第8話 最愛の本

文字数 820文字

 祖母は大変な読書家だった。祖父が経営していた小さな会社の事務を手伝いながら暇を見つけては本を開いていた。わたしが幼い頃に祖父が亡くなり、会社経営を引き継いだ両親が忙しくしていたこともあって、兄やわたしは家では祖母と一緒に過ごすことが多かった。ただし、自然と祖母の蔵書に親しみ、大学の文学部を出て新聞記者にまでなった兄と違って、漫画ばかり読んでいたわたしは祖母の蔵書とは縁遠かったが……。
 昨秋に天寿を全うした祖母の部屋には、現在も大きな本棚が一つが置いてあって、蔵書がずらりと並んでいる。ゴールデンウイーク最終日、わたしは久しぶりに祖母の部屋に入り、本棚の前に立った。数多の中から一冊の本を抜き出す。わたしがまだ小学生だった頃、祖母が「これが私の最愛の本」と教えてくれた本で、先刻そのことをふと思い出したのだ。
 大人になって、世の中には稀覯本という高価な本が存在することを知った。しかし、いま手にしている本は、それには該当しそうにない。古いものには違いないが明治・大正時代に遡るものではなく、初版本でもない。表と裏の数ページを確認してみたが、著者のサインがあるわけでもない。それに、何よりも本の種類が、小説本などではなく国語辞典だ。国語辞典の稀覯本ってありそうにない。
 本棚には、これは稀覯本ではと思われる本が幾冊かあるのに、何故、祖母はこの本をそれほど大切にしていたのだろう……。
 不思議に思いながら、パラパラと最初からページをめくっていくと、栞が一枚挟んであった。
 栞には、一見して素人が手描きしたと分かる赤いチューリップの絵。裏返してみると、下部に毛筆で記された祖父の名。栞が挟んであったページには、「花曇り」や「花車」などに続いて「花言葉」についての説明が載っている。
 花言葉?――ピンと来て、スマートフォンで検索してみる。
 赤いチューリップの花言葉は、「愛の告白」「真実の愛」。
 祖父からの祖母へのプロポーズ……。
 なるほどね!
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