suspense3

文字数 8,472文字

 翌朝、新井は自宅待機をしている清水廉太郎という生徒に聞き込み調査をしていた。あの日、体調不良で休んでいた清水だったが、ニュースを見てからさらに頭痛が悪化してしまったという。母親に言われた通り、ここ数日は家から一歩も出ていない。
「クラスで生き残ったのは君を入れて4人だけなんだ。答えられる範囲でいいから、なんでも知ってることを教えてほしい」
「…僕は関わりがなかったから知りませんよ。でも、よくないことをしてたっていうのは合ってます。具体的には…見てないし知らないけど」
 清水は布団から顔を出し、おでこに置いた濡れタオルに触れた。発熱しているのか、顔が火照っている。
「そういう話を聞いただけ?」
「ええ、まあ」
「加藤美里さんは同じクラスだよね? 話したことはある?」
「あります。僕がいうのもなんですど、大人しい子ですよね。あのとき学校にいたなんて…」
「じゃあ、今宮京子さんは?」
「京子も助かったんですか? まあ、そりゃそうか…」
「学校にしばらく来てなかったらしいね」
「そうですよ。あんなに勉強できて友達もいたのに、みんな不思議がってました。プツッと音信不通になったみたいで、誰とも会ってなくて……“闇堕ち系清楚”とか呼ばれてました」
「ふむふむ…」
 新井は彼の証言を事細かにメモした。手のひらサイズのメモ帳は走り書きのペン字で埋め尽くされ、その度ページを捲り続ける。
「三宅彩さんはどんな人だった?」新井はペンの手を止め、再び顔を上げた。
「あいつも休んでたんですか」
「そうだよ。今、刑事が話を聞きに行ってる。話したことは?」
「あるというか、あいつ…嫌なやつです。僕、いじめられてましたから」


「あんなデブ、私が知るわけないでしょ」
 三宅は無表情でそう答えたあと、そっけなく足を組んだ。佐野は原田刑事と目を合わせ、この反抗的な少女に次はどんな質問を繰り出すべきか考えた。
 三宅はいつも家を留守にしており、襲撃事件の日はズル休みをしていたと話す。警察の聞き込み調査を嫌がっていたが、佐野は半ば無理やり家に押しかけ、彼女の両親に娘を連れ戻すよう頼んだ。そして今は三宅の要望で、自宅近くのファミリーレストランで聞き込みをしていた。
「清水くんは君の隣の席だったんだろ? よく知ってるはずなんじゃ?」佐野はメモをテーブルに置き、三宅に向き直った。
「あいつ私の体操服持って帰ろうとしたんだよ。私の手元ずっとチラチラ見てくるしさぁ、気持ち悪いよね。なんであんなのと隣だったんだろ。刑事さんも大変だね〜。私だったら、あんなヤツの家に言って聞き込みするなんで無理だね。美里にしてもそうだけどね」
 三宅は両腕を頭の後ろに回して、組んだ足を上下に揺らした。ここ30分、ずっとこういった調子だった。質問をしてもまともに答えが返ってくるはずもなく、ただクラスメートや教員に対する悪口を聞かされていた。
「毛嫌いする理由でもあるのか」
「だってあの子がいると周りが暗くなるし、一緒の班だったときも無口すぎてウザかった。ああいう子って何考えてるのか分かんないよね」
「じゃあ、君は殺されたクラスメート達とよくつるんでたわけか? それならあの生徒達がマフィアと繋がってたことも知ってるんだろ?」
 佐野はボールペンで三宅を指した。三宅は不貞腐れたような表情を浮かべ、目の下に皺をつくった。
「日本にマフィアなんかあるの? そんな話知らない」

 
「すみませーん!! 誰かいませんか」
 野島は、とある古びたアパートの一室をノックしていた。『今宮』と書かれた表札は色褪せ、プリントされた文字が薄れている。郵便受けにはピザのチラシや新聞が溜まっており、今にも崩れ出しそうだ。野島はノックを続ける。
「今宮京子さんの自宅でお間違いないですよねェ??」
 数秒待っても返答はなく、野島は舌打ちをしたあとため息をつき、ドアを軽く蹴った。
「いねぇのかよ」
 スーツのズボンから携帯を取り出し、捜査課へと電話をかける。コール音が4回鳴り、上司の永田部長が出た。
『おお。どうだった? なにか聞き出せたか?』
「それが家には誰もいないんですよ。新聞は溜まってるし窓だって割れてます。ここ本当に人住んでるんすか?」
『そこで間違いだろ』
「まるで空き家です。両親の居場所も分からないんですか? というか、この子の現在地を知ってる人とか」
『とりあえず戻ってこいよ。調べておくから』
「へい」
 野島は電話を切ってポケットにしまったあと、アパートの階段を降りて車まで戻った。エンジンを掛け、カーラジオをつける。すると、速報が耳に飛び込んできた。
『埼玉県さいたま市の山奥で遺体が発見されました。遺体は3ヶ月前から行方不明になっていた少年と見られ、15日に起きた銃撃事件との関連性が疑われています』
 野島はラジオのボリュームを上げ、繰り返される事件の報道を聞き入った。
「これは事件だな」


