第1話

文字数 15,011文字

一九九二年十一月二十三日、ひとりのピアノ調律師がヘリウム風船を付けたゴンドラで琵琶湖を飛び立った。
僕は高校の寮の談話ルームのテレビでそのニュースを見ていた。音楽大学の推薦入試を終えて、落ち着かない気持ちで結果を待っていた頃だった。
風船ゴンドラ「ファンタジー号」は、調律師を乗せて太平洋を横断するはずだった。
翌朝、彼は妻に宛てた携帯電話で「素晴らしい朝焼けだ、綺麗だよ」と言う言葉を残して消息を絶った。胸ポケットに、三人の娘が希望したアメリカの土産の覚書を入れたまま三十年が経った。

僕は長いこと彼のことを忘れられずにいる。それは誰が見ても無謀な計画だったし、冬の海は簡単に生き延びられるほど甘くもない。僕は想像した。無人島に漂着して空想のピアノを弾いている彼。言葉のわからない人々の暮らす島で村の一員となって畑を耕している彼。どこかの漁村で記憶喪失になって白い部屋で暮らしている彼。どれもしっくりこなくて、彼は今も空を飛んでいるのだと思うことにした。あと数年もすれば調律師が飛び立った年齢になる。その時、僕はまだこの地面に足を付けていられるだろうか。

大学を卒業し、アルバイトを転々とした。何者かになろうという淡い欲望もだんだんと空気が抜けて部屋の隅に放置された風船のように萎びきった頃、行きつけのカフェバーが閉店するというので、思いつきのままあとを引き受けることにした。ポエトリーリーディングのイベントが頻繁に行われている店だった。外国人の客も多かった。人見知りの僕はイベントを店の隅から眺め、客が引いてからゆっくりカウンターで珈琲やたまに酒を嗜むのが常で、喧騒の後片付けをする店主とぽつりぽつり会話するうちに親しくなったのだ。
客として行くぶんには楽しかったが、イベントやアルコールを扱うとなるとスタッフを雇わざるを得ず、他人の食い扶持を担保する力量も自信もなかったから、馴染の客たちの希望を叶えることを諦めて、珈琲だけの店にした。店名を変え、溜め込んだレコードを棚に並べ、手回しの小さな焙煎機をせっせと回した。

四百グラムの生豆を一回煎るのと、三三回転のLPの片面を聴き終わるがちょうど同じくらいだった。ザッザザッと焙煎ドラムの中で回る豆の音は思いのほか大きくて、途切れ途切れに耳に流れ込んでくるレコードの音は僕の音楽への未練のようだった。

カウンター席には様々な年齢や職業の人々がやってきて様々なことを話して行く。ほとんどの場合、お客は自分自身以外の言葉を聞きたいとは思っていない。まるで透明の鏡があるかのように僕と客自身との両方に抱えているものを吐き出していく。僕はただ話を聞いて黙って頷く。余計なことは言わない。鏡の中の自分が饒舌に喋り出したらきっと混乱してしまうだろう。時々は、仕切り鏡がない客に出会うこともある。そういう日は決まって調律師のことを思い出し、心がざわついた。ここに居るのにどこか遠くにいるような客は、見渡す限りの海原の上を飛行するゴンドラだった。ただ風に流されるままにそこにいた。

午後から天気が崩れ客足が止まり、僕はカウンターの中の狭い厨房に置いた丸太を切っただけの椅子に座って焙煎前の豆から出来の悪い豆を取り除く作業に集中していた。雷鳴が聞こえるのにそのあとに来るはずの雨の音がなかなか聞こえない。出来の悪い豆とは、虫くいの跡があったり、乾燥が不十分で緑青色にくすんでいたりするものだ。日が暮れはじめても客は来ず、ラストオーダーの時間ぴったりに閉店の支度にとりかかろうとしたとき、ドアに吊り下げたカウベルが鳴った。肩を回して固まった体をほぐしながら立ち上がると、
「あら、このカウベル」と声がした。それが年の離れた従兄のじゅんさんだとわかるまで少しかかった。最後に会ったのは祖父の葬式だから十年近く経っている。人なつこい笑顔が祖母にそっくりだったので、ああ、と思い出せたのだ。
カウベルは、じゅんさんの父、僕にとっては叔父が昔、スイスの土産に買ってきてくれたものだ。中学生だった僕は使い道に困り持て余したが、捨てることも誰かにあげることもなく仕舞っておいた。珈琲屋を始めなかったらおそらく一生日の目を見ることもなかっただろう。

「そうです、たけ叔父さんに頂いた、あれです」
「津くん、物持ちがいいねえ」
じゅんさんはそう言ってベルを指でつついてもう一度音を確かめた。
「いや、学生の時にお金がなくて一度古道具屋に売ろうとしたんですよ。買値を聞いて止めましたけど」
ドアベルにするには少し大きすぎたがごろんがらん、とくぐもった、それでいてよく通る音は客に評判が良かったし、店にもよく馴染んでいる。従兄は声を立てて笑った。
「これね、新品やなかったとよ。牛がこれ付けて歩いとう時に親父が音を気に入って、その場で交渉して売ってもらったの。牛のにおいせんやった?」

