聞こえて来る米の不作話は、儂の耳にも届いておる」
普賢斎は腕を胸の前で組むと、一人肯いていた。
「さっ、光正殿。そこでは話が遠くなりますから、此方に」
妻の春江は、部屋の隅に座している光正を普賢斎の前に誘った。
光正は師の前に座り、改まった顔で手を付くと。
「先生。今日は先生にお聞きしたき儀が御座いまして」
「何事かな」
光正は斎藤治助に聞いた、お豊親子の話を語りだした。
お豊の父と弟は射殺され、母は懐剣で首を切り自死していた。                                    その後、夫である浅田正孝も、大川橋の上で斬殺されていた事。
これら、殺された三人は刀を抜いて戦った後もなく、武士に有るまじき所業として、藩よりお家断絶と云う厳しい裁定が下された事などをかいつまんで話した。
「うむ、その話なら儂も聞いておる。そのお豊という女子は、誠に不憫な女子よのー」                                       普賢斎は、お茶を一口啜ると太い息を吐いた。              
「して、儂に聞きたい事とはなにかな」
「はい」
「先生。お豊どのの父弟を射殺した者と、ご主人である浅田正孝殿を切り殺した犯人を見つけ出すにはどのようしたらよろしいでしょうか」
「ほー、光正。そなたが下手人を探すと申すのか」
「はっ、いえ。その様な事は。ですができうれば」
光正は、師にしどろもどろな返事をしながら、なぜか自分の顔が火照るのを覚えた。
「まあよい、其方にも考えがあっての事であろう」
普賢斎と光正は、それから四半刻(三十分)ほど話をしていた。

昼近くになる前に、光正は道場の稽古を早めに切り上げ、総武館道場からさほど遠くない弓町に足を運んだ。
弓町と云う名の由来は定かではないが、小松藩では弓組に属する藩士五十三人と弓師、矢師など
職人達が住まう一角を、昔から弓町と呼び習わしていた。
光正は、同じような家々が立ち並ぶ家並みを見ながらしばらく歩いていたが、やがて一軒の家の前で足を止めた。
その家の玄関脇につるしてある古い木札には「弓師、源次郎」と墨で書かれてあった。
光正は、しばらく玄関の木札を見ていたが、年季の入った板戸に向かって声をかけた。
「ごめん。源次郎どのはご在宅か」
光正が板戸の前でしばらく待つていると、家の中で人が動く微かな気配を感じた。
「何方かな」
煩わしげな声が、家の中から聞こえてきた。
「ごめん」
光正は、建付けの悪い板戸を開けた。
土間の奥にある板の間では、老人が弓の材料である竹を磨いていた。
「初めてお目にかかる。私は、地方差配役見習いの佐々木光正と申します」
光正は、斑な無精ひげを生やした老人に頭を下げた。
老人は険しい眼差しで、一瞥をくれただけだった。
「何用かな」
老人は、光正の顔も見ずに言った。
「仕事中に申し訳ない。総武館道場の岩村普賢斎先生にお聞きし伺ったのですが」
「ん、」                                       老人は、光正の顔を初めて直視した。                                 「お前さん。普賢斎先生の知り合いかね」
「はい、弟子に御座います」
「そうかい、そうかい」
それまでの不機嫌そうな老人の顔が一変した。
「お若いの、まあこちらに座りなさい」
源次郎は、板の間を節くれだった手箒で掃くと光正に促した。
「お若いの。久しくお会いしていないが、普賢斎先生は達者にされておるかのぅ」
源次郎は、歯抜けの口をもぐもぐと開きながら言った。
「はい、先生はご壮健でいらっしゃいます。私ごとき剣の腕前では、まだまだ先生の足元にも及びませぬ」
「それよ、それよ。あの先生は剣術にかけちゃ尋常ならざるお人じゃからのー」
