エッセイ 私は川崎フロンターレのサポーター

文字数 3,646文字

私は、サッカーJリーグ、川崎フロンターレのサポーターだ。
2005年からサポーターを現在まで続けている。多分熱い方のサポーターだと思う。

川崎フロンターレが独特なのかもしれないが、サッカーは試合観戦だけでは無く1日中家族で楽しめるレジャーである事はサポーター以外一般には知られていない。
又試合当日以外も様々なイベントを行っている事も一般に知られていない。

私は川崎フロンターレに出会う前までは、サッカーに関してはW杯予選を少しTV観戦する程度だった。

私と川崎フロンターレとの出会いは地元の区民祭だ。
区民祭に家族で出かけ無料で配っていた文具を娘の為にもらった。
その文房具を配っていたのが川崎フロンターレであった。
今、思えば現在名将と呼ばれる鬼木監督(当時選手)その人が配っていた。
当時川崎市はヴェルディのホームタウンで地元の子供たちもヴェルディのユニフォームを着ている子だらけで、フロンターレの知名度は全く低かった。

家に帰り川崎フロンターレのHPを閲覧した。
その時、たまたま選手と子供が手を繋ぎ入場できるウィズハンドイベントの募集記事を見つけ、本当に軽い気持ちで応募した。
結果娘姉妹揃って当選。
それがきっかけとなり初めて等々力スタジアムでJリーグ観戦に行くことになった。

初めての等々力スタジアムでの観戦は入場ルール等知らない初見の者には長時間同じ場所で待ち続けるストレスが溜まるものだった。
川崎フロンターレの選手は誰も知らない選手ばかりだったが選手と娘が入場してきた時は本当に感動した。(後で調べた所、ジュニーニョ10番と谷口選手29番でした2人共名選手でした)
元々子供達が入場するところ記念に写真に収めたく行ったが、試合はかなり白熱し(対戦相手はジェフ千葉 千葉の阿部選手(現浦和)がメジャー選手)、面白く、サッカーはTV観戦するよりスタジアムで観戦する方が面白いスポーツだと知りました。
その試合は川崎フロンターレが勝利し試合後勝利の場合選手たちとバンザイするイベントも姉妹揃い当選し、14時~試合開始なのに早朝から1日中等々力スタジアムで時間を過ごしていた。
この体験が心地よく感じたのか?その試合観戦がきっかけでその後、家族4人毎試合等々力スタジアムで観戦するようになった。

何度か行くうちに待ち時間の使い方も慣れてきた。試合観戦だけでなく朝起きてから帰るまでサッカーの試合観戦を中心とした1日のレジャーとして家族4人で楽しんだ。

スタジアムは大体緑地公園内にあり遊具や家族で遊べるイベントが数多くあり子供たちは女の子だったが、参加すると色んなものが貰えるのと外食できるのが楽しかったようで喜んでついてきていました。
フロンターレが勝ったら地元のレストランで外食、負けたら中華レストランで食事し家路につくのがパターンだ。当時はフロンターレ弱かったのでほぼ中華だった。

家族4人どっぷりと川崎フロンターレサポーターになりファン感謝祭や選手のトークショー等試合以外も参加するようになった。
ルヴァン杯予選は平日開催されることが多い。冠スポンサーがヤマザキナビスコ(現ルヴァン)という事もありイベントに参加するとナビスコ(現ルヴァン)のお菓子が貰える。平日開催で空いている事もあり何度も何度もイベントに参加しチップスターとオレオを家族4人で山ほど貰って帰った事もあった。
当たり付の餅まきイベント(当選が昆布だった)や大学の学祭で行われるトークショー、クリスマス時期に市民ミュージアムで行われるフロンターレ展とトークショー等試合以外もどっぷりイベントに参加し楽しんだ。
川崎フロンターレのイベントはほぼほぼ全て(当選しないと参加出来なイベントもある)参加した。

