第1話

文字数 4,286文字

 片田舎の小さな街にこれまた小さな古道具屋を営む男がいた。
20代半ばの店主は痩身で背が高く、生まれつき白っぽい髪を無造作に伸ばして首のあたりでこれまた無造作に束ねている。
 年の割にくたびれた身なりの彼が営む店は繁盛という言葉とは程遠く、彼と趣味を同じくする者たちが訪れては店に並んでいる黒魔術や呪術に使う道具やそれについて書かれた書物を買っていく日々。生活や店の維持は勿論、仕入れにもとにかく金がかかるが何とか生活費を削りつつ彼はこの商売と己の趣味を両立させていた。
 このぎりぎりの暮らしが成り立つのは、「いつの日か自らの手でこの世ならざるものを呼び出してみたい、そして言葉を交わしたい」という彼の願いが原動力になっているからだ。
しかしこれまで何度もそれらしい文献や道具を集めてはあれこれと調べて実践していたが、残念ながら彼の願いが叶うことはなくどれも失敗に終わっていた。

 新たな「この世ならざるものを呼び出す方法が書かれた本」を手に入れた彼は寝食も忘れページの隅から隅まで3日程かけて読み耽った。
それからそこに書かれた道具を揃え、自分しか存在を知らない店の地下室に籠って床にせっせと魔法陣を書き写していった。
 本を手に入れてから10日程経ったその日は新月の夜。本に書かれた条件を満たす日だった。
蝋燭の灯りがぼんやりと照らす地下室で分厚い本を手にした彼は呪文の書かれたページを開き、深呼吸をひとつするとそれを読み上げ始める。
 知らない言語で書かれたそれで紡がれるのはこの世ならざるものへの称賛と畏怖。かつてそれが呼び出しに応じた呪文である、という解説が付いていた。
 半分ほど読み進めた辺りで、地下室の空気が張り詰め重く冷たくなっていくのを肌で感じていた。部屋の中央に描かれた陣の中から何かが溢れてくるような、その中心に向かって部屋の空気が渦を巻きながら吸い込まれていくような不思議な感覚だった。
それと同じくして陣の上に実体のない靄のようなものが蠢く気配を感じ、今度こそ成功するのではないかと淡い期待を抱きながら彼は詠唱を続ける。
 残りの行もあとわずかとなった時、靄のようなものが急にヒトに近い形を取り始めるのを彼は見た。自分と同じような背丈の黒い影。
そして詠唱が終わるとそれはもうすっかりそこにいた。

 生気を感じさせない白い肌と、舞台で貴族を演じる役者が着ているような豪華な衣装。顔の半分は鼻の辺りで切り揃えられた緑色の髪に隠され、もう半分は表情を隠すように肌より更に白い仮面に覆われている。
 何より彼の目を引いたのは、頭の左右から生えているねじれた2本の角と翼のように見えるマントだった。
 遂に願いが叶ったことで放心状態になっている男を前に、人間とは全く違う雰囲気を纏った彼が口を開く。

「……人間の分際で私を呼んだのは貴方ですか?」
 感情の読めない冷たい呼びかけに我に返った男は小さく頷いて肯定する。
「口がきけないんですか?」
「あ、いや……嬉しくて言葉が出なくて」
「そうですか」
 人ならざるものは大袈裟に喜ぶでもなく悲鳴をあげる訳でもなく、ただ静かに噛みしめるように喜ぶ様を見ている。過去に己を呼び出した者とは少しだけ違う新鮮さを感じながらそれを表には出さず淡々と答えた。
その様子に何かを察したのか単に空気が読めないのか、陣の外にいる彼は唐突に「いくつか質問してもいい?」と前置きをしていくつか質問を投げかける。

「君のことは何て呼んだらいい?名前があるなら知りたくて」
「そうですね……私のことはナハトとお呼びいただければ」
 明らかな偽名だと思ったが機嫌を損ねない為にと言葉をぐっと飲みこんで質問を続ける。
「君は本当に人間じゃない?」
「えぇ、貴方がたとは違う存在です。自分が呼び出したモノの正体も分からないのですか?」
「確認しただけだよ……」
「分かっておりますとも」

 ここで腹を立てても相手のペースに乗せられるだけだと理解しているので少しだけ呼吸を整える。
それを見たナハトは仮面の下の目を光らせた。
「ところで、いつまでこの茶番を続けるつもりで?願い事があるから呼び出したのでしょう?」
 向こうから話題を切り出してきたので結局相手のペースになっているような気もしたが、そろそろ本題に入ろうとしていたのは男も同じだったので改めてナハトと向き合った。

「──ボクを不老不死にしてほしい。」

 それを聞いたナハトの目が細められ、口角が上がり、
「えぇ、勿論!代価さえいただければ何でも叶えましょう!私はその為に此処にいるのですから!」
仮面の彼は腕を広げたより少し広いくらいの円の中、大袈裟な拍手と芝居がかった口調、可能な限り大きな動作で応えてみせた。
 それを聞いた男が心配そうに問いかける。
「何でも差し出す、と言いたいけどさすがに心臓とかじゃないよね……?」
 貼り付けたような笑みを浮かべたナハトが頷いてみせ、そして仮面の下にある金色の目を指さして続ける。
「左目をいただこうかと。私の左目と交換、という形にはなりますが。」
「目だけでいいのか……思ったより痛くなさそうで良かった……」
「他の者は知りませんが、少なくとも私は流血と闘争を好みませんので……」
 笑みはそのままに先程より少し落ち着いた様子で返ってきた言葉を聞いた男は納得したのか一人うんうんと小さく首を振っていたが、「ですが」と仮面の彼が続けると動きが止まった。
「今回は右腕ももらっていきますね。」
「え、流血も闘争も好まないって言ったのに……?」
「痛みも出血もない方法で持っていくのでご安心を。」
 貼り付いていた笑みはいつの間にか綺麗さっぱり消え失せていた。感情の読めない顔と声に戻ったのを見た男は、自分と今対峙しているのが人ならざるものであると改めて認識した。

