第1話

文字数 10,279文字

 今日も昼間から街の銭湯に来ていた。ゆっくり湯につかり、少し出て、また湯に入ることを繰り返していた。いつもの行動である。のぼせる寸前に出て冷たい茶を飲みながら店の出入り口の近くで外の冷気にあたった。なんたる気持ち良さ、着物を着て、煙管に葉っぱを詰め石で火をつけた。一口、二口、また詰めて火をつけた。何度か繰り返す。これもいつもの行動だ。気が済んだので外に出て、また煙管に火をつけてゆっくり歩いた。俺は身長が六尺五寸、体重は三十二貫程ある。人目を引く、というより毎日のように銭湯に来ているので、また「来た」とみんな思っているのだろう。家に帰ってもやることはない。まだ家を継いでいないし、城中に上がるために親父が縁故をたどってみたが不採用になったので無職だ。本音を言うと博打に行きたかったが、金がないし、城にばれると不味いのでたま~ににしていた。なので、なにもやることがないし、金もないので銭湯くらいしか行けるところもなかった。実を言うと許嫁もいるのだが無職なので結婚できずにいた。家にいてもやることがないのでブラブラ歩いていた。犬がいたので体を撫でてやると気持ちよさげに目を細めて、尻尾を振っていた。動物は体を撫でられるのが好きなのだろう。さて、そろそろ帰るか?同年代で城に上がれた連中がそろそろ通る頃だからだ。上手く縁故を使った連中だ。城に上がれなかった俺のような連中は内職をやらされるのだ。他にも街で顔を見かける奴がいる、嫌気がさして抜け出しているのだ。少し話はするが城中に上がれた連中の話はお互いに慎重に触れずにいた。それでも俺はまだマシな方なのだ。長男なのでいずれは家を継げるし、城にも上がれるからだ。仲間の中には次男、三男で婿に入れる話を聞いて回っている奴もいる。受け入れ先が見つからなければ一生部屋住みか、家を出てヤクザの用心棒でもやるしかないのだ。そんな訳でここ数年は仲間の中でも微妙な雰囲気になっていた。家格の違う奴は仕方ないと思うのだが同じ位の奴同士でこの三段階に分かれると微妙なのだ。実際、婿の受け入れ先の目途がついた奴の安堵感ははっきり分かるのだ。だから見つかっていない奴はさらに焦る。そんな中にいると俺は運が良かったな~と思うのだが、それを見つかっていない奴らに悟られてはならないからあまり喋れなくなるのだ。結局、仲間と会っても最近は面白くなくなっていた。俺としても城に早く上がれた奴を見ると年を取ってから城に上がって上手く仕事ができるかなと思うことはあるし、なんだか落ち着かないのだ。なので、一人でぶらぶら歩いて、小遣いを貰えた時は町奴がやっている博打場に行って遊び、普段は銭湯に行って散歩していた。最近よく思うのだが、親父はいつ俺に家を継がせる気なのだろう、まだ継がせる気がないのなら、もう一度縁故を使って城に上げて欲しいのだ。そうすれば結婚できるから。ただ、さすがに一度失敗しているので、そんなに何回もはできないのだろう。家に着いたので内職の続きをやることにした。こんなに傘をたくさん作ってどうしようというのだろう?しかもこんなのすぐに壊れるし。自分のやっていることに疑問を感じていてはそんなに長続きはしない。一応oお袋に頼まれていた数はこなして、芋を焼くことにした。庭から枝をいくらか拾って囲炉裏に放り込んで石で火をつけた。ついでに煙管に火をつけて芋を焼いた。自分達で食べる野菜は自分達で作っているのだ。しかし静かだ。本当に人がいるのだろうか?ぼんやりしていると芋が焼けたので燃えなかった枝で芋を刺し、囲炉裏から芋を取り出した。いい匂いだ。食っているとお袋が帰ってきて、夕食を作り始めた。親父は最近忙しいらしい。帰りが遅いことが多い。

