陽だまり~日菜~

文字数 3,463文字

定時で上がれた木曜日。ちょうどお風呂を済ませたタイミングで、見計らったように電話がかかってきた。画面に表示された名前に、嬉しさと少しの緊張。思わず前髪を指で整えてしまった。一呼吸置いて、通話ボタンを押す。

「お、出た。もしも~し、彼氏で~す。」

おちゃらけた様子でちょっとからかうような、調子のいいいつもの声。

「もう家やんな?」
「うん、お風呂入ってた。」

大阪から東京へ、東京から大阪へ、「ただいま。」「おかえり。」なんて変な感じだけど。温かくて、とても優しい元気印。笑顔がよく似合う関西弁の彼。遠距離恋愛中の、私の恋人。

まだお互いのことを、大晴くん、日菜ちゃん、と呼び合っていた頃。小学生みたいないたずらを仕掛けてきたり、実に楽しそうにちょっかいをかけられたり、スイッチが入るとかまってちゃんになる。子供っぽい人だと思っていたけれど、どうやらそれだけではないことに気がついた。

彼はとても照れ屋だ。素直じゃない。からかったりおちょくったりは、照れ隠しでもあり、彼なりの好きの裏返し。そこに気づいてからは、なんだかかわいく思えて、愛しさも増し増し。

聞いてや~という声が心なしかいつもよりテンションが高いような。何かいいことでもあったのかな。もしや、ちょっと酔っ払ってる?

「さっきまで同期と飲んでたんよ。」

やっぱり。平日なのにタフだなぁ。ボディークリームを片付けながら、相槌を打つ。電話越しのいつもより楽しそうな声に顔が緩む。いつにも増して、今日はよくしゃべる。相当楽しかったんだな。きっと気の合う人たちなのでしょう。

彼には私の標準語が、私には彼の関西弁がうつる。

「ちゃうよちゃうねん、ちゃうよ。」

イントネーションの指導を受けるのは一体何回目だろう。言葉尻を聞くと、ちょっと呆れたように、眉毛をハの字にして笑った顔が浮かぶ。するよなぁ、そういう顔。直接見えなくてもどんな表情をしているか、なんとなくわかってしまうこの感覚が、距離をわからなくしてる。

アルコールも程よく回って、上機嫌な彼。ノンストップでしゃべり続け、そうなんだと時々相槌を打つと、嬉しそうに、それでなってさらに続ける。弾む楽しそうな声につられて笑ってしまう。

「ん?今、笑った?なんかおもろかった?」
「ううん、なんでもないよ。」

思わず漏れた小さい笑い声が彼にばれてしまった。

「日菜って笑かそうと思ったとこではあんま笑わへんねんな〜。」
「そうなの?」
「未だに笑いのツボがわからへん。」
「そんなに笑わせたいの?」
「そらもう腹筋ちぎれるくらいに!」

お笑いに対する気合いがすごい 。さすが関西人と言うべきか。

私も彼に聞いてほしいことがいくつかある。今度は私の番と意気込んで、話を切り出す。あのねと呟くと優しい声で頷いて、私の言葉を待つ彼。こういう所がある。なんだかんだ、やっぱり優しい。

天気予報だけ確認してテレビを切った。外を走る車の走行音。時々聞こえる上の階からの生活音。部屋に反響する自分の声。それだけが響く静かな部屋で、電話越しの声に耳を傾ける。

大阪と東京にそれぞれ通い合い、お互いの部屋を行き来する日々。多くて月に2回。忙しいと3ヶ月以上会えないこともある。彼と付き合ってから、大阪の天気予報も確認する癖がついてしまった。

荷物をボストンバッグに詰めながら、通話を続ける。明日の仕事終わり、大阪へ行く。彼に、会いに行く。久々だから、寝る前にもう一度乗換案内を確認しておこう。

もうだいぶ慣れたけど、最初は新幹線を降りて乗り換える駅の人の多さに何度も迷子になりかけた。迎えに来てくれた彼と合流し、右に進もうとした私の手を引いて、どこ行くつもりやねんと笑う彼。

「そろそろ覚えてください、方向音痴ちゃん。」

黙ってそのままついて行く私。顔を覗き込んでニヤっと笑う彼。拗ねた、拗ねてないよ、拗ねてるやん、の繰り返し。拗ねてないのに拗ねたってしつこく言うから、否定しながらつい眉間にしわが寄ってしまって、本当に拗ねてるみたいになってしまう。すると彼は、やっぱり拗ねてるってまたからかう。でも、私の手を包むように握る手は大きくて、やっぱり優しい。