製鉄所の事務方を長年勤め、高炉の火が消えるのを見届けたあと、方位学に目覚めた叔父は家族を連れ、各地を転々としはじめた。国内に留まらず、スイスやロシアやハワイにも数年単位で逗留していた。従兄たちは小さい頃から何度も引っ越しを余儀なくされ、かといって異国の言語を完全に習得するほど長くはひとところに留まれず、親戚が集まるといつも生まれ育った福岡の方言をベースに名詞だけごちゃまぜの外国語を話していて、僕は気の毒なような羨ましいような気持ちになったものだ。
「道理で。ベルトに茶色い毛が付いてるなあと思ったんですよ。においは覚えてないですけど」

方位学を使った叔父の占いは実はかなりのもので、歳をとって田舎に落ち着いてからは遠くからも占ってもらいたいという客人が次々と訪れていた。製鉄所の閉鎖に伴う退職でかなりの額の退職金をもらっていたと思うが、おそらくそれを使い果たして帰郷したというところだったのだろう。その後の家計を支えていた叔母は僕の父の姉で、生け花の師範をしていた。海外暮らしの影響もあってかモダンな生け花は人気もありお弟子さんも多かった。仲のいい夫婦だった。
晩年叔父は癌を患っていたが、頑として入院をせず自宅で過ごし、痛いとも辛いとも口にすることはなかったらしい。自分の亡くなる日もわかっていたようだった。その日は叔母を部屋から遠ざけ、風呂に入り浴衣を着替え布団に横たわって胸の上で手を組んで眠ったまま逝った。叔母が様子を見に行くとすでに息を引取っており、長年連れ添ったのに最期を看取らせて貰えなかった、と死に際に遠ざけられた叔母は怒りのあまりに悲しむことを忘れていたが、それこそが叔父の作戦だったのではないかと思う。

僕が育った家はいわゆる本家で、だだっ広い田舎にあり稲屋や馬小屋の名残があり、裏庭には井戸もあった。盆暮れに墓参りにやって来た叔父はうちに着くとすぐに井戸水をコップに汲んで美味い美味いと飲み干していた。僕の名前は漢字で一文字の津と書いて「しん」と読むのだが、叔父は「ん」が上がる独特の間延びした柔らかな訛りで、しんちゃんと僕のことを呼んだ。大人になって観た映画「ユリイカ」の中でまったく同じイントネーションで名前を呼ぶ場面があり、あれは叔父のオリジナルではなくローカルな訛りだったのだと気付いた。

「ずいぶんご無沙汰やったね。珈琲屋を開いたって聞いてね、一度来たかったんやけど、なかなか東京まで来る機会がなかけん」
毛氈に包まれた鐘の余韻のような声音は叔父によく似ていた。
「こちらこそご無沙汰してます、今日はおひとりですか?」
 うん、と答えながらカウンターに腰かけたじゅんさんに珈琲の好みを訊ねてから豆を挽き、サイフォンのアルコールランプに火を点けてお湯が沸くのを待つ。
「美和子さんはお元気ですか?」
「うんうん、元気。津ちゃんは? まだ独身?」
そうですね、と苦笑いする僕にそれ以上のお節介を言うこともなく、こぽこぽと泡を作り始めたフラスコを、少し身を乗り出すようにして見つめている。独身かどうか聞いたのは社交辞令でおそらく僕の結婚には全く興味がないのだと思う。

美和子さんはじゅんさんの奥さんで、大病院の看護師長をしている。お金にならない労働党の機関紙の編集をコツコツと続けているじゅんさんとふたりの子どもたちを養っている、一家の大黒柱だ。
「私はあなたと同じ思想を持っているけれど、活動家としてやっていく自信はない。だから活動はあなたに託す。私は働いて家計を支える」とじゅんさんにプロポーズしてくれた人だ。有言実行、三十年その約束を守り続けている。
じゅんさんは一度も就職しなかった。いつも冗談ばかり口にしながら楽しそうに家事をし、畑で野菜を作り、子育てし、報われることの少ない活動をしている。報われるかどうかより、続けることが大事なのだろう。親族の間で美和子さんがひそかに「女神」と呼ばれているのも頷ける。

 お湯がフラスコから足管を通ってロートへと上がりきるとアルコールランプに蓋をして火を消し木べらで粉を攪拌してあとは静かに珈琲がろ過布を通ってフラスコに降りてくるのを待つ。手回し式のドラム焙煎機は直火型なので、少し豆に強く熱が入りすぎる。サイフォンとはそれほど相性が良くないし抽出に時間もかかるが、客が来店してから、外の世界とのスイッチを切り替える間合いの時間が好きなので、客の好みや店の混雑具合に合わせて使う。急ぎの客にはさっとペーパードリップで出すこともあるし、席に座ってすぐに鞄から本を取り出すような客の時はネルドリップでじっくり抽出する。

