第1話

文字数 1,928文字

 煙草の煙をほうけたように見詰めていた。十一月に入り、肌寒くなった。ベランダに出て、腰掛けながら、煙草を吸っている。フリースを羽織っているが、寒くてしょうがない。衣替えが必要だし、上機嫌なときに妻の史恵に頼んで、冬物を引っ張り出しておいてもらおう。寒がりなので、精神的に参ってしまう。気温は十度を下回っているのではないか。
 すでに妻に対して愛情はなく、正直言って離婚も考えたことがあるが、人生設計するのが面倒くさい。惰性でも今までの人生を送ったほうが気楽だ。しかし今でも別居したい、と考えることがある。
 会社の帰りにスマートフォンの着信音が鳴り、言伝を頼まれた。スーパーマーケットに立ち寄り、史恵から頼まれた商品を購入した。      
 妻の史恵は四十代だが、魅力的でなくなり、なぜこんな女と結婚したのだろう、と失敗を悔やんでしまう。ダイエットしろ、とは言わないが、いつもノーメイクはだらしないのではないか。化粧することは身だしなみだろう。
 帰宅すると、気分が落ち込んでしまう。部屋に明かりがついていないから、史恵は寝ているのだろう。ダイニングテーブルの上に、レジ袋を置いた。
 煙草はコンビニエンスストアで購入している。煙草の価格はおおむね五百円を超えているが、健康志向もいいかげん勘弁してほしい。最近は物価の高騰に苛立つが、私の小遣いにゆとりがあるわけではない。
 個人的には、煙草を買う頻度が高くならないように心掛けている。史恵から、「電子煙草か加熱式煙草に変えたら?」と言われるが、変える気はない。
 室内では煙草を吸うことができないので、ベランダに出て煙草を吹かしている。もうすぐ五十歳になるのに、何をやっているのだろう。高性能の空気清浄機があるので、煙草を吸ってもかまわないのではないか。自分が情けなくなってしまう。
 時折、自殺したい、という衝動に襲われることがある。ここは七階だが、ベランダから飛び降りたら、気持ちが楽になれるのかもしれない。しかしもし自殺に失敗したらどうしよう、と考えてしまう。
 自分の心に隙間ができてしまい、虚無感に襲われる。私はサラリーマンとしては優秀でもなく、大手のメーカーに就職したものの、四十代で肩を叩かれ、子会社に出向していた。なぜ一生懸命働いているのだろう。家族のため、会社のため、なのだろうか。
 私には高校生の娘、曜子がいる。本当は父親になりたくなかった。三十代になり、史恵と結婚した。結婚式場でウエディングドレスを着た史恵は美しく、親に見せるための結婚式は、どうにかできたのだろう。親孝行をすることができたのかもしれない。
 異性と交際に自信があるわけではなかったので、結婚相談所に入会していた。学生時代を思い出すと、女性にもてるわけでもなく、結婚するのは無理だろう、と諦めていた。
 幸い結婚できたものの、もともと私は子供が欲しくなかった。子供はエイリアンのようで、気持ちが悪い。しかし史恵がどうしても子供を欲しがり、困惑した。「子供がいらないのなら、離婚しましょう」、と言い切ったので、根負けしてしまい、子供をつくるはめになった。やはり女性の本能なのだろうか。
 私は自分の父親が好きでもなかったし、父親になる覚悟もなかった。後の祭りだが、もともと子供が好きでもなく、子供はつくらなければよかった、と後悔している。曜子が生まれても、うれしくなかった。逃げられなくなったと感じたし、最後通牒をつきつけられた気持ちになった。
 曜子は小学校、中学校を卒業し、高校に進学したが、いじめに遭ってしまい、高校に通うことができなくなった。精神的に不安定な日々が続き、メンタルクリニックに通っている。曜子の教育は史恵に任せているので、私は関わらないようにしている。
 曜子に付き添って、メンタルクリニックに通ったことがある。五十代くらいの恰幅がいい精神科医だった。この先生なら任せても大丈夫だろうと、とりあえず安心した。                             
 曜子は二週間に一回、精神科を受診している。主治医から向精神薬を処方されている。子供の頃からデリケートな神経なので、ひそかに心配していた。
 ポトスを鉢植えにしており、感傷的な気分で眺めた。私は観葉植物の名前はよく知らない。ポトスは生命力が強く、育てやすい。すくすく成長している。水やりはしているが、基本的にほったらかしている。曜子は精神的にたくましくなってほしい。
 結局会社員だし、家族のために定年まで働くしかない。妻子を養ってこそ男なのだろう。体が冷たくなってきた。外に長居をしてしまったのだろう。次の煙草で最後にしよう。最後の煙草に火をつけた。(了)
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