お前の偉大なる父より

文字数 2,917文字

息子へ

 悪かったな、急に居なくなってしまって。
 大変かもしれないがもう暫くは帰れそうにない。父さんの仕事が人の役に立つ事なのは
 知っているだろう?今ここで父さんがプロジェクトから抜けるのは出来ないんだ。
 発表出来る所まで完成して、一段落すれば大丈夫かもしれないが、今はまだ発表する事
 も出来ない段階で大勢の人が泊り込みで作業をしている。
 嬉しい事に新しい研究所は衣食住が全て揃っていて一切外に出なくても生活が可能なん
 だ。もしかしたらそっちでお前の世話になるよりも良いかもな。
 メシが旨いだけじゃない。スケジュールの管理から洗濯も掃除も職員がやってくれるん
 だぞ?ちょっとした王様気分だ。
 肉があんまり出ないのがちょっと不満だけどな。かと言って粗食ってわけでも無く、あ
 げ物や焼き魚なんかは出る。地産地消だったか?肉より魚が手に入りやすいそうだ。
 冷凍でいいから牛のステーキを食べたいと職員にお願いしたことがあるが『それは出来
 ない』とあっさりと断られて悲しかったよ。
 いきなりなんとかまではしなくていいから、ステーキぐらい出してもいいのにな。

 母さんはどうだ、まだ意識が戻らないか?病院は父さんの学生時代の友人がプレジデ
 ント。つまり院長だから多少の融通は効く。何かあったら頼りなさい。
 少しの間ならば援助もしてくれるだろう。
 学費や生活費は口座に入っているが、急に大金が必要になった場合は父さんよりもそい
 つのほうが金持ちだから頼りになる。
 いきなり他人に金を借りるのは気が引けるだろうが、学生の頃のそいつは逆に金を貸し
 て貰う側だったんだ。父さんにも大きな借りがあるから存分に頼ってやれ。それぐら
 い利子の範囲だろう。
 ルール無しの貸し借りなんてそんなもんだ。

 新生活はどうだ?大学もアパートも近場だから余り変わらないかもしれないが、ちゃ
 んと大学生らしい行動はしているか?
 しっかりと学んで一人前の科学者になるんだぞ。流石に父さん程の天才科学者は目立
 つから色々と苦労もあるがな。
 勉強ばかりではなく遊びもやっておけよ?大学は学ぶ場所だが、社会に出る前のセ
 ッティングの場所でもある。
 どんな奴が居てどんな考えをしているのかは勉強だけじゃ分からない。
 嘘を付いて近寄ってきてこっちを騙すような奴が世の中には居る。そういうのは裏切
 らた後でしかわからない。
 ノロマな奴が悪いんだと平気で人を騙す様な奴等だ。
 危険な奴等程、勉強だけしていて世の中を知らない人間をカモにする。『自分はちゃ
 んとした人間で遊んでいる奴は考えなしだ』なんて思っていると痛い目を見るぞ。
 幸運にも父さんは母さんにそれを気付かせてもらった。
 人間は愚人しか居ないと思っていた父さんに強引に話しかけてきて、本当に強引に『
 貴方は人の事を知らなすぎる』と父さんを色んな場所に連れ出してくれたんだ。
 ルソーの言葉に『恋と同じで、憎悪も人を信じやすくさせる』というのがある。
 尤もらしい言葉だが、様は『恋は盲目』と似た様な物だ。当時の父さんは自分以外
 の人間は全員愚かな人間だと思っていて、遊ぶなんて事は無駄でバカのする事だと
 思っていた。
 もっと上を目指すには勉強するしかない。勉強しないで遊ぶ様な奴は諦めた敗北者だ
 ってな。それを母さんに戒められたんだ。
 天才とは孤独であるとよく言うが、あれは天才側が勝手に孤独になっているだけなの
 に、さも周りが天才を避けているかの様に言っているだけだ。
 現に母さんに振り回されてからの父さんは天才のままだったが、沢山の仲間に囲まれ
 て大学生活を送ることが出来た。
 苦労させられた事も沢山あったが、あれが無かったら今の父さんは無かっただろう。
 レクリエーションは大事だぞ。本当に。

 バイクの免許取得は反対していたが、大学生ともなると移動手段も必要だろうからきち
 んとヘルメットとライダースーツを着て乗るのなら許してやる。
 ゴーグルを付けるタイプのハーフのヘルメットではなく、多少面倒でも頭部の全面を覆
 うフルフェイスのヘルメットを着けるように。
 反対は許さない。母さんがバイク乗りだったからバイクの危険性は十分に知っている。
 お前よりも父さんと母さんのほうが確実に詳しいからな。確か倉庫に母さんが妊娠する
 まで父さんが着ていたライダースーツやプロテクターが残っている。父さんが設計した
 エンジンを積んだ母さん専用バイクもあるはずだ。
 乗る事はもう無いと思っていたが、もしもお前が免許に合格した時は乗ってもいいだろ
 う。但し、ちゃんと父さんだけでなく母さんの許可も取ってからだぞ。
 間違ってもお前一人で乗ろうとするんじゃない。あれはとんでもないじゃじゃ馬で、乗
 れた人間は母さん以外だと母さんのバイク仲間の一人しか居ない。
 立花のおじさんを知っているだろう?あの人のバイク屋でたまにアルバイトをしている
 人だ。これからバイクに乗るのなら、一度はあの人と会っておいたほうがいい。
 当然だが、まずは私有地やサーキットで試すんだ。
 自分一人で乗るのもダメだ。
 必ずバイクの運転に詳しい人か、整備師の人にに居て貰ってから試せ。出来れば立花さ
 んを呼ぶのが一番いい。
 誰でも扱えるマシンではないからな。

 立花さんにも父さんが暫く帰れない事を伝えておいてくれ。
 確かバイクのボディの設計なんかして欲しいとか頼まれていたはずだが、暫くは外に出
 かける事も難しいと思う。
 うるさい事は言われないと思うが、あれこれ聞かれても適当に答えておいてくれ。もう
 ちょっと時間が経てば外出も出来るようになるだろう。
 かなり無理やりだが、なんとか頼む。
 楽にはいかない仕事なので大変だな。
 頑張りがいがあると言った方が良いか?
 あんまり頑張ると集中しすぎて周りが目に入らなくなるから、母さんからは適度に頑張
 るようにって言われているんだけどな。

 お前も春で大学生になるのだし、これを機に自分の世界を広げてみると良いだろう。
 間違ってもいい。失敗してもいい。色んな事に挑戦して色んな物を見るといい。まだ見
 えぬ人生の頂を登る前に、沢山の事を経験しろ。
 望むのなら父さんもお前の成長を間近で見ていたいのだが、父さんは暫くはお前に会う
 事が出来ない。だから言葉だけを送る。
 遠回りでも良い。自分の目標に向かって進む事を諦めるな。
 お前がやると決めた事なんだ、お前だけは決して諦めるんじゃない。
 諦めなければ、いつか其処に辿り着ける。
 嫌な事が沢山あったら、辛い事が沢山あったら、そんな時は誰かに頼れ。
 周囲を良く見てみろ。お前は一人じゃないはずだ。
 手伝ってもらう事は恥じゃない。手伝ってもらった後は替わりにお前も相手の事を手伝
 いをしてやれ。
 大切な物を作れ。大切な仲間を作れ。いつかそれが財産になる。

 じゃあな、母さんの事を頼むぞ。

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