「じゅんさん、今日はホテルですか?」
ホテルに泊まるのならどこかで一緒に夕食をとるほうが僕も楽だ。節約のため普段はあまりしない外食の言い訳になる。
「ああ、これからねぇ、兄貴の所に行くとよ」
じゅんさんは2人兄弟の弟だ。
「ああ、そうですか。ひろ兄さん、世田谷でしたっけ?」
「いや、それがね、今は千葉におってね。こないだほら、大きい台風が直撃したところ。あれから連絡が取れんみたいやけん、ちょっと様子見に」
「長崎からわざわざですか?」
「そうなんよ。いやね、奥さんから、様子を見に行って欲しいって電話があって」
「奥さんはどこにいるんです?」
「世田谷の自宅。兄貴が死んでたら嫌だから行きたくないって」
「で、これから千葉まで?」
「うん、これからレンタカー借りてね。房総の南のほうやけん、夜走って、朝に着けばいいかと思って」
「一緒に行きましょうか?運転交替できるし、明日ここ定休日なので」

間違いなく面倒なことになりそうなのに、じゅんさんのハの字に下がった眉を見てつい口にしてしまった。催促の空気を読んだ訳ではない。柔和な顔の眉が下がると、誰もが助けたくなってしまう、そういうところが昔からある人なのだ。
「うん、うん、それは助かるなあ」
「わかりました、じゃ、店閉めますから、ちょっと待っててください」
「ああ、そしたら先にレンタカー借りてこようかね」

洗い物をざっと済ませ、漂白剤を薄めたバケツに布類を漬け、サイフォンのろ過布とネルの布を水につけて冷蔵庫にしまう。余った豆はキャニスターごと家庭用のワインセラーにしまう。豆の保存用に奮発したものだ。ガスの元栓を確認し、エアコンを切り、使わないコンセントのプラグを抜く。掃除は明後日の開店前にしよう。鍵を閉め、防犯用のセンサーライトのスイッチをオンにして表に出てじゅんさんの車を探した。

店の前に止まっているジープの運転席からじゅんさんが手を振っていた。
「これで行くんですか?」
「うん、ちょっとねえ、辺鄙なところにあるけん」
助手席に乗り込むとじゅんさんはすぐに車を発進させた。道中を急いでいるのかと思ったが、単にジープの運転が楽しいらしい。状況だけ聞くともう少し緊張感があってもいいような気がするが、深刻なドライブにはならなさそうだ。

「津ちゃん夕食まだ食べとらんやろ」
「ええ。じゅんさんは?」
「うん、まだ。腹が減ったらどこか寄ろうかね。津ちゃんのスマホ、音楽入ってる?」
「ええ、まあ多少は」
「僕のかばんにモバイルwifiが入っとう。それ、ソケットに繋いで使ってよ、パスワードはエルエイビーオーアールピーエイアールティーワイ1974」
「どんなのがいいですか? wifiがあるなら、サブスク使えるのでけっこう何でも聴けますけど」
「好きなのかけて。僕はあんまりわからんけん」

なんとなくバクダッドカフェのサウンドトラックを選んだ。ロードムービーっぽい音楽がいい気がした。
コーリング・ユー以外は覚えていなかったが一曲目が流れ出すとああこれだと思う。耳から脳へ記憶が接合される感じがある。
「津ちゃん、音楽はもうやっとらんと?」
「足を洗いました。今は聴くほう専門です」
じゅんさんはちらっとこちらを見たがそれ以上何も言わなかった。
「ひろ兄さんはひとりで千葉に住んでるんですか?」
「そうなのよ、奥さんの猫がね」
「猫?」
「兄貴も嫌いじゃないんやけどね、猫。アレルギーになっちゃってね。俺はひとりでも生きていけるけど、猫はそうはいかないからってね」
「なんで千葉なんですか?あ、釣りですか?」
「そうねえ、釣りもやるけどね、知り合いと土地を交換したらしいのよ、世田谷の土地半分と千葉の。世田谷の土地って言っても奥さんの実家のね」
「前にもそんなことありませんでしたっけ?」

ひろ兄さんは若い頃、地元を車で走っている時に見かけたワーゲンがどうしても欲しくなり、二時間くらい追跡して相手家まで押しかけ、乗っていた新車のブルーバードと交換してもらったことがある。もちろんはじめは相手にもされなかったが説得し続けてついに手に入れたらしい。六〇年代の終わり頃のはずだ。僕はまだ生まれていなかったから、のちに武勇伝として聞いた話だ。