 美里はソファーの上でハッと目を覚ます。あたりを見渡し、ここが自分の家でないことに気がついた。早乙女と一緒にこのソファーでテレビを見ていたところまでは覚えていたが、気がつくと次の日の朝になっていた。
「おはよう」
 台所からパジャマ姿の早乙女が現れた。自分にかけられていた布団を払いのけ、美里は目を擦った。
「ごめん。私、こんなに寝ちゃってた」
「いいよ。起こそうと思ったけど、なんか悪いかなと思って」
「もう帰らないと」
 美里は立ち上がり、急いで玄関まで向かった。靴を履きながら美里は「ありがとうね」と礼を言い、扉を開けて家を出ていった。

 美里は住宅地を抜け、駅前のロータリーを超えた。中央分離帯の真ん中に聳え立つ時計台は9時を指していた。近道をするため路地に入り、そこから古い家屋の陳列する街に入った。ここから家までは電車一駅分ほどの距離があったが、美里は歩くことにした。
 ふと、古びたアパートの前を通りかかる。数年前来たことがある場所だと気がつき、美里は立ち止まって思い出そうとした。
 すると、2階から乱暴にドアをノックする音が聞こえた。美里は顔を上げる。「今宮京子さんの自宅でお違いないですよねェ??」
 見上げると、スーツ姿の若い男が玄関の前に立って、部屋の中に呼びかけている。一瞬、借金の取り立てか何かに思えたが、瞬時に警察の関係者だと悟った。
 それを聞いた瞬間、美里は全てを思い出した。高校1年の頃、一度だけ訪れたことがある京子の自宅だった。2年前のとある時期だけ京子と妙に仲が良くなっていた美里は、『お茶をしたい』と誘われ、学校帰りに京子が招いてくれたことを覚えていた。
 美里はすぐ近くに停車している車のフロントガラスに警視庁のマークを見つけた。やはり彼は警察官で、銃撃から生き残った京子を訪ねてきたのだろう。状況をすぐに把握した美里だったが、なんとなくここにいてはいけない気がした。


「原田刑事、聞きました?」
 佐野はハンドルを切りながら、助手席に座る原田にチラッと目を向けた。カーラジオからはノイズ混じりで遺体発掘の報道が繰り返される。原田は窓枠に手をかけ、流れていく景色を眺めたまま相槌を打った。
「えらいことだなぁ」
「マスコミがまた騒ぎますよ。どう考えたってあの事件と結びつけるに決まってますからね」
「都外の高校で行方不明者が出てたとはね。そんなことまで調べてなかった」
「僕もさっき確認したんですけど、東沢高校っていうと、埼玉の中でも都会にある学校ですよね。行方不明というより家出捜索されてたみたいですよ、彼は」
「名前はなんといったかな」
「奥平翔くんですね。匿名で通報があって、学校から離れた山奥で発見されたとか。埼玉県警の刑事が教えてくれました」
 佐野は聞き込み調査を終えたあとラジオで速報を耳にしてから、即座に埼玉県警の部署に問い合わせていた。まだテレビでは詳細な情報が出ていたかったのだ。
「彼はあのクラスの人間と関わりがあったか否か…。なにか殺されるようなことがあったのか、あるいは全くの無関係か」
「そうですね、どうなんでしょう。でも、あんなに離れた学校と学校が…そんなこと…」