そのイベントの中でも特に忘れられない記憶に残ったイベントが3つある。

1つ目は、マクドナルドのイベントで、「選手と一緒にビックマックを食べる」といったレアなイベント。倍率は判りませんがかなりの高倍率だったと思うが当選した。
武蔵中原駅のマクドナルド店舗の客席の一部分を使い参加者が10名程度の少人数のイベントだった。
人数が少ない分のレア感と一般客席使用というたまらないシュール感が良かった。
娘と2人で参加した。MCが高木アナでかなりオープンな場所なのにしっかりし感はあるイベントだった。参加選手は山瀬選手と登里選手の2名。
たまたま娘の横に山瀬選手が座り笑顔でビックマックを食べていた。
何か話さなきゃと思ったテンパリ癖のある娘が「どうしたら成長できるのでか?」と適当な質問を山瀬選手にしてしまった。山瀬選手はそんな娘の質問に真面目に真剣な表情で「自分で自分の天井を作らない事」と答えてくれた。
その言葉が強く響いたようで、それから娘はその「自分で自分に天井を作るな」の言葉を今でも宝物のように24歳になった現在も大切にしている。
登里選手は今でこそサッカー選手として一流の選手ですが、当時から今も変わらず気配りや言葉かけが、人として一流でした。
特に最後に抽選で山瀬選手のサイン入りスパイク(山瀬選手いわく昆虫のようなスパイク
確かに紫ラメでかなり派手スパイク)に当選し山瀬選手から手渡しされた娘は選手との記念写真を含め最高の1日になったようだ。
その山瀬選手の昆虫のようなスパイクはケースに入り未だ部屋のセンターに飾られている。

2つ目は 私にとって史上最高の1日となった体験(イベント)だ。
スカパーが主催の月間ベストゴール表彰のプレゼンターの参加だ。
参加条件は応援しているチームからベストゴールが選ばれなければならない。
その上で応募者の中から月間ベストゴールのプレゼンテーターに当選しなければならないたった1名だけしか体験できない、かなり参加するにはハードルの高い希少性の高いイベントだ。そのイベントに当選した。
娘と2人で参加する予定だったが留学先の英国からの飛行機が遅延し急遽夫婦で参加する事になった。
スタジアムの普段入る事の出来ないエリアに入場出来、記念写真(グラウンド側は撮影する事はNG)も撮れる場所がかなり制限された。
試合開始直前という事もあり選手も含めその場の雰囲気はかなりピリピリしていた。
また対戦相手が人気チームの浦和レッズだった、ためスタジアムは満員だった。
選手が入場しグラウンドに整列した後、私が入場。
満員札止めの等々力スタジアムでトロフィーと記念品を小林悠選手に渡しました。
普段は明るいイメージのある小林選手はニコリともせず淡々と受け取っていた。
試合前の選手みんな緊張した面持ちでピリピリしており試合前はこんな感じなんだと思いました。 
しかしつい先日小林悠選手がJ1300試合出場の記念に家族から花束をプレゼントされていましたがその時は試合前直前でしたがニコニコ、デレデレでした。。。。。。選手も人間。
知らないおっさんじゃ笑顔も出ない?だろうなー
この時、チーム専属カメラマンさんが撮影してくれた写真は私の宝物です。
額に入れ部屋に飾っている。。

川崎フロンターレに楽しませて頂いてきた家族のサッカーレジャー時間も、長女が中学2年生くらいになると定期試験で行けない日もあり、次女が中学受験で行けなくなりそれに併せて妻も遠のき、それ以降今では1人で観戦となつた。

そして3つ目は「私の街の川崎フロンターレフォトコンテスト」だ。
川崎市が主催の毎年開催されているフォトコンテストである。
1回目は自分なりの良くできた芸術写真で優秀賞を獲得した。
以降応募者も増え賞獲る事が無くなっていた。そのフォトコンテストも
10回目を迎え、お題が「私と川崎フロンターレの出会い」部門が登場した。
私は、初めて行った等々力スタジアムでウィズハンドイベントに参加した時の娘の写真(小学生当時)で応募した。写真の出来栄えはかなり低いものではあったが、娘の表情が面白くその写真で応募した。
その写真がなんと優秀賞を受賞。試合開始前のスタジアムのオーロラビジョンで発表された。そのオーロラビジョンを写真に撮りすぐLINEで娘たちに送付した。
その写真はフロンターレ展で展示され次回のコンテスト応募のポスターに使われ意外と露出されていた。その受賞をきっかけに久々に家族4人でフロンターレ展に行った。

観戦し始めたときはまだ小学校低学年だった姉妹も大学を卒業し今では社会人。
大人として色んな事に挑戦している。
今では娘たちは全くサッカーを観戦しなくなりましたが、家族一緒の時間を長く過ごした等々力スタジアムで過ごした時間は宝物のように感じているようです。

川崎フロンターレには是非!大人になったサポーター家族が楽しめるイベントも是非企画して欲しいです。オールドサポーター向け「激アツ!あの時君は若かった」を テーマにどうですか?

今では川崎フロンターレはタイトルも取り強豪チームと言われますが。そんな強くなった川崎フロンターレの試合また家族で1日中楽しみたいな。

これからも変わらず私は等々力スタジアムに行く。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み