「半分と言っても世田谷と房総の先端ではだいぶ資産価値に差がありませんか?」
「まあそこはああいう人だから。奥さんも猫と暮らせるなら庭が狭くなっても構わない、ってことでね」
「千葉のほうは古民家とかそんな感じですか?」
「いや交換したのは土地だけでね、自分で手作りの家を建てるって言って、数年かけて小屋みたいなのを建てたとよ」
「相変わらず自由ですね」
「そうねえ、もう驚かんけどねえ」
ふふっと笑いながらじゅんさんは腹減ったなあと独り言のように呟く。
「市街地を抜けたらあまり店もないだろうから、この辺りで何か食べますか?」
「うどんか蕎麦がいいねえ」
「探してみます」
マップアプリで近くの飲食店を確認したが、あいにくうどん屋も蕎麦屋も近くにはなくて結局小さなラーメン屋に入ることになった。注文したラーメンはあっさりした醤油で、可もなく不可もない味だったけれど、体は温まって体力を呼び戻してくれた。じゅんさんはあっという間に平らげて、一服して来ると言って外に出て行った。

ひろ兄さんはジャズ専門雑誌の編集を長くやっていた。編集部は音楽とオーディオ機器に分かれていて、ひろ兄さんはオーディオ機器部門の編集長だった。雑誌が廃刊になったのを機に退職したと聞いていたがメカニックなものに凝っていた印象が強くて、開拓者のような生活を始めたというのはちょっと意外な気もした。
所有者を追いかけまわして手に入れたワーゲンとともに九州の田舎町から東京へと引っ越したひろ兄さんは数年後最初の結婚をした。僕が五歳の夏休みに祖父母への結婚の挨拶に戻って来た。奥さんは、緊張もしていただろうし長旅の疲れもあったろうに、オセロの相手を何度もしつこくせがむ僕に辛抱強く付き合ってくれた。良い人だった。その次の夏にひろ兄さんは別の女性と一緒やって来た。僕は髪の毛切ったの?と新しい奥さんに訊ねて周りを慌てさせた。最初の奥さんは髪が長くて、二番目の奥さんは耳の下でパツンと切り揃えたボブだったからだ。去年やって来た奥さんが次の年には別の女性になっているとは子どもだった僕は思いつきもしなかったのだ。顔も名前も忘れていた。覚えていたのは一手打つたびにプラスチックの白と黒が並んだ盤上をさらさらと撫ででいた長い黒髪のことだけだった。

その頃のひろ兄さんはカメラマンを目指していた。米軍基地に珍しい飛行機が来ていると聞いて写真を撮りに行き、スパイの嫌疑をかけられて連行されたとき、基地の美容院で働いていた最初の奥さんと知り合うことになる。七〇年代の若者らしく、顔の隠れるくせの強いぼさぼさ髪のひろ兄さんのマグショットを撮るため、髪のカットを任されたのが奥さんだった。幸い嫌疑はすぐに晴れて釈放された。今考えれば、そんな場所で、よく女の子の連絡先を手に入れたものだと感心する。初対面の子どものオセロに根気強く付き合ってくれた奥さんと、たった一年の間に何があったのかは聞いていない。それ以来会うことはなかったけれど、元気でいてくれたらいいなと思う。

二番目の奥さんは少し派手な化粧が様になる美人だ。ひろ兄さんが何をしていても干渉せずほったらかしで文句を言うこともなく、どこか遠いところをぼんやり眺めているような人だ。確かに人間と暮らすより猫と暮らすほうが性に合うだろう。僕が人違いをした日も、幼い勘違いを気にする風でもなく我関せずといった面持ちで庭を眺めていた。

窓ガラスの向こうで煙草を吸っているじゅんさんの横顔は、ひろ兄さんとは全然似ていない。
急いで残りのラーメンを食べて外に出た。運転を交替してハンドルを握る。じゅんさんが差し出したタブレットを口に入れるとあっという間に溶けた。
「これラムネですね」
「うん、なんと思った?」
「眠気覚ましのミントかと」
「ミントって、ほんとに眠気覚める?それより、ミントだと思ったらラムネだったっていう意外性のほうが目が覚めん?」
「そんな深い理由でラムネだったんですか?」
「ううん、好きなんよね、ラムネ」