 今日は近所の川で釣りをしていたが、別に釣りが好きではないのだが、暇潰しにやっていた。多分坊主だろう。糸の付け方も教えてもらったが忘れたので適当につけている。だから、釣れたら糸は取り替えている。誰もいない、人も通らない、山の中だから。あまりにも退屈なので止めることにして、山を下りた。遊郭にも行ってみたいのだが、病気が怖くていけなかった。しかも高いし。やるといったら気が付いたら体を鍛えて、銭湯に行って、飯を食うだけである。早く結婚したいのだが、無職だからできない。堂々巡りである。ただ、運のいいことに近所にそういうのが多いのだ。。みんな人目を避けて、こっそり動き回っている。暇だから。城に上がれた奴はどういう縁故をもっていたのだろう?俺の方もそんなに弱い縁故ではなかったそうなのだが駄目だった。そう、自分で縁故を作るという手があるか、お偉いさんに取り入るという手もある。「おっ、こいつは使えるぞ」と思わせる手があるかもしれない。そうすれば結構出世できるかもしれない。明日から御家老様の家の近くをうろつこう。どうせ、やることないし。

 面接の時に作った着物を来ていくことにした。髷もお袋に整えてもらった。筆頭家老の沖田様の家を訪ねてみることにした。駄目だったら近くにある城代家老の堀田様の所に行こうと思う。若干緊張しているようで、足早になった。さて、どういう話をしようか.
城に上がっている連中の話だと沖田様は人の配置が非常に上手な方だと聞いている。馬廻組の大蔵の息子の十兵衛だと言って俺は体がでかいし、力もあるから警護役として雇ってくれないかと言ってみよう。しばらくすると屋敷街になり沖田様の屋敷に着いた。裏木戸を叩いた。
「お頼み申す。」
 大声で呼びかけた。すると中間のような男が出てきた。
「どなたですか?」
「俺は馬廻組の大蔵作兵衛の息子の十兵衛と申す。沖田様にお話したいことがあって参った。お目通り願いたい。」
「お約束はおありですか?」
「ない。」
 中間は不思議に思った。この大男なにやら自信満々なのだ。体格がいいからそう感じる訳ではなさそうだった。なにか表情に好感が持てた。一応、用人である家中筆頭の江藤様に報告しとくか。
「しばしお待ちを。」
 中間は庭に出ていた江藤に「江藤様見たことのない大男が殿に会いたいと言って訪ねてきているのですが、どうしましょう?」
「なんじゃ、そんなのいつもお前が適当にあしらってるじゃろ。」
「それがなんだか不思議な奴でして。」
 江藤はこっそりと十兵衛を見た。
「なんちゅう大男じゃ、名はなんと申した。」
「はい、馬廻組の大蔵様の息子の十兵衛と申しておりました。」
「大蔵殿の息子か、怪力の息子がいると聞いたことがあるが、そうか分かった、とりあえず儂が会って話を聞いてみよう。玄関の隣の部屋に通せ。」
 中間は裏木戸に戻り、「それでは、こちらにどうぞ。」十兵衛はやったと思った。話を聞いて貰えるなら脈はある。座敷でまっていると江藤というおじさんが出てきた。沖田様ではなかったのが残念だったが、とにかく話をしよう。
「私は馬廻組の大蔵の嫡男の十兵衛と申します。数年前まで至芸館で鍛錬を積んでおります。私めの武術と頭脳を藩のために使いたいのですが、城に上がるための試験に落ちてしまいまして、藩の要職を務められます、沖田様のもとで働きたいと思い参上しました。特に剣術と力には自信がありますので、御重臣の警護に使っては頂けないかと。」
 江藤は頭の回る奴だな~っと思った。これなら殿に会わせてもいいかな、うん、手が見える。呼んでいる?
「しばし待たれよ。」
 部屋を出ると沖田がいた。少し二人で部屋から離れた。
「なんじゃ、あいつ?」
「馬廻組の大蔵様の息子らしいです。」
「大蔵か~、あいつの息子は城に上がれていないのか?」
「そのようで、殿に雇ってもらいたいらしいです。」
「うむ、聞いてた。部屋住みじゃ金もないだろうしな。それじゃ、儂が城に上がる時に来させて、少し金やれ。そうじゃな、一日おきに朝の五つ頃来るように言え。」
「わかりました。」
 江藤はゆっくり部屋に戻り座りなおした。
「お待たせしました。そうですな~。それでは殿の警護をお願いしましょうか。明日から一日おきに朝の五つ頃に当家に来て殿の登城の警護をお願いします。」
「分かりました。それでは明日から参ります。」
 帰り道、大声で叫びたい気持ちになった。仕事が貰えたのだ。しかも筆頭家老の沖田様に直接接触できるのだ。

 今日はついてた。とりあえず臨時ではあるが、仕事をさせてもらえるし、沖田様に見込まれれば実際に出世できるかもしれない。だから博打は当分控えておこう。せっかくの機会が潰れたら不味い。煙管を吸いながらのんびり歩いて家に帰った。

