知の正義

文字数 2,746文字


「お前アスペかよ」
 当時、私はとある学生インターンシップで長期間働いていた。自他ともに認める「できないやつ」ながらも、精いっぱい周りについていっていた。この言葉を浴びたのは、組織が変わる二年目に、続けて参加しようと決意した時期だった。そこの担当、つまり上司の方が私に言ってきた言葉だ。
 なぜそのようなことを言われたのか、詳細な経緯は覚えていない。後から聞いた話だと、その上司は何気ないつもりで発したのだという。つまり、そこに私を見透かしたような深い意味があったわけではなく、たまたま私のような人間に当たってしまっただけ。極論を言ってしまえば「運が悪かった」ということだと思う。それがある意味仕方のないことだということは、今の私には理解をすることができる。
 ただ、当時の私は自分がADHDだと丁度気づいた時期で、言ってしまえば極端に自尊心が低下していた。自分がおかしなことだと気付くことと、それが実際に「ADHD」という言葉で表されるのでは、重みが違う。今の行動は人とは違う行動かもしれない、と端々で自分自身を客観的に見る自分が強く存在していた。もちろん今も、そういう「自分監視員」的な要素は人よりも多く持ち合わせていると思う。ただ、そのころは異常だった。何気ない言葉のやり取り一つとっても、過敏に考え込んでしまう自分がいたのだ。
 そんな中での、「お前アスペかよ」という言葉は、私の傷をさらにえぐるものだった。自分の中で考え込む、ということは、あくまでも自分の中の価値観との勝負であって、決して他者からの意見ではない。いわば言い訳のようなものだと思う。ただ、人から言われるのは違う。普通の人が客観的に見た結果、「アスペ」という言葉を発したのだ。この時、私の心の奥底でひそかに持っていた、「私の考えすぎで、周りはそこまで気にしていない」という強がりの糸がぶつりと切れたのを、今でも明確に覚えている。
 私は言われた直後、言葉を咀嚼するために愛想笑いをして、すぐに外に出て泣いた。言葉の受け止め方が分からなかった。最初に相談したのは大学の友人だった。彼は大学で臨床心理を学んでいて、私が家族以外で初めてADHDだと伝えた人間だった。彼は、アスペと言われたことを伝えると、即座にそんな場所にいる必要はないと言った。
 当時の私は、上司が軽い気持ちでこの言葉を発したなどつゆ知らず、ただ正当な評価のもと発せられたものだと信じていた。だから、ある意味で上司は正しいと思っていた。なぜならば、私は発達障害で、それを見抜いた発言だからである。そのように真正面から考えてしまったからこそ、当時の私は「人から伝えられるくらい、私の言動は普通とは違う」と確信に至ったのだ。
 彼は、全て見抜いていたと思う。私の上司が何の気なしにそのような言葉を発したことも、そこまで気にする必要がないことも、そして、「嫌な人間がいる場所からは逃げることが正解」という本質も、全て理解したうえで、「そんな場所にいる必要はない」と言ってくれたのだ。ただ、私は違った。私は今でも私は人とはずれていると思いながら生きている。つまり、私にとって周りは基本的に正解であり、間違っているのは私なのだ。当時は特にその思いが強かった。言い換えれば、当時の私は私個人に対する考え方や価値観、言動まで、他者に依存していたのだと思う。だから、上司のことを本質的に嫌いになることはなかったし、逃げるのが正解だとも思えなかった。
 今の私は、それを明確に否定するための努力をしている。私の人生や、考え方、価値観は私個人が決めることで、周りはあくまでも参考でしかない。今でも時折、そこがぶれることがある。ただ、自分の人生に責任を持てるのは自分だけなのだ。これは、私がこの時の経験で学んだことの一つだ。
 結果的に私は、友人の忠告の本質を理解できず、そのままインターンを続けた。正直なところ、本当に申し訳ないことをしたと思う。私は上司が悪いとは今でも思っていない。人には人の価値観があり、その価値観の中で繋がりながら生きていかなければならない。あの時の言葉をうまく受け止められなかった時点で、私はすぐに辞めるべきだった。それは、インターンの会社先にとっても、自分にとっても重要な決断だったはずだ。今考えると本当にそう思う。
 インターンを続けたものの、私は逃げてしまった。本当に最悪の行動だ。私のやっていたインターンにおいて、二年目は、一年目に教える立場だった。私も、二年目の先輩の背中を見ていた。だからこそ、自分が情けなくて、何かをやらなきゃいけないと思った。でも、足が動かない。足は動いても手が震え、声も震えていた。私は弱虫だった。いたたまれなくなって、上司に「やめたい」と勇気を出して伝えたこともあった。「お前は、なんで二年目をやったんだ。お前はまだ何も失敗や成功体験をしていない。今お前が辞めるのは違う」と引き留められた。あの時に、「アスペ」と言われたことがすべての引き金になっていて、自分の中で整理がついていないことを、もっときちんと伝えることができていれば、多分、理解してもらえたのだと思う。
 周りから、「この上司のことが嫌いか」聞かれたことがある。前述のとおり、私はこの問題は上司が悪いなんて全く思っていないし、好きか嫌いかで言えば、正直どちらでもない。ただ単に運が悪くて、ミスコミュニケーションになってしまっただけなのだ。ただ、私自身に、うまくかわす、いわゆる「スルースキル」か、もしくは自分を正しく伝える能力があの時に備わっていれば、もう少しうまい道筋が見つけられたのかなとは思っている。
 
 
 あれから何年か経った。私は就職、転職にリストラを経験し、今に至る。この出来事が私に教えてくれた一番の教訓は、「自分を知り、他者にもちゃんとした言葉で知ってもらう」ことは非常に大切なことだということだ。
 当時、私がADHDだということを上司が理解していれば、迂闊に口にすることはなかったと思う。もしくは、私自身も、上司は私がADHDだとわかったうえで軽いジョークを言っていると、頭の中で理解できていたはずだ。加えて、「アスペ」という言葉がいかに無意識的に人を悲しませるかも理解してもらえたはずである。
 私は、私自身を知らなかった。だから、私を周りに伝えることができず、結果的に自分に刃が向いた。言葉の力はすごいとよく言われる。ただ、それは、その言葉を本質的に理解している人が使って、初めて「本当にすごい」言葉になるのだと思う。言葉の意味を理解しないまま、安易に使うのは凶器になりうる。言葉を武器として使う時には、「その言葉を知る」ことの正義を最も考える必要がある。
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