軽快で、石畳に降る月光のような明るい五〇年代のジャズを流しながらドライブを続ける。あいにく現実の空は雲が厚く月は隠れている。じゅんさんは、ラムネの瓶の形をした鈍い新橋色プラスチックの容器を早々に空にして、人差し指を容器の中にすっぽりと突っ込み音に合わせて小刻みに振っている。
「じゅんさんもジャズ聴きますか?」
「僕はフォークだねえ ふふふふふんふふふふふん」
小さい頃テレビのCMで流れていた曲を鼻歌で歌いだした。確か家を建てるならこんな家がいいねというような歌だった気がするがジャズと混ざって良くわからない。カーステレオを止めて鼻歌に集中する。
「これ、知っとる?」
「ハウスメーカーのCMソングじゃなかったでしたっけ?」
「そうそう、津くんでも聞いたことがあるとやね、加藤和彦たいね」
「僕が聞いたのはカバーだったかもしれません」
「もともとはCMソングじゃないとよ、小市民の歌。小市民の歌を作ろうぜって作った歌がCMで使われて、なんだか意味が変わっちゃったんだよねえ」
「そうなんですか」
「憧れのマイホームとか、画一的な幸せとか、そういうんじゃなかったんやけど」と少し残念そうに呟いた。
「ひろ兄さんのことですけど、家って自分で建てられるものなんですね」
「そうねえ。法律的なことはよくわからんけど、まあ昔の人はみんな自分たちで建ててたわけだから理屈としては出来るんやろうねえ」
「台風で壊れたってこともあり得るんですか?」
「海に近いからねえ、ないとも言い切れないねえ」

ジープはアクアラインを通過して木更津に差し掛かっていた。カーナビは468から297に入り465へ向かうように案内している。黙り込んでしまったかと思ったじゅんさんは気付けば眠っていた。

ひろ兄さんとは大人になってからほとんど会っていない。カメラマンだった時は写真表現がいかにメカニックな技術で作られるかを語り、ジャズ雑誌の編集者になってからは、音楽表現そのものよりもスピーカーに流れる電流の良しあしがいかに音楽表現を深いものにも浅いものにも変化させるかを分析しようとしていた。僕の父も電気工学を専門としていたので、僕の実家に遊びに来るといつもふたりでマニアックな話をしていた。
「津、この家は電流が綺麗だな。ほらこの音、ブレがなくて安定してるだろ」
僕には電気が綺麗とか汚いとかいうのはまったく理解できなかったし、父が五十歳を過ぎてから出来た子どもの僕の相手をする時より、ひろ兄さんと話すほうがはるかに楽しそうにしているのは面白くなかった。

四十分ほど走るとじゅんさんはぱちっと目を覚ました。
「寝ちゃったねえ」
「いいですよ。珈琲、飲みますか?」
「うん、うん、いいねえ、ありがとう」
「ひろ兄さんって、なんで写真から音楽にシフトしたんですかね?」
「そりゃあ、カメラマンじゃ食えなくて、雑誌の編集だと食えたからじゃない?」
「そうなんですか」
「詳しく聞いたことはないけんようわからんけどねえ」
じゅんさんは保温ボトルの蓋をカップにしてふうふうと息を吹きかけて冷まし、一口飲んで、はああと息を吐いた。
「珈琲うまかねえ。景気はどう? 食べていけとる?」
正直に言うと儲かるとはほど遠く、年々高騰する生豆の仕入れと簡単に値上げできない珈琲の売り上げとの板挟みだ。ガス火で焙煎するので燃料代も馬鹿にならない。それでも気に入って通ってくれる常連さんもそれなりにいて、豆のクオリティを落とすわけにはいかないから、いわゆるスペシャルティと呼ばれる上グレードの豆を使っている。ひとりで切り盛りできるので人件費はかからないが日銭で日々しのいでいるから貯金は出来ない、といったところだ。
「誰か僕にも資産家のお嬢さんを紹介してくれないかな、と思ってるところです、もしくは美和子さんみたいな包容力のある女性を」
「親父と兄貴と僕、全然似てないけどね、連れ合い運だけは3人揃って金メダル取ったようなもんやけんね」
とじゅんさんが得意そうに言う。
「羨ましい限りです」