「はぁ…はぁ」
 狭い部屋のベッドで短い性交を終えた陽菜は、汗まみれの疲れ切った体で義夫の隣に倒れ込んだ。彼に跨って体を動かし続ける間は感じていなかった後悔が、今になって胸に溢れ出した。カーテンから漏れ出した光が一本の筋になり、窓枠からベッドの上まで伸びている。
 息を整えながら義夫に訊ねる。
「出したの?」
「…うん」
「もう…さっき言ったでしょ」
 陽菜はベッドから起き上がり、裸のまま部屋の隅にあるタンスへと向かった。一番上のタンスを開け、ビンの中から錠剤を取り出して飲んだ。乾いた錠剤が喉に詰まりそうになるが、なんとかして唾で胃へと流し込んだ。
 その様子を見ていた義夫が、陽菜の背中に向かって言った。
「なんでいつもここでやるの?」
「え?」
 陽菜は振り返り、彼を睨みつけるようにした。義夫は数秒間を置いたあと、「いや、その」と続ける。
「もっと広い部屋を持ってるだろ? ベッドだってもっと大きいのがあるだろうし」
「ほっといて。ここは私が2歳のときから暮らしてる部屋なの。私が生まれる前に両親が使ってた部屋で、あんたが今座ってるベッドは母さんが私を産んだベッド。そこでセックスもしてた」
 陽菜はベッドを指差す。
「へぇ…本当か」
 義夫は自分が座っている小さなツインベッドをもう一度よく眺めた。それを聞いてどこかオロオロとした様子の義夫が、陽菜には滑稽だった。
「ここには色んな思い出が詰まってるの。そう簡単に出ていくわけない。組長に勧められてもね」
「そうかい」
「あんたを呼んだのはこんな話するためじゃない。用が終わったんならさっさと帰って」
「相変わらず冷たいな」
 脱ぎ散らかした服を集め、全て着終わったあと、陽菜は部屋を出てエレベーターの前まで行った。
 2階のボタンを押して到着を待っているとき、「ここにいた!」と廊下の奥から声が聞こえた。振り向くと、陽菜の友人である舞子が駆け寄ってきていた。
「どこ行くの?」舞子は息を切らして立ち止まる。
「組長に会いに」
「どうかした?」
「うん。まあちょっと」
「私は若頭の小介に呼ばれたのよね。背中に彫る模様の確認だって」
「イレズミ?」
「そう。ヤクザって感じでしょ? 陽菜はまだ入れないの?」
「もうちょっと考えるよ。あいつも入れないって言ってたし」
 エレベーターが止まり、扉がゆっくりと開く。陽菜に続いて舞子も乗り込んだ。陽菜が2階のボタンを押すと、舞子は4階のボタンを押した。扉が閉まり、小さな部屋が静かに降下し始める。
「義夫のこと?」
「うん」
「もしかして今日もヤッてたの? 昼から?」
「まあね。呼んだらいつでも来るし」
「好きなの? もしかして」
「…別に」
「本当?」
「好きになる理由なんかない。セックスが上手いのと、多少の話し相手になってくれるだけ」
「本当かなぁ」
「当然でしょ」
 エレベーターは4階で停まり、扉が開いた。舞子は扉から出ると、振り返って目を合わせた。
「組長は例のことで気が立ってるから気をつけてね」
 そう言い残し、舞子は廊下の向こうへと足早に歩いていった。陽菜は扉が閉まり切るまで、その後ろ姿をしばらく眺めた。