 十兵衛が一人喜んでいる頃、城は緊張の度合いを増していた。昨今、発生した側用人の倉橋による平家老の三井に対する殺傷事件により逃走した倉橋への刺客が返り討ちにあったのだ。家中でも有名な剣士だったため、次の刺客の人選が難航した。この事件の原因は側用人の倉橋が他藩の出身で殿による登用により就任した事が大きいだろう。倉橋の俊才ぶりから徐々に殿は倉橋に依存していった。倉橋の意見を重用するようになり、下の者たちは倉橋に案件の報告をするようになり倉橋が藩内の情報を握るようになっていた。倉橋に取り入ろうとする者も出始め、古来から藩の中枢にいた家老達に対抗するような派閥が形成されていった。これまで藩の実務を担ってきた平家老の三井重吉は後に開かれる御家老衆の集まりで話を聞くようになり、仕事がなくなっていった。
 それまでは藩の運営が滞ることも多く、三井に少々不満のあった殿は徐々に三井を遠ざけるようになり始めた。それまで自分では滞りなく藩の運営を行ってきたと考えていた三井は非常に不満を持つようになる。倉橋は他藩の下級武士の出身で剣の修行で江戸に出てそこで学問も修めた。江戸で非常に高名な学者がその才覚に注目し、色々な会合でその名前を出したので倉橋に興味を持つ大身の士分も出てきていた。そんな折に参勤交代で江戸に出府していた殿に江戸家老の柿原が倉橋の事を話題にしてから殿が倉橋に会いたいと申し渡したのである。倉橋は殿との謁見の際に非常に要領を得た経済政策と統治に関する思想を話した。これで殿が倉橋を気に入り家中に士官することになった経緯がある。この下級武士出身であることを三井は最初から気に入らなかった。倉橋と顔を会わせる度に皮肉っていた。倉橋は上手くかわしていたのだが、三井に対して敵対意識を持つようになっていった。三井もそのような倉橋の自分への感情を察知し、余計に倉橋を憎んだ。しかも三井は塩を少量ではあるが横流しをして私腹を肥やしていた。これを倉橋が勘づくのではないかと恐れていた。なんとかしなくてはと考えた。そして事件が起きた。

「かなりの量の塩を処分せい。帳簿には記録せんでよい。」
「帳簿に記録しないとなると残高が合わなくなりますが、よろしいのでしょうか?」
 勘定奉行の畑中はとまどった。
「倉橋を追い落とすためじゃ。」
「すると、この件を倉橋の仕業に?」
「そうじゃ。」

 畑中は塩を担当する木村正二郎を呼び出した。
「塩をかなりの量を処分せい。帳簿には記録せんでよい。安心せい。藩の運営のためじゃ。ただし、この件は他言無用じゃぞ。」
 木村は念のため組頭の遠藤に確認を取った。
「その件は御奉行の畑中様から聞いておる。大阪の商人を通して処分するようにとのことじゃ。」
「大阪の商人でございますか?三好屋でよろしいのでしょうか?」
「いや、普段使わん商人を通せ。」
 木村は「これはなにかある」、と思ったが、理由は聞かなかった。指示通りにやった方があとあと弁解できると踏んだからだ。付き合いのない大阪の商人を探すために、あれこれ考えていると、組頭の遠藤が声をかけてきた。
「実は御奉行から塩を付き合いのない大阪の商人を通して処分するように指示されまして。」
「それなら聞いておる。商人に関しては拙者の方で見つけてあるのでそこに文をだせばよろしかろう。」
 木村はそんな商人を何故遠藤が知っているのか不審に思った。手回しが良すぎる。なにかの陰謀に自分が巻き込まれ始めているような気がした。不安ではあったが、指示を無視する訳にもいかず、文を送り、塩の処分の手配を行った。かなりの量ではあったがほぼ相場通りに処分ができた。支払われた金は御奉行に直接渡し、仕事は終わった。