「珈琲の面白いところってなんだい?」
「答えがないところですかね。ありきたりですけど」
「味覚には答えがないってこと?」
「いえ。いや、それもありますけど。珈琲って栽培から口に入れるまでの間の分岐点がやたらと多いんです。
生産国、品種、処理方法、焙煎の手法、抽出の手法までの間に気が遠くなるほどの組み合わせがあるんです。
例えば今飲んでるこの珈琲は、コロンビアなんですけど、コロンビアコーヒーだからって一つじゃないんです。米と同じです。秋田だからあきたこまちしか栽培しないってわけじゃなく、コシヒカリやササニシキも栽培されているようにコーヒーの品種もたくさんあるんです。一つの品種でも標高や資源環境によって風味は違ってきます。降雨量とか、土壌の性質とか。これを収穫し、生産処理するときにコーヒーの実をそのまま乾燥させて脱穀することもあれば果肉部分を取り除いてから乾燥させて脱穀するやり方もあります。最近ではほかにもそれを細分化した処理方法もあります。そして焙煎、これも直火だったり、熱風だったり、半熱風だったりと火を入れる方法がいくつかあります。熱源もガスだったり電気だったり、炭だったりと、と方法によって熱の通り方が変わります。良く深煎りとか浅煎りとか言われますが、どの程度まで熱を通すかもおおざっぱに分けても8段階くらいあります。次にこれを抽出するんですが、フィルターは主にペーパーかネル布に分かれます。お湯に直接攪拌してから金属メッシュで濾過するフレンチプレスって器具もあります。他にもサイフォンとか、色んな器具があります。エスプレッソなら専用のマシンで圧搾します。ペーパーひとつとっても、台形型か円錐型か、穴がひとつかふたつかみっつか、に分かれます。豆を挽くときの粒度も粗挽きから細挽きまで様々です。挽き方も豆をスライスするようにカットする方法もあれば、臼のようにすりつぶすやり方もあります。どこの国の、どこの地域の、なんていう品種の、どの処理方法の豆を使って、どんな深さで焙煎して、どのくらいの大きさの粒にして、どんな器具で、何度くらいの湯温で抽出するか、この組み合わせが無限なんです。しかもブレンド、となると自分がいいと思った豆同士を、何種類、どんな配合でブレンドするのか。生豆の段階でミックスするのか、焙煎した後でミックスするのか。こうとなると、もう一杯のコーヒーに辿り着くまでに人間の一生分の人生の選択肢くらいの数の分岐点を通過しなきゃならないんです」
「なるほど」
「しかもこちらに出来ることはここまでで、その一杯をそのまま飲むか、砂糖かミルク、あるいはその両方を入れるかは飲む人の選択になる訳ですから、結局最後の最後で味を決める選択肢は、提供する側にはないんです」
「まさに人生だねえ」
じゅんさんは僕の渾身の説明をそのひとことにまとめた。
「ええ。結局は飲む人にとってうまけりゃいいんです。世界中にある本を一生かかっても読み切れないのと同じように、すべてのコーヒーを味わい尽くすこともできないんですから」

「理想の珈琲ってのはあるもんなの?」
「死ぬ瞬間に、嗚呼あの時のあのコーヒーうまかったな、って思い出すのが理想の一杯なのかもしれないって思います。その時まで答えはわからない」
「死ぬ前に最後の珈琲を飲めるとしたらこれを選ぶって言うのはあるんじゃない? いつ死ぬかわからないってことは、一杯の珈琲を飲むその都度に正解を出しているということかもしれんよ」
「なるほど。確かにそうかもしれません」
話が急に哲学的になった。正直、珈琲を毎日飲み過ぎて、もう最後の一杯がどれでもいいやと思っているとは言いにくい。なんなら前日の残りの珈琲でも別に構わない。

「じゅんさんは最後に口にするなら何がいいですか」
「西瓜。良く冷えたやつ」
「即答ですね」
「鳥取に西瓜マラソンっていうのがあってねえ、いまもやっとうかわからんけど、ゴールしたら西瓜が食べ放題になると。あれに出るのが昔からの夢やったけどね」
「それは今からでもかなえられそうですね」
「いやあ、もう走り切れる自信がなかさ」
「おいしいでしょうね、炎天下のマラソンのあとの西瓜」
「そうそう。西瓜をむさぼって事切れるの」
「貪る元気があれば死ななさそうですけどね」

魯迅の「故郷」という小説の、西瓜畑を荒らすチャーをさすまたで追うシーンが頭に浮かんだ。利口で俊敏なチャーはさすまたを振り上げた人間の足元を潜り抜けて逃げて行くのだ。黄金色の月と紺碧の夜空と、海岸の砂地、西瓜畑、月明かりに浮かぶさすまたを持った人間、逃げて行く獣。絵面そのものが死のイメージだ。じゅんさんにとって西瓜が死に結び付くのはこの小説に起因しているのだろうか。根っからの革命家気質が無意識でつながっているのだろうか。それとも単に瑞々しい西瓜が枯れゆく喉を潤してくれるからなのだろうか。

二車線のゆるやかで単調な山越えのまっすぐ道は空いていた。時折追い越し車線を大型の運輸トラックがごおと走り抜けて次第に小さくなっていく。
山を越えると海が見えてくる。水平線と思しき境い目は薄ぼんやりと明るくなりはじめていた。運転交替しようかね、とじゅんさんが言った。海浜公園の広いパーキングに車を停め外に出る。先に降りて煙を吐き出していたじゅんさんに習って僕も煙草に火を点ける。
「津ちゃん吸うん?」
「はい」
「珈琲にうるさい御仁は煙草のみが嫌いだと思っとったけど」
「珈琲って飲み物単体での価値ってそんなに高いもんじゃないんです。ありふれた飲み物です。でも珈琲を中心に相関図を書くと、趣味嗜好と親和性が高いんです。読書、旅、映画、音楽、会話、みたいな。煙草もそのひとつです。珈琲だけに一点集中して味わうのもストイックで美しい向き合い方だと思いますけど、多くのお客さんは日常、非日常問わず、その日の輪郭の端っこに珈琲を置いてます。希少性の高い特別な豆を心して数千円払って飲むときに隣の席で煙草を吸ってる人がいたらそりゃ怒りもするでしょうけど」
「一杯数千円もする珈琲があるの?」
「ばかばかしいと思いますけどね、ばかばかしさにも価値はあります。願わくはその金額に見合った対価が農園の労働者の手に渡っていますようにと祈るだけです」