しばらくの間、源次郎は普賢斎の剣術談議を楽しそうに話していたが、急に声を潜めると。
「わしがこうして生きておられるのも、おぬしの先生のおかげなのじゃよ」
源次郎は、呟くように言ったが、訳は語らなかった。
「ところでお若いの。何用で参られた」
「はい。先生から、弓や弓組についてなら、源次郎どのにお伺いするようにと言われまして、今日お邪魔した次第です」
光正は此処でも、三年余り前お豊の父である草野源左衛門と弟の幸次郎が、弓矢で射殺された話をした。
「その事なら、よく覚えいおる。平時に藩士の親子が次々と射殺されるなど、今まで聞いたこともない話じゃからのー」
「源次郎どの。先生が申されるには、幸次郎殿は別として草野源左衛門殿は殿の警護を務める馬廻り役の武士、当然剣に関してもかなりの使い手のはず、その様な源左衛門殿をただの一矢にて射殺すには、かなりの技量を持った射手でなければならない。先生はその様に申されておりました」
「誠にその通りよ。戦場では騎馬武者として、平時でも常に殿の周りを警護する馬廻り役は、馬術に優れ剣術にも秀でた者達の集まり、その様な者を倒すとはよほどの腕を持つ者であろーよ」
源次郎は腕を組むと眼を閉じ、弓組の隊士五十三人の鍛錬のために作った、的場の情景を思い出していた。
弓組の鍛練場である的場は、藩主大伴家の菩提寺でもある「蒼紫寺」の広大な敷地内にある。
蒼紫寺の敷地内の一角には京の都にある蓮華王院本堂、所謂通し矢で有名な「三十三間堂」を模した建物が建ててある。
当然のごとく、建物の長さは三十三間堂に及ぶべくもなく遥かに小さな建物である。
蒼紫寺でも京の都に倣い、この建物の本尊は千手観音を祀っていた。
この千手観音堂の前庭では、毎年田植えの始まる「皐月」(五月)に五穀豊穣を願う奉納試合が行われている。
この奉納試合は、小松藩弓組隊士五十三人が、明け六つ(午前六時)から暮れ六つ(午後六時)までの間、六十間(約百九メートル)の距離で、一尺(三十センチ)の的をめがけて技を競っていた。
日の出から日没まで七尺三寸(二メートル二十一センチ)の長弓で、何百本もの矢を射る奉納試合は、弓組の隊士にとっても過酷な戦いと云えた。

光正は源次郎の家を辞去すると、源次郎に書いてもらった三名の弓組隊士の家を下見することにした。
源次郎の話によると、この三名は毎年恒例の奉納試合において、甲乙つけがたい程の技を見せる弓の名手だと云う。
光正は家々の表札を確かめながら歩いて行くと、低い生垣の有る一軒の粗末な家の前で足を止めた。                                             その時だった、光正の耳に微かな矢羽根の風切り音が。                  刹那、《せつな》光正の一尺五寸(四十五センチ)の脇差が一閃すると、光正の横一尺(三十センチ)程離れた所に飛んできた矢は、真っ二つになり地面にたたき落とされた。
光正は、矢の飛んできた方角を生垣越しに睨みつけた。
そこには弓を左脇に抱え、不敵な笑みを浮かべた三十半ばくらいの男が、光正に近づいて来た。
「ふふふふ、失礼した。俺としたことが、手がぶれてしまって的からだいぶ外れてしまった」
男の片唇を上げた、薄笑いは続いている。
「ほー、松崎茂之助どの程の弓の名人でも、的を外されますか」
光正は、朽ちかけた小さな門に掛けてある表札を見て言った。
弓師源次郎から書いてもらった弓の名手三人の中に、松崎茂之助と云う名があった。
光正の一言に、茂之助は薄ら笑いを消した。
「其方、家々をなぜ嗅ぎまわっておる、盗人にでもなるつもりか」
茂之助は、鋭い一瞥を光正にくれると、背を向けると家の中に消えて行った。


脇差一本を腰に差しこんだ光正は、珍しく斎藤治助を共にせず一人村々を歩いていた。