 そして後日、勘定目付の監察で塩の残高が合わないことが発覚し、勘定目付から三井に報告がされた。三井は勘定奉行、目付と共に調査することになり、組頭の遠藤と塩の担当者の木村を尋問との名目で二人を呼び出した。
 三井はいきなり
「これは倉橋の仕業じゃ。二人とも調査に協力せい。」
 木村は頭が真っ白になり、無言であった。
「調査に協力せい。二人とも今後のことは心配無用じゃ。御家も安泰じゃ。」
「はっ、側用人の倉橋様より指図を受けたと聞いております。」
 遠藤が勢いよく言った。木村もただ、ただ頭を下げ、うなずくだけであった。
 三井は家老衆の協議に報告し、倉橋は閉門との沙汰がされた。この言い渡しを三井が行った。
この時、三井は倉橋に言った。
「貴様、士分の出身というのは養子らしいな。どこぞの女郎の子供であったそうではないか?子供の頃から人に取り入るのは上手じゃな。ははははは。」
 倉橋は柔術の心得もあった。三井の首をねじ折り、刀を奪い、そのまま出奔した。藩は倉橋の居所を探し出し、刺客を出すことを決めた。家老衆の会合で藩の公設道場である至芸館の師範代を務める川島庄一郎を刺客とすることになった。川島は見届人の筆頭家老の沖田と護衛の馬廻組十人と倉橋が潜んでいる北山村近くの山の中にある小屋に向かった。
 小屋に着くと川島は倉橋に呼び掛けた。
「倉橋殿、上意により御命頂戴に参った。出て来ていただこう。」
 戸が音もなく開き、ゆっくりと倉橋が出てきた。
「随分いるな、儂を膾切りにするのか?」
「一対一だ。」
 川島は舐められている気がして、腹が立った。刀を抜くと、倉橋も抜いた。周りを護衛が囲った。川島は歩幅を狭く、しかし早く突進した、上段から斜めに刀を一閃させたが、倉橋は素早く右側に体をずらしかわした。そして逆に上段から肩から斜めに刀を振り落とした。川島の鎖帷子は断ち切られた。血が滴り落ちている。馬廻組が救助し、手当を行った。鎖帷子を巻いていなければ絶命であった。なんたる剣客。

 今日は異様に朝早く目が覚めた。少し体を動かして、入念に体を拭いた。着物はどうしようか?やはり動きやすい物にした方が良いだろう。足首に袴を巻きつけて、一応切り合いに瞬時に対応できるようにした。普通で良いと言われたら次の護衛の時からそうしよう。四半刻前に沖田様の屋敷につき、裏木戸から中に入って門の前で待っていた。しばらくすると初老の男性が足早にこちらに来た。
「おはようございます。私、馬廻組の大蔵作兵衛の嫡男の十兵衛と申します。よろしくお願いします。」
「聞いとる。早くいこう。」
 足早に歩きながら沖田は言った。
「知っとるか?今、城は大変なんじゃ。」
「はい、なにかあったのでしょうか?」
 沖田は立ち止り
「知らんのか?」
 十兵衛は最近、仲間はもとより親父やお袋はじめ、誰とも喋っていないことに気付いた。
「道場仲間とは会わんのか?」
「はい、なかなか顔を会わせづらくて。」
「あ~、そうじゃのお前くらいの頃はそういう時期かもしれんの。」
「城は最近えらい事件が起きたんじゃ、側用人の倉橋くらいはしっとるじゃろ。」
「はい。」
「奴が平家老の三井をバッサリやったんじゃ。」
 十兵衛は驚いた、だから親父の帰りも遅くなっていたのか。
「刺客はだしていないのですか?」
「それが、やられたんじゃ、死んではおらんが重傷じゃ、それで困っておるんじゃ。」
 十兵衛は今日の沖田から聞いた話を思い返していた。これは機会なんじゃないか?返り討ちにあった剣客の腕はもちろん知っていたが、正直言って勝つ自信があった。刺客は一対一なら武器はなんでもよいのだ。

 十兵衛は沖田の護衛で登城する際に沖田から色々な話を聞いた。例えばこんな話もあった。
「儂も子供の頃好きな娘が居ったのだが、その娘は当時の殿の側室になっての、当時儂も随分苦しんだものだ。好きな娘は居らんのか?」
「子供の頃好きだった娘は居りますが、もう嫁にいっております。実を言うと私もその当時、がっかりしました。頃合いを見計らって親父に見合いを頼もうと思っていたのです。一年くらいなんだか鬱々とした気分でしたが、新たに見合いをした娘が私の好みで、今では許嫁になっていまして、それからは気分よく毎日過ごしております。ただ、私も子供の頃の夢を見ると今でもその娘が出てきたりします。」
「そうか。儂も2年くらい悩んだ後に縁談があってな、良さそうな娘じゃったので結婚した。今ではこれで良かったと思っておるがの。」
 
