序章 堂島武三の暴食

文字数 992文字

月明かりが覗く窓越しに、私、堂島武三は、田舎町の交番で、無味乾燥な事務仕事に没頭していた。
交番の壁にかけてある時計の針を見ると深夜1時前であった。その秒針は、自身の影を追うように同じ輪を描き続けており、毎日同じ生活を繰り返している私と似ているようにみえた。しかし、誰かに見てもらえるという点で、少なくとも私よりは必要とされているようである。
交番の仮眠室では、喧嘩っ早い新人警察官の七瀬くんが、軽いいびきを立てながら眠っていた。私に息子がいれば彼くらいの年齢であっただろう。彼は、無駄な肉のない引き締まった体つきをしており、その目には希望の光が宿っている。
彼とは対照的に、 50歳の私はブクブクと太っており、毎日先の知れた人生を必死につないでいた。私は、職場の皆からは「TD」と呼ばれている。それは、私の名前のイニシャルではなく、「使えないデブ」を表すものであることを私は知っていた。私の年代で一度も昇格していないのは警察署で、私一人だけであった。
一息つき、私は手元のカップラーメンにお湯を注いだ。その瞬間、蒸気と共にジャンキーな香りが狭い部屋に広がった。私の単調な日常を唯一彩る時間である。
心の奥底では、太っているのに食べ続ける自分を豚のようでみっともないと感じていた。しかし、それは食べることだけが生きがいの私にとっては些細な問題であった。いざカップラーメンを食べようとしたとき、古い交番の扉がゆっくりと開く音が聞こえた。
こんな夜更けに、それも田舎の交番に訪れる者など滅多にいない。なんてタイミングが悪いのだろう。せめて麺が伸びてしまう前に一口だけ流し入れて、休憩室から出て窓口に向かった。交番の入口付近には、20代くらいの男が交番に立っていた。男の顔色は青ざめていて、何かに怯えているようだ。
「どうしましたか?」と声をかけた私の顔を、無言のまま見つめる男の目には、まるで絶望が広がっているようだった。
長年の経験から、話が長引きそうだと感じた私は、もうすぐ交代の時間となる七瀬くんを起こそうかと迷ったが、私は七瀬くんの貴重な睡眠時間を奪わないことに決めた。
こんな私でも、怯えている若い男の悩みに耳を傾けるくらいはできるだろうし、話を聞いて少しでも男の気持ちが楽になれば、私の仕事もまあまあやれたと言えるだろう。
この時点では、私がこの男に殺されるとは微塵も予想することはできなかった。
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