父さん、母さん、さようなら

文字数 2,121文字

「父さん、母さん、さようなら」
 仏壇の前で僕は呟いた。
  
 
      二日前
 外でカラスが鳴いている声が聞こえた。
 朝だ。
 僕の寝室は家の二階にあるので、階段を降りて家族のいるリビングルームに向かった。
 「母さん、おはよう」
 「おはよう、蓮」
 蓮というのは、僕の名前だ。 
 「今日は小学校は休みだし、母さんも父さんも仕事がないから、どこかに出かけよう」
 「それはいいわね。どこにいきたい?」
 などといつものたわいない会話を展開していた。と同時に父さんも階段を降りてきて、会話に参加してきた。
 「どこかに出かけるのか。それなら最近A市に新しい水族館ができたらしい。少し遠いが今日は特に用もないし、行ってみないか?」
 「いいね。それにしよう」
 こうして僕らの休日のスケジュールが決定した。そして各々が支度を開始した。
 母さんは、洗面台の前で髪の毛を整え、父さんは、飲み物や必要な物を準備した。
 そして僕は自分が着る服を選んでいた。
 それにしても暑い。今日はTシャツと短パンでいいか。などと考えていたときだった。
 ガタガタガタガタ・・・
 地面が揺れた。地震だ。
 「母さん、この地震すごい揺れてない?」
 母さんに聞いても、
 「大丈夫よ、すぐに終わるから」
 と冷静にかえされた。
 しかし、僕は冷静さを保つことができなかった。 揺れが収まらないのだ。
 古い作りの僕の家はミシミシと音を立て始めた。 家が壊れてしまうのではないか。
 家の外に出た方がよいのではないか。そう思ったが、その直後に揺れが収まった。
 なんだ、大したことはなかった。
 そう思ってまた着替えを開始する。涼しそうな服はどの服かな、などと考えながら服を選ぶ。

 これにしよう、そう決めたとき。

 目の前でぶら下がっていたハンガーが、地面に落ちた。と同時に家全体が大きく揺れ始めた。また地震だ。
 今回は前回の地震よりも遙かに揺れが強い。まずい、家の外に出た方が良さそうだ。
 すぐに玄関に向かう。しかしその時。
 ミシ、ガガガガ ザァーーーーー とてつもない音とともに天井が落ちてきた。
 「嘘、死ぬ」
 しかし呟いている暇もなく僕は瓦礫に押しつぶされた。

 
       一日前
 目が覚めた。まだ意識がある。
 僕は知らない部屋でベッドに寝かされていた。動こうとしたが、身体の所々に激痛が走る。
 周りに人はいない。
 どこだ、ここは。おそらく病院か、いやあれほど大きな地震が起こったらほかにもたくさん患者がいてもおかしくないはずだ。
 状況がさっぱりわからない。いや、テレビを見るか、ラジオを聞けば状況がわかるだろう。そう思ったがそのような物も見当たらない。
 窓からオレンジ色の光が差し込む。今は夕方なのだろうか。
 まず、身動きがとれない僕は何もすることができない。
 今はずっとこの部屋の中で寝ているしかないのであった。
 

 夢を見た。
 僕の家族(僕と母さんと父さん)は花が散って間もないと思われる桜の木の下にいた。地面に少し茶色くなった花びらが散らばっている。
 目の前には川がある。その川を渡るための橋が右と左に二つあった。僕は右の橋を渡る。僕の両親は左の橋を渡った。もう、僕と両親は二度と会うことができない。とっさにそう感じた。
 僕と両親は互いの橋を歩き続ける。なぜか元の木の下には戻れない。
 遠くの橋から僕の両親が僕に笑顔で手を振ってきた。しかし僕はうまく笑顔を作れなかった。小さく手を振り替えしたが二つの橋はどんどん遠くなっていき、互いの姿は見えなくなった。
 ふと立ち止まると、足下に花が咲いていた。ピンクの花だ。
 

 僕は死ぬことが怖かった。この世から姿を消してしまうことが怖かった。
 そんな僕に両親はいつも言った。
 「大丈夫よ。死んでしまっても良いことをしていれば、天国に行けるの」
 僕はその話を信じていなかったが、それは人間が作り上げた理想なんだな、とも同時に思っていた。
 怖がりな僕は幽霊の話なども苦手だった。
 それに関して僕の両親は
 「お化けはね、世の中にやり残したことがあるから死にきれないんだよ。だから、私たちの見えないところでこの世に残ってしまったんだ。それに比べれば天国で幸せに暮らした方が幸せでしょう?」
と答えた。
 

       現在
 父さん、母さんどこに行ったの?
 まさか・・・、幽霊になっていたりはしないよね。そんなことを考えた。僕が最後に両親に会ったのは夢の中が最後だ。
 僕は仏壇の前で泣いた。
 しかしその時、父さんと母さんの姿が見えた。僕はとても喜んだ。
 と思ったが、両親の姿はすぐに見えなくなってしまった。しばらくすると、すすり泣く声が聞こえた。そして、混乱した僕はふと仏壇の写真が目に留まった。
 
 そこに写っていたのは、僕だった。
 僕は、幽霊になったのか?
 僕は・・・死んだのか?
「お化けはね、世の中にやり残したことがあるから死にきれないんだよ」その言葉が僕の胸に突き刺さる。
 僕は何をやり残したんだ?
 そうか、僕は両親に最後まで何も感謝を言うことがなかった。

 「ありがとう」
 僕は呟いた。ありきたりか。


 「父さん、母さん、さようなら」
 仏壇の前で僕は呟いた。
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