第1話

文字数 2,000文字

俺は久し振りに日曜日に繁華街へと出掛け、食事を済ませてからブラブラと町を散策していた。
するとゲームセンターの前を通り過ぎようとした時に自然とその中へと足が導かれた。
それは不思議な感覚で、俺の脳の片隅にあった記憶を辿って行くうちに、ある事を思い出したのである。
「あ、そうだ、お袋が元気だった頃には何度かここのゲームセンターへと来て、そして一緒にクレーンゲームをしたことがあったっけ」

俺は半年前にお袋を九十三歳で亡くした。
兄と姉は遠方に住んでいることもあり、独身の俺がお袋と郊外のマンションでずっと二人で一緒に暮らしていた。
そのお袋は亡くなる二ヶ月ほど前から急に食欲が減退してきて、そして一週間前からは飲み物さえも喉を通りづらくなってきていた。
その間、俺は必死になり掛かり付けの診療所へと出向いて点滴をしてもらったり、訪問診療の医師に来てもらい診察を受けたりもしていたのである。
しかしその甲斐もなく、お袋が亡くなる四日前に突然、その訪問診療の医師にこう宣告されてしまった。
「残念では有りますが、延命治療はしない方が良いと思います」
俺はその言葉に愕然とした。
それはまだその時点では心の準備が出来ていなかったからだ。
しかし考えてみると思い当たる節もあった。
ここ数日でのお袋の急激な衰えを感づいてはいたのだ。
目は虚ろになって覇気も無くなり、そして意識も混濁してきているのが手にとって見えていたのである。
それ故に俺はその医師の言葉を受け入れるしかなかった。
その日の夕方から危篤状態へと陥り、その後三日三晩、俺は一睡もせずに、お袋の喉に絡まった痰を長い綿棒を使って取り続けたのであった。
そして命の灯火が消えた臨終後、訪問診療の医師に来てもらい死亡診断書をお願いすると、その医師は死因の欄に老衰という文字を記入した。
最期は安らかに眠るようにして逝ったと言うと嘘になる。
いくらか呼吸を苦しそうにして眉をひそめ、どこかこの世に未練を残しているかのようにも俺には見えた。
それから三日後、簡素な葬儀を執り行うこととなった。
その小柄なお袋の棺の中には十七年前に先に旅立った親父の若きし日の写真一枚と、お袋が大事に可愛がっていた犬のヌイグルミも枕元に添えた。
そのヌイグルミというのは両手を寄せた掌の上に載るほどの大きさのもので、お袋の大のお気に入りでもあった。
俺はお袋が生前、その犬のヌイグルミに話し掛けているのを何度か目撃していた。
今からでは想像でしか無いのだが、お袋は九十歳という大台を越えてから自分の体力の衰えを訴えることも多くなり、親父と同じ天国へと召されることを、その犬に託していたのでは無いのかと思う。

俺はそのゲームセンター内へと吸い寄せられてから、一通りクレーンゲームを見てまわった。
するとそのうちの一台から気になる景品が目に入ってきた。
それは一匹の犬のヌイグルミだった。
お袋の棺の中に入れ、一緒に旅立たさせたものとよく似ていたのである。
大きさといい、薄茶の色合いもソックリであったのだが、よく見ると、ただ一つだけ違っている点があった。
それは両目が涙目になっており、どこか寂しげな愁いを秘めた表情で俺のことを見つめていたのである。
そしてその一匹だけは雑多に積み重なっている他の犬のヌイグルミたちとは明らかに違って見えた。
「どうしてだろう?このヌイグルミだけが潤んだ瞳で俺に何かを訴えているかのようだ」
そこで俺は何年か振りにチャレンジしてみることにした。
しかし二回、三回と続けてみたのだが、なかなか上手く掴むことが出来なかった。
「どうやらバネが緩く調整されているようだな」
そこで俺の心が揺れた。
「この調子だと何度やっても取れそうにもないな。お金を散財する訳にもいかないし。
だけどこのヌイグルミだけには心を惹かれるな。まるでお袋の分身のようにも思えるし」
そこで俺は決心した。
「どうしてもこのヌイグルミを取ってやるぞ」
と。
しかし何度トライしてみても掴む力自体が弱いので、それは不発に終わった。
そこで俺は作戦を変えてみることにした。
アームの先端でそのヌイグルミを少しずつ景品ホールへと、ずり動かす戦法へと舵を切ったのである。
その後、千円札の両替機へと四回ほど往復することとなった。
するとその作戦が功を奏し、やっとの思いでその犬のヌイグルミを景品ホールへと落とし込むことが出来た。
そして俺は、景品取り出し口からそのヌイグルミを右手で掴みとってから、その顔と正対してみた。
すると先ほどまでの愁いに満ちていた表情とは一変し、満面の笑みへと徐々に変化してきた。
「母ちゃん、逢いたかったよ。俺が来るのを、ここで待っていてくれたんだね。
やっぱり、うちがいいんだ。
そうか、一緒に帰ろう」
俺は一気に涙した。

その後、俺は尻尾の付け根につけてあるタグを確認してみた。
するとそこには、こう書かれてあった。
「MADE
IN
HEAVEN」










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