 言動に胡散臭さはあるが、彼が代価と引き換えに自らを呼び出した者の願いを叶えるのは事実だ。流血と闘争を好まないのもまた事実。
 今回のようにその時の気分次第で代価の上乗せをすることが過去に何度もあったのも事実だが、その記録はこの世界の何処にも存在しない。

「……それで、どうするんですか?」

 私はどちらでも構いませんよ、と続けると目の前にいる男の反応をただ静かに待つ。
 しかしナハトが考えるより短い沈黙の後、彼を呼び出した男は「ボクは願いを叶えたい」はっきりと告げた。
 それを耳にした途端、仮面の下に笑顔が貼り付く。

「これにて契約成立ですね。」

 彼の言葉に呼応して仮面の下で金色が妖しく煌めいたと思えば、次の瞬間それは男が見慣れた緑色に変わっていた。
 こういった契約には痛みを伴うものだと勝手に思い込んでいた彼は「自分の目を鏡以外で見るのは後にも先にもない機会だろうな」などと考えながらあっさりと己の体から離れた緑色の瞳をぼんやり眺めることしかできずにいた。
 眼の前の光景に気を取られている内に残る右腕もナハトの手に渡り、ただ立っていただけなのに不意に軽くなった右半身の感覚でようやく我に返る。

「終わりましたよ。これでこの先、貴方が老いることはありません」
「そう言われても実感ないなぁ……」
「当然じゃないですか。貴方がたの時間で10年ほど経てば嫌でも分かりますよ」

 もう用済みだと言わんばかりに冷たい声色で突き放された所で、彼が持て余している自分の腕だったものに男がようやく気付く。
 続けて自らの肩の方に視線を落とすと、当然だがそこにあった筈の腕は綺麗さっぱり無くなっていて、服の袖が体の動きに合わせてただ揺れているだけだった。
 入れ替わった瞳と無くなった腕を認識したことで「ようやく願いが叶った」という嬉しさと同時に「とんでもない取引をしてしまった」という底知れない恐怖が彼の中に芽生えた。
 その感情を読んだのか単なる偶然なのか、陣の中にいる彼は「──では、楽しい人生を」とだけ言い残し、現れた時と同様黒い靄と化して姿を消した。

 蝋燭はいつの間にか消え、一筋の光も射さない夜の地下室に、願いのために片目と片腕を差し出した男だけが残される。

「もう死なないのか……これで……」

そう呟いて笑う彼の左目は、仮面の彼と同じように闇の中で妖しく煌めいていた。


 彼──ナハトが代価を貰って願いを叶えるのは事実。
人間を見下しているのも事実。暇つぶしの道具と認識しているのも事実。

 ──人間が都合のよい部分だけを後世に残して言い伝えが歪んだのもまた事実。

「自分はこの姿で200年生きている」と言った若者がいた。
 「どこに行っても化け物扱いされる」と書き残して命を絶った。

「俺は死なないんだ」と仲間たちに言いふらして崖から飛び降りた者がいた。
 落ちたらまず助からない崖の下、変わり果てた姿で転がっていた。

「これで安心して眠れる」と目を瞑った者がいた。
 次の朝、心臓を一突きされた姿で発見された。

「自分の一族の繁栄を見守れる」と喜んだ者がいた。
 不治の病で床に伏し、「騙したな、許さない」と何かを恨みながら息を引き取った。

 ナハトは嘘をつく。『ひとつだけ』願いを叶える。
 今は失われたかつての文献に書かれていたこの文章は、いつの間にか言い伝えから抜け落ちていた。
 彼に不老不死を願った者は皆、不老だけを叶えられていたし、これからもそれは未来永劫変わらない。

 どこにでもあって、どこにもない場所。
 真っ暗な地下室から元居た場所に戻ってきたナハトは、この場所に唯一置かれている豪華な装飾の施された椅子に腰掛ける。
かつてどこかの王家から拝借してきたものだがもう遠い昔のことで、誰の物か、いつの時代の物かはもう何も覚えていない。
ただ、座り心地とデザインを気に入ったことだけはずっと覚えていた。

「片目程度で老いなくなるだけでも感謝してほしいくらいだが……」

 その時の気分でもらってきたが使い道に困る不健康そうな右腕をその辺に適当に放り投げて続ける。

「不老不死になったと思い込むだけで思い切った行動を取ることが多すぎる、なんと愚かなことか」

右腕が落ちた周囲にはおびただしい数の目玉が床を埋め尽くすように転がっていた。
かつてナハトを呼び出した者たちの片目がそこかしこにあったが、覗き込んでも何も映らないそれらに彼はもう興味を示さない。

「見ている分には面白いんだがね」

 それだけ言うと椅子の上でゆったりくつろぐような姿勢になり、仮面の下の目に意識を集中させた。

「──さて、面白いものが見られると良いのですが」

貼り付けたものではなく本心から笑う。
楽しみにしていた舞台を見るような顔で、その悪魔は笑って言った。


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