第1話

文字数 4,967文字

「……大丈夫です、結論は近いうちに出しますから……は? だから、ちゃんと食べていますし。生活費も足りています。何かあればすぐに言います。ご心配なく」
 くれぐれも連絡はまめにするように、と相手に何度も釘を刺されてから。ようやく、私は通話を切る。
 故郷から遠く離れた地で、身寄りもなく。一人暮らしの私のことを心配してくれているのは理解できる。理解はできるのだが。
言うなれば親馬鹿過ぎるというか。
やれ三食きちんと食べているのかとか。やれ金銭には困ってはいないかとか。やれ大学には馴染めているのかとか。他にもやれやれやれやれと。本題とは全く関係ないことを根掘り葉掘り長々と訊かれた。
どうも必要以上に過保護に扱われているような気がする。もう少しこちらのことを信用してくれても良いのではと思うのだけど。
 ちゃんとやるべきことはやっているつもりだ。大学の講義にも欠かさず出ている。家事だって手は抜いてはいない。
「あ、帰りにスーパーに寄らないと」
 備蓄が乏しくなっていたのを思い出す。古めかしい電話ボックスから出ると、私は商店街の方へと足を延ばした。
 大型店舗のみならず、安売りしている売り場を渡り歩き甘いものを大量に買い込む。実に経済的だ。もちろんマヨネーズを購入しておくのも忘れない。
 ほら、買い物だって私は完璧にこなす。
 何の心配も要りはしない。安かったので、ちょっと調子に乗って買い込み過ぎたけれども。そのせいで、荷物が相当重くなって歩くのにも難儀するほどになってしまったけれども。
 両手いっぱいの戦利品を抱えながら、私はゆっくりと家路につく。えっちらほっちら。ペースを守り、バテないように。
 亀の歩みに比して、陽が落ちるのは兎のごとく。忌々しい恒星との競争。あまりにも絶望的な勝負だ。
 ちょっとでも近道しようと、公園の中を横切ろうとして……私は足を取られて転倒した。
「「あいたたた」」
 二人分の声が完全に重なる。
 何にぶつかったのか。確認しようと起き上がり。
「すいません、前をよく見てなくて」
「いや、こっちこそ」
 私と。
彼女は。
顔を合わせた。
「……」
「……」
 何というか。
 しばし言葉を失う。
 まるで鏡を見ているよう。
 切り揃えた前髪にウェーブした後ろ髪。切れ長の目に、白寄りの肌。その他全てにおいて、私と全く瓜二つの姿があった。
「「えーと?」」
 私が首を傾げると。
 彼女は首を傾げる。
 私が腕組をすると。
 彼女は腕組をする。
 私が指を突き出すと。
 彼女は指を突き出す。
 完全にシンクロして、ちょんとお互いの指が合わさった。
「「あなた……誰?」」
「「私は、木村なつみ」」
「「え? あなたも木村なつみ?」」
 質問と回答と疑問が、二人同時に紡がれる。
 ここまでくると気味が悪いというよりも、ちょっとした奇跡すら感じてしまいそうになる。
 彼女……木村なつみは間の抜けな顔をしていたが。多分、今の私もさぞかし似たような表情をしていることだろう。不毛なにらっめこは、ともすれば永遠に続きそうですらあった。
 無論、錯覚だ。
 どんなものにも終わりはある。終末の訪れないものなどない。終焉の鐘は、彼女の腹が盛大に鳴る音だった。
「お腹……減ったー……!」
恥も外聞もなく公園の中心で空腹を叫ぶ。
崩れ落ちたなつみ氏は、完全に寝転がってしまい目を回していた。
「ちょっ、大丈夫ですか?」
 慌てて私は彼女に駆け寄る。
 呼びかけても、揺すってみても。相手はピクリとも反応せず。返事は小さな腹部から奏でられる大合唱のみだった。

