第1話 シロアリの女王さま

文字数 2,764文字

「遅いじゃないのっ!何やってたのよっ!」
 女王さまの怒鳴り声が部屋の外まで響きました。
 食事を運んできた働きアリは、体をギュッと縮こまらせて、ビクビクしながら答えました。
「も、申し訳ありません。新しい部屋を広げ過ぎて、食料が予定より減ってしまったようで…」
「そんな言い訳聞きたくないわ!次はもっと早く持って来なさいよっ」
「は、はい!失礼いたします!」
 女王さまの部屋から出た働きアリは、はぁ〜、とため息をつきました。
「毎日毎日、嫌になっちゃうな。ごはんが遅いとか、早すぎるとか、美味しくないとか、文句ばっかり」

 気を取り直して、働きアリは今度は副女王さまの部屋に食事を運びました。
「遅くなって申し訳ありません」
 副女王さまはニッコリと微笑んで受け取りました。
「そんなことないわ。ちょうど今、お腹が空いてきたところだったの。いつも美味しいごはんをありがとう」
 副女王さまの優しい言葉に、働きアリは涙が出そうになりました。

 次に、掃除担当の働きアリが女王さまの部屋に入りました。
「失礼いたします。お掃除をさせていただきます」
「挨拶はいいから、さっさとやってちょうだい!手を抜いたら承知しないわよ!」
 女王さまは働きアリをギロリと睨みつけながら言いました。
 働きアリがどんなに一生懸命掃除をしても、女王さまは必ず文句をつけました。
 部屋から出た働きアリは、はぁ~、とため息をつきながら、今度は副女王さまの部屋に移動しました。
「失礼いたします。お掃除をさせていただきます」
 副女王さまは、ニッコリと微笑みながら言いました。
「いつもありがとう。あなた達のおかげで、部屋の中がいつも綺麗だから気持ちがいいわ」
 副女王さまの優しい言葉と、とろけるような可愛らしい笑顔を受けて、働きアリは涙が出そうになりました。

 やがてトイレ担当の働きアリが、女王さまの部屋に行きました。
 部屋に入る前から、もうため息をついています。

 シロアリの女王は、毎日毎日たくさんの卵を産みます。そのため、どんどんお腹が大きくなってしまい、自分で歩くことができません。
 だからトイレ担当の働きアリが、女王さまのお尻の世話をするのです。
 このときも女王さまの怒鳴り声が響きます。
「もっと丁寧に拭いてよ!これじゃ全然スッキリしないわっ!私が誰のために毎日毎日卵を産んで、自分で歩けない体になったと思ってるの!」

 トイレ担当の働きアリは、ただただ頭を下げて、女王さまの怒鳴り声が通り過ぎるのを待ちました。
 
 女王さまのお世話をするのは働きアリの「仕事」です。だから働きアリたちは一生懸命にお世話をします。
 そして女王さまの仕事は卵を産むことです。どちらも同じく「仕事」なのです。働きアリたちにしてみれば、女王さまが卵を産むのは当たり前のことに過ぎません。なのにどうして、この女王さまはいつも「私が誰のために毎日卵を産んでいると思ってるの」と怒鳴っているのでしょう。
 働きアリたちには女王さまの気持ちが分かりませんでしたが、とにかく女王さまには逆らわず、ジッと耐えているのでした。

 やっとのことで、トイレ担当の働きアリは副女王さまの部屋に辿り着きました。
 まだ卵を産んでいない副女王さまは自由に歩き回れるので、お尻の世話は必要ありません。
 働きアリはトイレの掃除をするだけです。
 それでも副女王さまは輝くような笑顔と共に、優しい言葉でお礼を言うのでした。

 副女王さまは、女王さまの身に何かが起きた時に、女王さまになります。それまでは卵を産みません。
 しかし未来の女王さまではあるので、部屋も食事もとっても豪華でした。
 実は、シロアリ王国の中で、一番優雅な生活を送っているのが、副女王さまなのでした。


 さて、シロアリ王国では、大きな会議が開かれることになりました。
 引っ越しについて話し合うためです。
 シロアリは朽ちた木に巣を作りますが、この木は巣材であると同時に、食料にもなります。
 シロアリの数が増えれば、食料はどんどん減ってしまいます。それは巣材が減ることにもなるので、新しい部屋を作ることもできません。
 食べるものと巣材が無くなる前に、別の木に引っ越しをしなければならないのです。

 働きアリたちがみんな集まって、ワイワイガヤガヤと話し合いを始めました。
 女王さまと副女王さまは、会議には参加しません。
 引っ越しについての決定権は全て、働きアリたちにあるのです。
 働きアリたちは、候補に上がっているいくつかの木の中から引越し先を選び、次に、引越しの日を決めました。
 会議が終わろうとしたそのとき、一匹の働きアリが、手をあげました。
「提案したいことがあるのですが」


 いよいよ引越しの日になりました。
働きアリたちが忙しそうに動き回っています。
 必要な荷物を全て運び終え、あとは全員で移動するだけ、というときに、女王さまの声が部屋から響いてきました。
「ちょっと!なぜ私のところに誰も来ないの?私を運ぶ担当は誰なの?さっさとしなさいよ!」

 それを聞いた一匹の働きアリが、女王さまの部屋に入りました。
「女王さま、私たちは女王さま抜きで引っ越しをすることにしました」
「なんですって?何を言っているの?冗談はやめて、さっさと私を運びなさい!」
「いいえ、冗談ではありません。私たちはもう、女王さまの我儘には耐えられません」
「私は王国のために毎日毎日卵を産んでいるのよ!あなたたちのためなのよ!分かってるの?」
「卵を産むのは女王さまの仕事です。誰のためでもありません」
「なんですって!」
 女王さまの怒鳴り声がいっそう高くなりました。
「私がいなかったら、王国がどうなるか分かってるのっ?」
「そのために副女王さまがいらっしゃるのです。私たちは副女王さまと一緒に、新しい王国を作ります。では、失礼いたします」
 部屋から立ち去る働きアリの背中に向かって、女王さまは叫び続けました。
 「戻りなさい!私はひとりじゃ動けないのよ!あなたたちに運んでもらわないと引っ越しできないわ!このまま私がここに残ったら、私の世話は誰がするの!戻りなさいったら!」
 どんなに女王さまが叫んでも、働きアリは戻ってきませんでした。


 副女王さまは、たくさんの働きアリたちと一緒に歩いていました。新しい木はもう見えています。
『新しい木はあれね。楽しみだわ。それにしても、さっきの女王さまの叫び声はひどかったわね。毎日毎日あんなに怒鳴りつけたら、働きアリたちがどう思うか、想像もつかなかったのかしら。私は絶対にあんなふうにならないわ。女王に必要なもの、それは作り笑顔よ』
 歩きながら、副女王さまはニッコリと微笑みました。
 引っ越しに忙しい働きアリたちに気づかれないようにコッソリと作ったその笑顔は、優しさに満ちた可憐な笑顔でした。
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