治助たち地方差配役は、藩内の農家一軒一軒を回りながら郡奉行の決断を伝えていた。
発育不良が顕著な棚田の稲は、霜月(11月)まで稲刈りを日延べするようにとの下命が藩内の村々に下されていた。
それは取りも直さず、稲の生育期間を少しでも長くし、コメの収穫量を少しでも多くしたい、そんな思いであった。
光正は、水沢村の棚田を見ながら山道を登りきると、隣り合う芋川村の方に降りて行った。
久方ぶりの芋川村である。
前回芋川村に来たのは、耳に痛い程の蝉時雨が聞こえていた頃だった。
神無月(十月)に入った今、蝉たちの声は最早なく、道の両端からは虫たちの声が涼しげに聞こえてくるだけ。
光正が山道を降り切り、城下と芋川村をつなぐ道に出たとき、二十五間(約四十五メートル)程先の杉並木を芋川村に向かって歩く一人の侍が見え隠れしていた。
曲がりくねった田舎道を、その侍は急ぎ足で歩いていた。
光正が侍を目で追っていると、やがて杉並木は終わり、草原の中に侍の横顔が見えた。
「あれ、」
光正は小さな声で呟いた。
脇差一本を差しただけのその侍に見覚えがあった。
過日、弓町で光正の近くに矢を射かけてきた男、松崎茂之助だった。
矢を当てるつもりは無くとも、光正の体近くに矢を射かける事自体、この男の薄気味悪さと異常さが感じられた。
同じく芋川村に向かう光正は、自然と松崎茂之助の後をつける形となった。
光正は長身な体を前屈みに、足を忍ばせて歩き始めた。
曲がりくねった道を歩きながら、見え隠れする茂之助の後姿を、二十間(約三十六メートル)程の距離をとりながら、付かず離れずに付いて行った。
やがて茂之助は、芋川村に入ると集落の中心には向かわず、左の道に曲がって行った。
「もしや」
その道は、蝉時雨に包まれながら、顔の汗を拭き拭き斎藤治助と二人歩いて行った道だった。
その道の先にあるのは、お豊親子が住まう小さな一軒の家が有るだけ。
光正は、何故か胸騒ぎを覚えた。
一歩一歩踏み出す足に、細心の注意を払いながら後を追った。
やはり、茂之助の足はお豊の家の前で止まった。
「ごめん」
茂之助は木戸に向かって声を掛けた。
やがて木戸が開くと、お豊が出てきた。                          それを隠れて見ていた光正は、息を吞んだ。                         華やかな着物を身に着け、唇には艶やかな紅を引き、別人と見まがう化粧をしたお豊が笑顔で現れたのだ。
その顔は、光正が知っている正吉の母と云う面影など微塵も無く、妖艶な顔とその眼差しは、まさに女である事を見せつけていた。
茂之助は、お豊に手を引かれるように家の中に入って行った。
光正は、板戸が閉まってから暫くすると、庭にある柿の大木の根元に身を伏せた。
「おい、おい。俺は何をしてるんだよ」
光正は、わざと明るく自問自答してみた。
だが、茂之助を妖艶な笑顔で出迎えたお豊の顔が、光正の心を暗くした。
弓町の生垣越しに見た、松崎茂之助の不気味な笑い顔が蘇って来た。
やがて、お豊の小さな家に一つしかない畳部屋の雨戸が開かれ、二人の話し声が光正の耳に聞こえてきた。
「松崎様。お久しぶりにございます」
お豊は、酒肴を乗せたお膳を茂之助の前に置くと、上目遣いに挨拶をした。
「お豊、そなたも元気そうじやないか」
「はい、お陰様で親子共々元気に暮らしております」
「そういえば、子供はどうした。居らぬようだが」
「はい、正吉は縁戚筋の家に泊まりに行っておりますので。松崎様、今日はごゆるりとお過ごしください」
お豊は舐める様な目つきで言った。
「お豊、其方は一段とつやっぽくなったなではないか」
茂之助の眉は下がり、片唇だけが上がった。
「はい。今日はごゆるりと御酒などをお召し上がり下さい」
お豊は潤んだ様な瞳を見せ、着物の襟もとをゆっくりと広げた。