 さて。
 自分とそっくりな人物が現れたとして。そのそっくりさんが、目の前で気を失ってしまったとしたら。
 どうするのが正解だろう。
 悩みに悩んだ挙げ句、私は好奇心と慈善精神の類似品に完全敗北した。
「いやー、ありがとう。この薄汚れた現代社会において、こんな優しさがまだ残っていたんだねー」
 パクパクパクと、なつみはあらん限りの食欲を発揮していた。アパートの自室に運んで、彼女が目を覚ましたのが数分前。今は私が買い込んだばかりのお菓子を、平らげている真っ最中である。
「うーん、甘味ばっかりでちょっと飽きてきた。ねえ、何か辛いものない?」
「……マヨネーズでもかけますか?」
 この小さな身体のどこに、これほどの質量が入るのか。一ヶ月分の我がおやつが、早々に尽きかけている。
 今月は赤字確定だ。
 追加の仕送りを頼みたいところだが、先程金には困っていないと報告したばかりだ。舌の根が乾く程度の間は、我慢しないと。
「でもさー、本当びっくりしたよね。自分と同じ顔の相手とぶつかるなんて」
 チョコレートを齧りながら、なつみはまじまじとこちらを見やる。
 驚き度合いで言うならば、私の方が遥かに強いと思うのだが。空腹時の人間のポテンシャルを相当過小評価していた。
「名前まで同じだなんてね。ねえ、なつみちゃん?」
「なんですか、なつみさん」
 私は自分の名前を呼ばれて、自分の名前で返す。どうも変な感じだ。
「もしかして、なつみちゃんって」
「はあ」
「生き別れた私の双子のお姉ちゃん?」
「……妹はいません」
「じゃあ、生き別れた双子の妹?」
「……姉もいません」
「意表を突いて、双子のお兄ちゃんとか?」
「……違います。先回りして言うと弟でもありません」
 疲れる問答だった。
 彼女にペースを握られるのは厄介だ。少し風向きを変えないと。
「なつみさん。あなたは何で行き倒れなんかに?」
「おお、よくぞ訊いてくれました!」
 マカロンを一個、二個、三個と口に放り込んでから。なつみは目を輝かせた。
「実は私……キラキラ星人なんだ」
「はい?」
 聞き間違いだろうか。
 何かとんでもないことを聞いてしまった気がする。
「だから、私はキラキラ星からやってきた宇宙生命体なんだ」
 なつみは胸を張って堂々と言い放つ。妙に誇らしげですらある。
「キラキラ星、ですか?」
「そう! キラキラ星!」
 うわ。
 自称キラキラ星人の両目が、文字通りキラキラと輝いている。お星さまがいっぱいだ。
「遥か彼方のキラキラ星から、地球の愛と平和を守りに来たのだ!」
 ビシリとなつみはファイティングポーズをとってみせる。意外とさまにはなっているが、だからどうというわけでもないだろう。
「……正義の味方なんですね」
「その通り! 日夜地球のために戦っていたのだけど、ちょっと無理がたたって活動限界がきちゃってねっ」
「それで倒れたと」
「いやあ、面目ない」
 私と同じ顔で、私には絶対真似できない調子でテヘペロと可愛らしく舌を出す。
 随分と愛嬌たっぷりのヒーローだった。
「なつみちゃん、そこで物は相談なんだけど!」
「……まさか、回復するまでしばらく泊めて欲しいとか言い出しませんよね?」
 結局。
 キラキラ星の住人に押し負けるのに、そうは時間が掛からなかったということだけは述べておくことにする。

「地球は常に狙われているんだよ」
 キラキラ星人はインスタントカメラを構えてシャッターを切る。
「宇宙にもバランスがあってね。人口とか環境とかエントロピーとかの」
被写体となった野良猫は、全く警戒した様子もなく。惜しげもなく自然体を晒して眠りこけていた。
「宇宙のバランスを保つために、不良品である地球は消えた方が良いと考える星も多いんだ」
 街を案内して欲しいと頼まれて、私は散歩がてらに先導する。なつみは行く先々で、いちいち足を止めては写真を撮り続けた。
「だけどね。地球の愛と平和を願うキラキラ星人としては、出来れば地球にはまだまだ元気でいて欲しいんだ」
 なつみが撮るものは多岐に渡る。
 何気ない風景から動物。そして、圧倒的に多いのが食べ物の写真。
「何せ、地球には美味しいものがたくさんあるからね!」
「……それが地球を守る理由ですか」
 カフェで注文したタピオカ入りのドリンクを激写するなつみを、私は目を限界まで細めて見守った。
「さっきからそんなに写真を撮って、どうするんですか?」
「インスタに載せるの」
「……インスタ」
 何とキラキラ星人はインスタをやっていらっしゃるようだった。
「キラキラ星人の力の源はフォロワーと
イイネの数なのさ!」
「……へえ」
「あ、良ければ見てみる?」
 なつみが差し出してくる携帯電話の画面を覗いてみると、本当にキラキラ星人という名前で登録されていた。
投稿数は千件以上、予想外なことにフォロワー数も結構な数がいた。世の中というものは、不思議に満ちている。