 他の日には城の話があった。
「倉橋が如何にできる奴であったかが、今になってみると分かるの。どうも、あの塩の話も真相がどういうことだったのか?」
「横領のことですか?なにか疑義があると?」
「いやいや、なんでもない。それに言い渡しを行った三井を殺してしまったんじゃからな。倉橋を処分せぬわけにはいかん。ただ、倉橋がいなくなってから藩の運営であちこちで不備がでておるようでな~。」
「不備と申しますと?」
「う~ん、不備とまで言うと言い過ぎかもしれんが、なんというかの~。これまで藩政の実務を行ってきたのは倉橋、それまでは三井じゃった、この二人がいっぺんにいなくなったのだから、しょうがないと言えばそうなのかもしれんがな。」
 城中の話を聞き、上の人達も大変だなと思うのだが、倉橋に関しての話を注意深く聞いていた。藩は当然倉橋の動向は把握していたのだが、今だに次の刺客を決められなかった。

 作兵衛は十兵衛が筆頭家老の沖田に雇ってもらえたことを喜んでいた。十兵衛はどうも浮世離れしたところがあるので、沖田から色々な話をしてもらえれば少しは現実的になるだろうと思った。以前から家督を譲ってやりたい気持ちはあったのだが、どうも危ない気がして先延ばしにしていたのだ。見習いで城で下働きをさせようと思い、遠縁を頼ったのだが失敗してしまい、どうやって世の中を教えてようかと考えていたら、なにやら自分で働き口を探してきた。案外しっかりしているのかと思い始めていた。倉橋様が追い落とされてから城は昔の状態に戻ったが、倉橋様の刺客の問題にしても、城の運営にしても難題が多いようだし、城の中も緊張感が漂っていた。もうしばらくは自分が城に上がって落ち着いたら家督を譲ってやろうかと考えていた。

 沖田はまさか十兵衛が倉橋を襲おうと考えているとは思わず、詳しく話をしていた。実を言うと十兵衛の事が気に入り始めていたのだ。見習いということでどこかに押し込めないか考え始めていた。

 十兵衛は親父や沖田がそんなことを考えているとも知らず、倉橋の居所を必死に考えていた。人里離れた場所だろうとは思うのだが、藩の領内にはそういうところは沢山あるので、見当がつかなかった。そんなことを考えながら風呂に入っていた。四半刻入っていたが、もうしばらく耐えよう、この熱さに耐えてから冷たい茶を飲もう。もうちょっと、もうちょっと・・・、限界。素っ裸で茶を飲み、体を拭いて着物に着替えて煙管に葉っぱを詰め込み火をつけボンヤリしていた。博打がしたいなと思ったが、ここは我慢だ。少し街を歩こう。風呂屋をでて、街をブラブラ歩いていると道場仲間だった、井上勘十郎がブラブラしていた。無職仲間だ。
「よう。」
「十兵衛、風呂か?」
「貴様はなにやってるんだ?」
「散歩だ。」
「さぼりだろ?」
「ま~な。あんなに大量に傘作ることに疑問を感じてな。」
「分かる。」
「お前最近、沖田様に使って頂いているようだな。どんな手使ったんだ?」
「直接訪ねて頼んだんだ。」
「本当か?やってみるもんだな。なかなかその発想はないよな。なんか、城は大変なんだろう?」
「知らん。城の中には入ってないから。ただ、倉橋様への刺客の問題があるようだ。」
「お前やってみたら、ははは。」
「いや~、俺は力が強いだけだよ。師範代がやられたんだろ。」
「冗談だよ。俺達ももう少しで城に上がれるだろ。そんな危ないことやることないよ。のんびり傘作ってれば、そのうち家継いで結婚できるだろうしさ。」
「少し飲まないか?沖田様から少し貰ってるんだ。」
「いいな。」
 二人で街を少し歩いて、いつもいく飯屋に入った。焼き魚と酒を頼んだ。
「聞いたか?美枝殿の話。」
「なにかあったのか?」
「縁談だよ。熊谷殿との話がまとまったらしい?」
 道場主の娘で皆の憧れの娘であった美枝の結婚は勘十郎にとってかなり衝撃だったようだ。十兵衛もなんとなく気に入らなかった。熊谷はなにをやっても上手くいく。家督は継いでいないが、既に城に上がれていた。しかも城内でも切れ者との評判になっているらしい。
「本当についている奴だな。」
「ああ、それに比べて俺はなにをやってもついてないよ。この間見合いをしたんだが、断られた。」
「それは人間同士だからな。相性があるだろ。そのうち相性の良い相手と会えるよ。」
「でもな、これで三回目なんだ。断られるの。」
 勘十郎は口下手というより、喋りすぎるのだ。恐らく、それがなんとなく不信感を相手に感じさせるのだろう。そう思ったのだが、なんとなく言いづらく、少しの間、無言でいると、勘十郎が話題を変えた。
「そういえば、北山村の方の川の堤の作事は中止になっているようだが、どうするんだろうな?」
「あの山の麓のか、山の中の方もやっていたようだがどうなっているんだろうな?」
「そうか、知らんのか。この間あの近くにいったらお前の親父さんを見かけたんだ。馬廻の方だから、何用だろうと思ったんだよ。」
 なにをしていたんだろう?最近帰りが遅いが北山村に行ってるのかな?