「お豊、其方から文を貰おうとは夢にも思わなかったぞ。その上酒を一緒に飲めるとは」
茂之助はお膳の盃を取ると、お豊の前に突き出した。

他方、柿の木の根元に身を潜めていた光正は、お豊と茂之助の話し声に聞き耳を立てていた。 だが、二人の会話を少しずつかき消すかのように、遠くの山々から聞こえる雷鳴が、少しずつ大きくなって来た。
「やがて、雨が降るやもしれない」
光正は心の中で呟いていた。
「それにしても、松崎茂之助という男をお豊どのが歓待するのは何故なのか、あの男を好いているのであろうか」
光正は過日、弓町で松崎茂之助に会った後、弓師、源次郎の家に取って返していた。
「源次郎どの、松崎茂之助が事ご存知でしょうか」
「うむ、弓組の事なら、一通りは知っているつもりじゃがのー。ふひゃ、ひゃ、ひゃ」
源次郎は、歯の無い口を開けて楽しそうに笑った。
茂之助の為人(ひととなり)を、源次郎は笑い顔を消してから語りだした。
「今から二十年程前、茂之助がまだ十五歳の時であった。流行り病で、突然二親を亡くしてしまった一人っ子の茂之助は、人が変わってしまったそうな。それまでも変わり者であったが、益々陰険な男になっていったそうな。三十五歳になった今でも独り身のまま。親戚縁者も寄り付かず、縁談話を持ってくる者などいないそうな」
源次郎は、一息おいた。
「今では、弓組の仲間内で。やれ酒乱の茂之助だの、やれ女狂いの茂之助だなどと陰口を叩かれておるわ。実際酒を共にした者は、飲むほどに酔うほどに正気を失ってゆく茂之助に、恐怖を感じたと言っておったわ」
光正が源次郎の話を思い返していると、やはり「ぽつぽつ」と雨が降り出してきた。

茂之助は四半刻「三十分」程お豊の体を舐め回す様に見ながら酒を飲んでいたが、顔は次第に赤くなり、口は段々とろれつが回らなくなってきた。
降り始めた雨音と、遠くに鳴り響く雷鳴を聞きながらお豊は言った。
「松崎様。脇差など堅苦しいものは横に置いて、楽しく飲みましょう」
お豊の一言に、茂之助はニヤリと笑うと、脇差を腰から抜き部屋の隅に放り投げた。
それを見て、お豊は座っていた足を崩すと、着物の裾をさり気なく広げた。
茂之助の酒で濁った眼は、開かれた裾から見えるお豊の白い太ももで止まった。
「おっ、お豊」
茂之助がお豊の体に手を伸ばしかけたその時、お豊は素早く裾を直すと座りなおした。
「松崎様。どうして幼馴染の私を娶ってくれなかったのですか」
お豊は縋る様な目付きで言った。
「なに、お豊。そなたは事情を何も知らぬと申すのか」
茂之助は、手酌で盃に酒を注ぐと一気に飲み干した。
「松崎様、いったい何があったと言うのです」
お豊は、茂之助の盃に酒を注ぎなから聞いた。
茂之助は、酒を涎の如く零しながら飲み干すと。
「お豊、儂は言ったぞ「小さき頃より知っているお豊を嫁にくれ」と。だが其方の親父の返事は、儂を小ばかにしたものだった。「娘はそなたにはやれぬ」その一点張りよ。全くふざけやがって」
茂之助は、右手の拳を自分の膝に叩き付けた。
「お豊、今の儂は昔の儂ではないぞ、儂を軽んずる奴に容赦などしないわ。ふふふふ、馬鹿者どもが」
茂之助は、酔った体を前後に揺らしながら言っていた。おれさま
「そしてな、俺様の逆鱗に触れたのが。そなたとの婚儀を申し込んでから一月後には、浅田正孝との縁談が急遽決まった事よ。儂は藩内でいい笑いものよ。浅田の様な刀もろくに扱えないなまくら野郎より俺様が劣っているとでも言うのか」
最早、茂之助の目は狂気の色を帯びていた。
茂之助が盃を突き出すと、お豊は黙って酒を注いだ。
暫くの間、茂之助は体を揺らしながら盃を重ねた。
「松崎様、ご無念は晴らされたのですか」
お豊は優しい声で言った。
茂之助は盃の酒を呷ると、酒臭い息をお豊に吐き掛け。