「ねえねえ。なつみちゃんの写真撮って良いかな?」
「慎んでお断りします」
「ほらほら、代わりに私の方はどんどん撮っちゃって良いから!」
 長いスカートをひらめかせて、なつみはくるんと見せつけるように一回転する。ひらひらとしたフリルつきエプロンに、頭には純白のカチューシャ、リボン付きニーハイソックス。
「ここ……撮影は有料ですよね」
「モチのロンだよ、お客さん!」
 到底接客の態度ではないけれども。彼女はすっかり周囲に馴染んでしまっていた。
「よりによってメイド喫茶でバイトとか」
 仕事先を見つけたというから来てみれば、ノリノリのメイドが私と同じ顔をしてそこにはいた。
「それでご注文はお決まりですか?」
「……オムライスを」
「はい。天使の萌え萌えオムライスをお一つですね」
 ああ、空気がやたらと甘ったるい。
 急速に生気が吸われている気がする。しかも、料理が来たら来たで。
「それでは、オムライスに美味しくなるおまじないをしますねー。お客様もご一緒にどうぞー」
「は?」
「萌え萌えニャンニャン! チチンプイプイ美味しくなーれ!」
 両手を使って胸元でハートマークを作ってからの、ケチャップで猫のイラストを描く流れはまさに神業だった。

「なつみちゃんってさ」
「はい」
「インスタはやっていないの?」
「やっていません」
「というか、もしかしてスマホ持ってなくない?」
「特に持つ必要を感じませんので」
 私の答えに、キラキラ星人は信じられないものを見たような表情を作る。それこそ未知の生物と遭遇したかのごとく、あんぐりと開いた口が塞がらない。
「え? それでどうやって生活しているの?」
「ごく普通に生きているつもりですが」
「絶対、人生の八割を損しているって」
 なつみちゃんや。
 あなたの人生の八割はスマホで出来ているんですか。
「ほら。それに、私と連絡とりたいときとか要るでしょう?」
「要りませんね」
「むう。なら友達と連絡をとりたいときとか」
「要りませんね」
「そ、それじゃあ家族に連絡とりたいときは?」
「……電話ボックスを使います」
「電話ボックス!?」


 草木も眠る丑三つ時。
 なつみは夜道を歩いていた。注意深く周囲を見渡してから、細い路地に入る。昼に通ったときには、こんなところに道はなかった。
 人気のない暗闇にポツンと浮かぶ、古めかしい電話ボックス。禁断の扉に彼女が手を掛けようとして――
「親御さんに連絡かな、なつみちゃん?」
 私は声を掛け。
なつみは硬直した。
「……尾けてたんですか、なつみさん」
「真夜中に同居人が一人で抜け出したら、キラキラ星人としては心配になっちゃってね」
 そう。
 愛と平和を守る者として向かい合う。
「本当、偶然って恐ろしいね。この星を守りに来た者と攻めに来た者が、同じ原住民の姿と名前を借りるなんて」
「……」
「大方、なつきちゃんは調査員ってところでしょ。地球を消すか否か、あなたの一報で母星が動く」
「……」
「そして、そんな調査員を消すのが私の仕事」
 隠し持っていた銃を向ける。
 彼女は抵抗しなかった。私という死神と出会ってしまった時点で、遅かれ早かれこうなるとどこかで覚悟を決めていたのだろう。
「何か言い残すことは?」
「……もし、私がこの星を見逃すつもりだった……と言ったら信じてもらえますか?」
 私はためらわずに引き金を引いた。
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