駐車場の、車十台分ほど離れた場所に一台の車が入って来て、助手席から女性が降りてきた。海に面した崖の柵に寄りかかり海を見ている。運転席から男性が降りて来て薄いワンピースの女性の肩にストールのようなものをかけた。日の出を見に来たカップルのようだったが、目が慣れると男はとても若く女性は中年で、親子には見えないがそのくらい年が離れているようだった。
「津くん、だいじょうぶかな?」
じゅんさんが小声で囁いた。
「何がです?」
「あのふたり」
「大丈夫って?」
「不倫の果ての心中とかじゃなかかね」
「じゅんさん想像力が豊かですね」
「でもほら車もレンタカーだし」
「大丈夫ですよ」
ふたりの表情に思いつめた様子はなく時折小さく笑う声も風に乗って来る。不倫旅行っていうのはあり得るかもしれないが心中ではなかろうと思う。
「じろじろ見たら失礼ですよ、そろそろ行きましょう」
うん、と返事をしながらまだ目の端でふたりを追っているじゅんさんの背中を押して車に戻った。

「明日のニュースに出てたりしたらどうしよう」
「まだ言ってるんですか」
「じゃあ津くんはどういう関係だと思う、あのふたり」
「そうですね。あのふたりは五年前くらいに、将棋教室で出会って、女性は既婚者で男性は高校生くらいで。特に話が合うわけではないけど、打ち筋の相性がいいことに気付いて、対局を重ねるうちに盤上の駆け引きが楽しくなって、惹かれ合うんです。やがて男性は大学に入り卒業して来年から遠くの街に就職する。最後にふたりで旅行しようっていうことになって、ここまでやって来た。でもホテルに泊まったりはせず、ただ夜通しドライブをする。それだけで終わるんです。この先男性はよくある人生のライフイベントをこなしていくし、女性も定年退職した夫と静かに暮らしていくんだけど数年に一度、ネットで将棋の対局をするんです。生存確認するみたいに。どちらかが死ぬまで」
「津ちゃんのほうがよほど想像力豊かやないの」
「向こうは向こうでこっちのこと、男同士の逃避行だと思ってるかもしれませんよ」
「そんなドラマチックな想像しとうかね? せいぜい海が荒れそうで足踏みしてる素人の釣り客ってとこやない?」
「まあ、そうでしょうね」
「店で珈琲淹れながらお客さん眺めていつもそういう物語をこしらえちょるの?」
「え?まさか。珈琲淹れてるときはそんな余裕はないですよ。でもあのふたりみたいなお客さんが店に来てカウンターの端の席で珈琲を飲んでくれたらいいなと思います」

日の出はなかなか訪れず、空には雲が厚くかかりはじめ、じきに雨が降りそうだった。目的地までの時間はあと三十分ほどだった。
「出発しましょう、このくらい明るくなれば家の様子はわかりそうですし、雨になりそうです」
車に乗ったとたんにポツポツとフロントガラスに雨粒が落ち始めたかと思うとあっという間に激しくなった。
向こうの二人連れも慌てて車に乗り込み、僕らとは反対のほうへ走り去っていった。僕の不埒な想像も、すれ違ったことさえも数日もたてばすっかり忘れてしまうだろう。
「天気予報見てなかったねえ」
じゅんさんはスマホのアプリで短時間予報を確認している。
「長くは降らないみたい」
「そうですか、良かったです」

カーナビは幹線道路から側道へ指示を出し何度か右左に曲がるうちに道はどんどん細くなり、アスファルトが途切れて砂利道に変わるあたりで案内を終了した。あたりは人家もなく草原に雑草が生い茂っている。白いペンキが剥げ、ところどころ錆びた両開きの門扉だけが砂利道の先を示しているが、その砂利道も両側からせり出した草に半分おおわれている。
「なるほど、だからジープなんですね」
「ここから私道、あの松林の手前を崖沿いのもうちょっと奥の方」
海風で全体が陸側へ傾いた松林は細く頼りなく、かろうじて防風林の役目にしがみついているようだ。
「ずいぶん広い敷地ですね」
「昔はしゃれた別荘が建っていたそうだけど老朽化で取り壊してから空き地になってたところみたい」
千葉の田舎町と世田谷の一等地の交換と言うからずいぶん格差があると思っていたが、この立地に電気や水道、私道の敷き込みをして別荘を建てたとなると、元の持ち主もかなりの資産家だろう。インフラさえ残っていれば自分の手で家を建てるという念願も現実味を帯びてくるわけか。
必要なもの同士をマッチングさせて交換する、もしくは相手が得になると考えるものを提示し、されて、交換する。これは貨幣経済以前の正しい交易のカタチには違いない。この世のなにもかもが物々交換で成立したならば世界はもっとシンプルになるだろうか。僕らは日常的に形のないものと形のないものを交換しあって生きているのだから、不可能ではないはずだけれど、戻れない。