「当たり前だ、俺様を誰だと思って居る。俺様は剣の達人で、弓の達人ぞ。儂を馬鹿にしたお前の親父と弟を射殺し、ついでに腑抜けた浅田正孝もあの世に送ってやったわ。あははは。ざまあみろ」
茂之助は、畳に寝転ぶと大の字になり大笑いした。
それを見ていたお豊は、静かに立ち上がると押入れを開けた。
そこには、母の形見の懐剣が鮮やかな絹の袋に包まれ置いてあった。
お豊は、懐剣に両手を合わせて眼を瞑った。
やがて、一尺(三十センチ)の懐剣を静かに抜くと、大音声を張り上げた。
「松崎茂之助。我が二親と弟、そして我が夫浅田正孝の仇、覚悟しろ」
お豊は、畳の上に寝転んでいる茂之助めがけて懐剣を力いっぱい振り下ろした。
だが、茂之助は酔った体を必死に転がして、お豊の攻撃をかわした。
「お、豊、貴様。お、俺とやるつもりか」
茂之助は、這いつくばりながら酔った体と目で自分の刀を探しまわった。
やがて、脇差を掴み身構えた茂之助は片唇を上げると。
「ふふふふ、お豊。そなたもあの者達の所に行きたいか」
茂之助は、ふらつく体で一尺三寸(三十九センチ)の脇差を抜くと、お豊の顔を見ながら笑みを浮かべた。
「お豊、まずはそなたを殺す前に、たっぷりと可愛がってやるわ」
茂之助の脇差が一閃すると、前にいたお豊の着物の帯が真っ二つに切られ、着物の前が「ふわり」と開けた。
お豊の顔には恐怖の色が色濃く浮かび、腰が抜けたように畳の上にへたり込んだ。
茂之助は、不気味な笑い顔を見せながら、お豊の襟首を掴んだ。
その時、庭に向かって開け放たれていた縁側から、ずぶ濡れの男が入ってきた。
「其方のお相手は私が仕ろう」
光正は、体中から滴り落ちる水も構わずに畳の上に飛びあがり、三尺五寸(四十五センチ)の脇差を素早く抜くと峰を返した。
お豊を見ていた茂之助は、振り返りざまに獣の様な咆哮を上げると、手にしていた脇差を横に払った。
光正は、刃の高さを一瞬で見切ると、長身を素早く屈め、峰を返した脇差で茂之助の胴をはらった。
「ぐふっ」
茂之助は、自分の肋骨が折れる音を聞きながら悶絶していた。
「お豊どの、大丈夫ですか」
へたり込んでいるお豊は、顔面蒼白な顔を光正に向けながら、廃人の様な瞳を見せ頷いていた。
光正は次々と動いた。
お豊をまず落ち着かせると、土砂降りの雨の中、柿の大木の根元に茂之助を縛り付け、芋川村の庄屋「小林与兵衛」の家に走った。
やがて与兵衛の家人が城下に走ると、徒歩目付と取り方三名を芋川村に同道して来た。
茂之助は捕縛され、吟味が始まる事となった。
一連の出来事が終わった夜、突然悪寒が走り、光正はお豊の家で寝込んでしまった。
光正は、畳の部屋に床を延べてもらい、横になったのだが、背筋が「ガクガク」と震え、歯も「カチカチ」と鳴った。
土砂降りの冷たい雨の中、柿の大木の根元で半刻(一時間)以上も身を隠していて風邪をひいたらしい。
だが、震えていた体も薄皮が剥がれるように、少しずつ、少しずつ治まってきた。
光正は知らぬ間に寝ってしまったのだろうか、不思議な夢を見た。
光正の寝ている布団が微かに動くと、誰かが布団の中に入ってきた。
やがて寝巻の帯が解かれると、光正は下帯姿にされた。
「あー、あったかい」
光正は、夢の中で呟いていた。
寒さで震えている光正の体を、柔らかな人肌が優しく抱きしめ、温めてくれていた。
温かな母の胸に抱かれた子供の様に、光正は幸せそうな顔で、いつしか寝息を立てていた。
どの位眠っただろうか、光正は薄明りの中目を覚ました。
細く目を開けてみると、寝ている光正の顔の上に、座しているお豊の顔があった。
「佐々木様、お目覚めですか」
お豊は、光正の顔を覗き込みながら、向日葵の様な輝く笑顔を見せた。

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