 その後は道場仲間の話が主となった。勘十郎も城に上がってはいないが嫡男なのでその辺りは呑気に不満を漏らす程度だった。帰り道にふと頭に浮かんだ。馬廻組が北山村?そして思い当たったのだ。川の堤の工事をした際に建てられた小屋があったことが、倉橋様は当然監視されているはずだ。武芸に長けた馬廻組が監視している可能性は高い。もしかしたら、あの小屋に倉橋様は潜んでいるのではないか?

 翌日、北山村に行くことにした。二里程の道のりを煙管を吹かしながら、天気は良く、雲一つない。気持ちがいいなと思った。少し風があり、春だな~と思いながら、のんびり歩いた。着いてみると奥の方に山があり、斜めに大きな川が走っている。沿うように穏やかな田園風景が広がっている。百姓がポツンポツンといるくらいで侍の姿は見えない。山の方に行ってみることにした。山の麓に大きな川があり、山の雪解け水が入ってくる。山道を小さな水の流れの上流に向かってしばらく周りを見ながら歩いていると、武装した足軽が見えた。こんな山の中に武装した足軽がいるのはおかしい。体を低くして周りを歩いた。小屋が見えた。そして、やはり武装した足軽が五・六人小屋を見張っている。間違いなくあの小屋に倉橋はいる。そして、これは出世の機会だと思った。家を継いでも馬廻の五十石取り、この刺客に成功すれば加増もありえる。そして、藩内で一番と目されていた剣客を一刀両断した相手を俺が打ち取れば俺の名も藩内に広がるだろう。やろう。

 これは藩に無断で行う刺客だ。監視している足軽に見つからず、速やかに倉橋を襲う。どうやってやるか、夜中だ。家に帰り武具を整え始めた。かなりの使い手だ。体に鎖帷子巻いた。刀の他に大槌を持っていくことにした。これで力任せに倉橋を吹き飛ばしてもよいと思ったのだ。夜中、寝込みを襲う。

 夜の二つの時刻に出発した。大槌を肩に乗せて、足早に歩いた。月明りの下を興奮しきっていた。徐々に目が吊り上がり、口が裂け始めていた。何やら笑っているように見える。二里を一貫以上の重さの大槌を担いで半刻ちょっとで歩いてほとんど息が切れていない。興奮しすぎているのだろう、疲れも感じなかった。小屋は山の支流の近くにある。山に入り、ほとんど足音を出さずに歩いて行く。もう少しで、あの小屋だ。物音をできるだけ出さずに近づいた。戸はあるが、何か仕掛けはあるだろう。板を壊す。持ってきた大槌を両手で持ち、ゆっくり小屋に近づいた。振りかぶって板に大槌を叩きつけた。物凄い炸裂音とともに殺気を感じ、大槌を離し瞬時に後ろに飛んだ。倉橋が一閃していた。危なかった。興奮が静まり、目じりが徐々に下がり、水平になった。静けさの中、脂汗が出てきた。これが果し合いだ。集中し始め、心が落ち着いてきた。月明りの下で、よく見ると倉橋は食事をほとんどしていないからだろう、やせ細り目が見開かれているが、落ち着いているように見えた。自分の刀は通常のものよりかなり長い、俺は腕も長いから遠間からの一閃で勝負を決めるべきだ。
 倉橋が少しずつ向かって右側に動くが俺は常に正面になるように体の向きを変える。静かに長く時間が過ぎていく。間合いはかなりある、腰を低くして、柄の端を握った。一撃で決まる。こっちの間合いで仕掛ける。突進した、一歩、体をさらに低くして刀を抜きざま斜め下から振り上げた。「ボト」倉橋の手首が落ちた。
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