前回は彼が、東京に来た。この部屋に、彼がいた。カーペットの上、窓辺の陽だまりに2人、寝そべった。陽の暖かさが心地よくて、眠気を誘う。寄り添う彼の温もりに安心して、気づいたら揃って昼寝をしてしまっていた。

寝顔はやっぱり可愛いと思ってしまう。いつか見せてもらった幼少期の写真。ご飯を食べながら寝てしまったときのそれとそっくり。へんてこな寝癖にこっそり笑った。

デートの帰り、人気の無い道でキスをしたら、昨日の夜のことを思い出して、付き合いたてのようにお互いどことなくぎこちなくなった。それがまた恥ずかしくて、やめやめって笑って、そんなやりとりでさえときめいて苦しい。

ドキドキさせられるのは私のほうで、彼はいつも余裕そうで、緊張しているのは私ばかりだと思っていた。だけど、繋いだ彼の手は震えていて、耳が赤いことに気づいて、彼も同じなのかもしれないとほっとして、愛しさがこみ上げる。

自分の生活圏内に彼がいるのはちょっと違和感があって、それが新鮮で、とても嬉しい。金土と泊まって、日曜の夕方には帰る。私が彼の部屋に泊まるときもまた然り。嬉しかった分、楽しかった分、見送る寂しさは倍増。

行かないで。帰らないで。もう少し、もっと、ずっと、一緒にいたい。

一度口にしてしまったら止まらなくなりそうで、困らせることになりそうで、そもそもそんなこと言ったって帰らなければならないことに変わりはないから、気持ちを紛らわして隠している。つもりだけど、それもたぶん彼にはお見通し。なんとか笑わせようとしてくれているのが伝わってくる。ちょっと不器用な彼の優しさ。

「うりっ。」

俯く私の頬をつまむ彼の手。いたずらっ子みたいな顔して面白がるくせに、力加減は優しくて、それがまたときめく。

「やめてよ。」

負けじと私もつまみ返すと、ヒヒっと笑った。私の乗換案内の履歴が彼の乗る東京から大阪への新幹線の案内ばかりなのは、いつもこんなことをしてるからだ。でもそれも、全部思い出。些細なやりとりも例外なく、会えないときの心の糧になっている。

明日頑張れば、あなたに会える。ときに眩しいほど明るくて温かい、冬の終わりぶりに待ちわびた、大好きな人。

いつか彼がプレゼントしてくれたネックレス。明日はこれを着けて行こう。あの彼がこんなに可愛らしいネックレスを売っているお店にいる姿を想像すると、ちょっと笑えてくる。照れ屋な彼のことだから、きっと恥ずかしかっただろうな。それでも私を思い浮かべて選んでくれたことが、プレゼントの価値をぐんと上げる。ただのネックレスじゃない、彼からの贈り物だからこそ嬉しい。ネックレスを触っていたら、なんだか無性に彼が恋しくなった。

「好き。」

深夜の変なテンションに浮かされて勢い任せに呟けば、少しの沈黙の後、ちょっと待ってを何度も繰り返す彼。それ、ちょっとじゃなくて、だいぶ待つね。フッと笑った後、口を開く。

「俺も。」

離れているのに心が近く思えるのは、距離を越えて寄り添おうとしてくれるから。愛しさがまた、募っていく。

「たいちゃんから電話かけてきてくれるの珍しいね。」

いや、まあ、なんや、その、とごにょごにょ言葉を濁した後、スッと息を吸う音が聞こえた。

「待ちきれなくて………、なーんつってな、あは。おやすみ。風邪ひくなよ。」

声色からも、口調からも、照れているのがわかる。そんなこと言われたら、今すぐ部屋を飛び出して新幹線に飛び乗りたくなってしまう。今頃大阪のあの部屋で、耳を赤く染めて頭をがしがしかいているのだろう。待ちきれないのは同じ。お互い様だね。

「うん、おやすみ。」

彼からかけてきてくれたのが嬉しくて、余韻に浸りながら切れるのを待つ。沈黙が続くだけで、一向に切れない電話。

「たいちゃん…?」

あれ?繋がってる?切れてる?返事がなくて戸惑いだしたとき。

「俺は大好きやで。」
「え?」

反応を待たずブツっと切られる電話。私もとすぐにメールを送ったら、知ってると返ってきた。もう、素直じゃないんだから。

携帯を握りしめて幸せを噛みしめる。木曜日、東京での23時。
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