第1話

文字数 1,334文字

決められた曜日。
決められた時間。

私は何の疑問もなく、母に決められた鞄を持って一人教室に向かう。

いつからそうしていたのかも分からない。
やりたいのか、やりたくないのかも分からない。

しかし、そう決まっているので行かねばならない。



いつ教えて貰ったのだろう。
毎週通うマンションのロビーで決められた番号を押し、深呼吸をしてインターホンを鳴らす。
毎週のことなのにとても緊張する。

「はい。」
「…こんにちは、はらだです。」
「はーい。どうぞー。」

ガチャリ、と音が鳴った扉を掴み中に入る。
エレベーターに乗り目的の階に着くと迷わず左に曲がる。

先生の家はいつも鍵が開いているので、ロビーのオートロックのドアを入ればすぐに入ることができる。私はドアの前で立ち止まり、深呼吸をすると取っ手を掴んだ。

奥の部屋から明るい、綺麗なピアノの音が聞こえる。

上手だなぁ。

部屋に入り、壁際にある椅子に座った私はドリルを取り出しながらそんなことをぼんやり思った。

「じゃあ、翔太くん。来週はこの曲練習してきてね」

先生がそう言うと翔太くんは先生にお礼を言って帰って行った。

「舞ちゃん、おまたせ。この前の曲は練習してきた?」

先生に優しくそう尋ねられた私は「はい」と答えた。練習などしていなかったが、私はそれ以外の言葉を知らなかった。

そして案の定、私は完璧に弾くことはできなかった。

「…この曲、難しかった?でも先週躓いてたとこは直ってるね。来週は全部仕上げて来てね」

「はい、ありがとうございました」

そう言って私は楽譜を鞄に入れ、先生の家を出る。

先週何度やっても出来なかった箇所が弾けたことが嬉しく、早く家で練習したいと思った。


「ただいまー」
「お帰り、どうやった?」
「来週はこの曲仕上げて来てねって言われた」
「そう。じゃあ、練習しなさい」

そう言うと、テレビを見ながらおやつを食べていたお母さんは視線をまたテレビに戻した。

「今弾いていいの?」
「やったらええやん、ほら」

そう言うとお母さんはテレビの電源を切った。

私は少し躊躇いながらテレビの横にあるピアノに向かうと、蓋を開け、さっそく先生の家で弾いた曲を弾き始めた。先ほど弾いたばかりだからか、先生の家で弾いた時より上手く弾けている。

先週何度も躓いた箇所も乗り越え、最後まで間違えることなく弾けそうだ、そう油断してしまったからか、いつもは間違えない所で違う鍵盤を触ってしまった。

あっと思った時には遅かった。

「下手くそ!調子狂うわぁ。もう後でやって。もうすぐ野球始まるし」

そう言うとお母さんは再びテレビをつけた。

「さ、お母さんもご飯の準備せな」

そう言い残すとお母さんは立ち上がり、台所へと消えた。

残された私は鍵盤にカバーを被せると、その上から音が鳴らないよう、ゆっくり鍵盤を押した。すると私にだけ聞こえるくぐもった小さな音でピアノは応え、それに楽しくなった私はカバーの上から思い切り鍵盤を押した。そしてカバーを取り払うと、先ほどの曲を弾き始めた。

するとお母さんが出てきて怒り始めた。

「なんで今やんの?テレビの音が聞こえんやん。練習は明日やったら良いやろ?上手やったら聞いたるけど、そんな下手くそなん聞きたくない!」

そう言われた私は頷くと、今度こそカバーを掛け、ピアノの蓋を閉じた。






ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み