第1話

文字数 1,995文字

 そのトンネルを進んだら、途中でふたつにわかれるんだって。未来と過去に繋がるわかれ道。どっちに繋がるかはトンネルを抜けるまでわからないって。正也ならどっちに行きたい?
 どこで仕入れたネタなのか、クラスのお調子者がずいぶん前に話していた。
 そんなトンネルあるわけないだろ。まあ、それでも選べというなら未来かな。だって未来がどうなってるか、気になるじゃん。
 そのときはそう思っていた。
 でも、いまは違う。そのトンネルが本当にあるなら、過去に行きたい。今日の朝に戻りたい。
 学校からの帰り道。まだ雨の跡を残す歩道を歩きながら、俺は心の底からそう願っていた。

 朝から土砂降りの雨だった。
 高校の連絡網に、交通機関の事情で遅れる場合があっても焦らずに登校してくださいと生徒の安全をまるで無視したメールが届いたと母が話していた。ついさっき近くで土砂崩れがあって民家が巻き込まれたみたい。母は心配そうにしていた。
 雨は一向に弱まる気配はなかった。
 母に言えば、休むこともできただろう。そうしなかったのは、陽菜と放課後、映画を観に行く約束をしていたからだ。
 だけど、彼女は教室に姿を見せることはなかった。
 大量の土砂に流された家の中で、彼女はいまもそこにいるはずだ。まだみつかっていない。
 授業なんてどうでもよかった。
 ぼんやり一日を終え、足を引きずるように歩いた。
 増水した川沿いのトンネルに入ったとき、未来と過去に繋がるわかれ道がある、あの話を思い出していた。
 いつも通るトンネルなのに、おかしなことにいくら歩いても出口に抜けることはなかった。それにさっきから車も通らない。
 振り返って驚いた。入り口の光が見えない。前を向いても永遠に続くような薄闇が広がっている。
 なにかがおかしい。そう思ったときだ。ふいに彼女の声が聞こえた。
 ——正也君と映画に行く約束してるのに……動けない。
 空耳だと思った。茫然とする俺の耳に、彼女の声は続けた。
 ——私、どこにいるんだろう? 暗くてなんにも見えない。
 薄暗いトンネルの中、陽菜の声はどんどん小さくなっていく。
 助けたい。なんとかして彼女を助けたい。
 俺は駆け出した。
 トンネルはふたつにわかれた。わかれ道で俺は祈った。今日の朝、土砂崩れが起きるよりも前の世界に戻してほしい。
 トンネルを抜けると土砂降りの雨だった。
 朝に戻っていた。あの話は本当だった。
 彼女の家は裏に山を抱えていた。その山の斜面が崩れたのだ。
 雨粒に殴られながら走った。
 俺の未来は、陽菜がいる世界じゃないと意味がないんだ。
 彼女の家が見えた。間に合ったんだ。
 門扉を抜け、呼び鈴も鳴らさず玄関を開けた。
「陽菜、逃げろ。ここにいたら危険だ」
「え、なに? どうしたの? 正也君」
 俺の声を聞き、彼女が驚いて玄関に出てきた。彼女はまだパジャマを着ていた。
「ここは土砂崩れで流される。いますぐ逃げろ」
「はあ? なにそれ。あ、わかった。わたしのこと、また、からかってるんでしょ」
 まじめな陽菜が見せるリアクションが見たくて、ときどきドッキリを仕掛けることがあった。陽菜は警戒するような目で俺を見た。
「いや、ちがう。ちがう、ちがう。ちがうんだって」
 全力で否定した。
「もしかして、わたしのパジャマ姿が見たかったとか?」
「だから、ちがうって。着替えてる時間はない。急げ。本気でここは危ないんだ」
 えー。でも、着替えぐらいは。陽菜はまだごにょごにょ言っている。
 刻一刻と時間は過ぎていく。背後に感じる雨音は勢いを増していく。小石が転がるような音も聞こえた。
 もう時間はない。
「頼む。俺を信じてくれ。家族でここを出て。危険なんだ」
 それに俺はどうなる? トンネルに戻ってもとの世界に帰らないと。その不安も増してきた。
「あーもうわかった。お父さん、お母さん、なんかここ危ないみたい。外に避難してって」
 彼女たち家族が外に出たところで、俺はもとの世界に戻るためにトンネルに向かった。
 ところが、トンネルは増水した川に阻まれ、とても入り口まで行けそうにない。
 俺がここに残れば、この世界に俺は二人いることになる。そうなれば、どちらか消えることになるのだろうか。一瞬よぎった考えを振り払うように、俺は増水した川に飛び込んだ。
 死にもの狂いでトンネルにたどり着き、奥へと泳いだ。
 突き進む先に光が見えた。
 刹那、意識が飛んだ。
 俺はトンネルを出たところで座っていた。トンネルはいつもと変わらない。短い距離だからここからでも出口の明かりが見える。
 スマートフォンの画面が光っていた。開くと、陽菜からメッセージが入っていた。たったいま送られてきたものだ。
『ちょっとー、映画を観に行く約束でしょ。まさか忘れた?』
 よかった。生きている。俺も陽菜も。その幸せを、目を閉じて噛みしめた。
 トンネルは俺の望む未来へと繋がったんだ。
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