松林が途切れた先に、海に突き出たごつごつした崖が見えた。灯台があってもおかしくないような、断崖と言っても差し支えないような小さな岬は雨に煙っていた。雨脚は強いまま空はスモーキーな灰色をして低く垂れこめている。雲の下には灰色の海、そして小さな小屋が見えた。
「あれがひろ兄さんの家ですか?」
「うん、とりあえず家は無事のようだね」
まるで大草原の家のインガルス家の小屋のようだ。ペンキも塗られておらず、景色に溶け込んだ片流れの屋根は廃材を組み合わせたような色味をしている。「猛烈な」と分類された台風の直撃にも耐えたのだから見た目よりは頑丈なのだろう。ドアに鍵はなくわずかに開いていた。じゅんさんがドアを開け恐る恐る中を覗き込む。
「兄ちゃん?」
返事はない。ドアを開けてすぐの下には泥で汚れた厚手のラグマットが敷いてある。どうやら土足で入ってもいいらしい。僕とじゅんさんは顔を見合わせて頷き合い、中へ入った。雨が吹き込んだのか床はところどころ濡れたままだ。
「おらんみたいやね」
あれだけの暴風雨だ、近隣の頑健な建物か避難所に移動していると考えたほうが自然だ。あ、携帯、とこれもまた手作りらしいテーブルの上に置かれたままのスマホを手に取る。
「電源が入らないねえ、充電切れとるんやろ」
「避難するときに携帯を持って出ないのは不自然ですね」
窓の外がふいに明るくなった。目をやると暗い雲の切れ間から鈍い光が幾筋か海に差し込んでいる。雨雲は海の向こうへ去ろうとしていた。
「近くを探してみましょうか」
「そうねえ」
じゃあ、あっちを見てくるから、津ちゃんは海沿いを、とふたてに分かれてひろ兄さんを探す。

崖の端まで近づきおそるおそる海を覗き込む。波頭が荒く岩肌に砕けている。こんなところから落ちたらひとたまりもないだろう。目を上げると、風が吹きつけてくる海の先に色が見えた。白、赤、オレンジ、緑、紺。ミニトマトのようなものがいくつも連なって暗い空に浮かんでいる。雲間から射す光に反射して発光する丸の連なりはゆっくりと風に流れこちらへ近づいて来た。

ファンタジー号は崖まで流れて来て僕の目の前にゆっくりと着地した。
バルーンに埋もれたゴンドラの中から、男が降りてくる。きっちりしたスーツにネクタイ、よく磨かれた革靴を履いて、整髪料で撫でつけられた髪は強風にも崩れることなくぴったりとセットされている。男はこちらを見て品のある微笑みを浮かべ、まっすぐに立っている。
「調律師?」
「はい。そうです」
「今までどこに?」
「旅をしながら調律をしておりました」
「空で?」
「はい。空は世界中のオーケストラが全員で奏でるような混沌とした交響曲が絶え間なく溢れ出ているのです」
「賑やかな場所なんですね」
「ええ、とても。風と水と光が渦巻いて世界中に音楽を降らせているのです」
「あなたはそれを調律している?」
「そうです。調律して世界中の作曲家に届けています」
「・・・・・・僕にも届けてくれたことがありましたか?」
調律師はじっと僕の目をのぞき込み首を少し傾げた。
「あなたの役目は別の所にあるようです」
その言葉を聞いた瞬間、長い渇きが消え、染みついた垢が洗い流されて行くような感覚が僕を包んだ。

「おーい、津くん」
じゅんさんが呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、防風林の中からじゅんさんと連れ立ってもうひとり誰か立っているのが見えた。
「おったよお」
「ひろ兄さん?」
駆け寄るとそれは確かにひろ兄さんだった。肩まで伸びたぼさぼさの髪とヒゲ、サイケデリックな絞り染めのTシャツにベルボトム。ヒッピーのような出で立ちで、まるで七十年代に戻ったみたいだった。
「津、久しぶり」
「無事だったんですね、良かった」
「停電していてね、いま復旧の工事に立ち会ってたんだ。携帯も繋がらなくて、心配かけたみたいで悪かったね」
台風で公道から引き込んでいる電線が途中で切れたらしかった。じゅんさんもひろ兄さんもにこにこと笑っている。笑った顔だけは少し似ているな、と思った。

小屋へ戻る僕らの背中を朝陽が照らした。今度ははっきりとわかる暖かな光だった。
振り向いても、そこにはもうきっと誰もいない。
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