「入るよ」
 オフィスのガラス製の扉を開けると、ちょうど組長と団員の1人が話し合いをしている最中だった。組長は陽菜に気づくと、「おお! おはよう」と顔をあげ、手を振った。
「何してるの?」
「ちょうどよく伝えたいことがあったんだ! 来てくれ」
 組長はデスクの向かいに置いた回転椅子を指す。坊主頭の団員は「じゃあ、あっしはこれで」とデスクを離れた。「ああ、ご苦労さん」
 オフィスを出て行く団員にチラッと目をやったあと、椅子に腰掛ける陽菜。相変わらず机の端にはガラスの重たい灰皿と龍神が描かれた扇子が置かれている。
「襲撃事件の話を?」
 組長は足を組み、煙草に火を付ける。陽菜は「知ってるよ」と答える。「学校であったやつでしょ?」
「クラスの生徒がほとんど射殺された。ここ最近で一番の凶悪事件だって騒がれてる」
「私らには関係ないでしょ」
「それがだ。どうやらマフィアの仕業らしいんだ。殺された生徒となんらかのトラブルがあったんじゃないか…っていう話だ。裏で繋がってたんだ」
「だろうね」
「マフィア自体の存在が今まで都市伝説みたいなもんだったからな。公にあんなことをするなんて考えにくい。何かの見せしめか、あるいは警察にアピールしたがっているのかも。どっちにしても、ひとつ不可解なことがあってな」
「なに?」
「公表されてないらしいが、あの事件の前後で行方不明者が相次いでる。それも裏社会の関係者が圧倒的に多いらしいな。うちの組も銃の密輸ルートに関わってたから、事情聴取を受けるかもしれんぞ。警察から」
 組長はタバコの吸い殻を灰皿に落とし、鼻から煙を吐き出した。陽菜はデスクに置かれた新聞を手に取ってみた。一面に学校襲撃事件のニュースが掲載されている。真っ赤な『襲撃』の文字が一際目立っていた。
「陽菜も出かける際は注意してくれ。今ならなにが起こってもおかしくないからな」
「じゃあ、妹はすぐに連れ戻す」
「妹? 千花がどうかしたのか?」
「もう4日も戻ってないんだよ。どう考えてもおかしい。家でなんかする子じゃなかったでしょ」
「このビルでの暮らしに飽き飽きしたんじゃないか? 君ら姉妹を最上階に住まわせる話もしてたんだけどな」
「おかしいよ、どう考えても。ケータイも繋がらないし、何かあったのかも」
 陽菜は折り畳んだ新聞を机の上に投げ、椅子から立ち上がった。机に手をつき、身を乗り出す。
「銃とナイフを貸して。あと、妹がよく行ってた店の名簿もちょうだい。探しに行くから」
「本気かよ」
「本気よ。何かあったらどうするの? 傍目から見たらヤクザの娘だって分からないんだよ。まだ13歳だし、あの子は私がいないとダメなの。組長。分かるよね?」
「やれやれ……分かったよ。止めても無駄だって知ってるからな」
 組長は小さくため息をつくが、いつものように陽菜を止めようとはしなかった。引き出しから取り出した武器庫の鍵を差し出し、タバコを咥え直した。陽菜は鍵を受け取ると、「ありがとう」と言い残し、スタスタと出入り口まで歩いていった。
 陽菜がドアノブに手をかけたと同時に、組長が呼びかける。
「もうあんまり人は殺すなよ。毎回、お前が殺したやつの処理で大変なんだ。怒ると手がつけられないからな」
「分かってる」


「マフィア関係者の目撃情報は街で10件寄せられています。大岩小学校前の道路を黒い車が3台通行する映像がカメラに写っていました。ナンバーは分からないんですが…」
 新井はホワイトボードに貼られたA4サイズに印刷された写真を指し、説明する。
 佐野は顎に手を当てたまま、しばらく写真を仰々しく眺めていた。こうしている間にも人命が危険にさらされているのではないかと、次第に不安が募る。
 原田は机に置かれた一畳ほどの大きさのある地図をマークしていった。周りでは何人もの捜査チームがああでもないこうでもないと議論を交わしている。
「白昼の時刻にこんなことをやるなんて、なにかしらの見せしめにも思えますね。我々に警告してるのかも」佐野は言った。
 原田の隣で首を捻っていた捜査課長の宮島は、その言葉に「そうかもしれんな」と反応を示す。
「マフィア自体が謎に包まれた組織だ。日本じゃメディアで扱うことすらタブー視されてるくらいだからな。あのワッペンのマークだって、一時期ネットで出回って話題になってただけで、本物かどうかの確証なんてないだろ」
 謎に包まれた組織であるマフィアの存在を突き止めることが、警察の最初の役目だった。噂や都市伝説で近頃話題に上がることが多かったマフィアだが、誰一人として実態を知る者はいなかった。人を誘拐して外国に売り飛ばしているだとか、臓器を高音で取引しているなどの話が有名だった。
「生徒に聞き込み調査をしているんですが、全員がマフィアなんて知らないの一点張りですね。証言に上がった麻薬密売の話についてもです」
「襲撃されたクラスの子が言ってたやつか。生徒が裏組織で働いているんじゃないかっていう…」
「それです。あと、あのクラスの人間とは関わりがなかったって殆どの生徒が言っています。だからマフィアに殺されるようなことをしてたかどうかも分からない、と」
 佐野は説明しながら、自分の声が次第に遠くなっていく感覚を覚えた。心のうちにしまい込んでいる恐怖心が、濁流のように表に溢れ出しそうだった。血に染まった教室の床や無惨な死体の写真がフラッシュバックしては、胸の鼓動が早まる。
「そんなの言ってるだけですよ」オフィス机に腰掛けていた野島が口を挟んだ。佐野と、その場にいた数人が一斉に彼に目線を向ける。野島は咥えていたタバコを、銀の汚れた灰皿に押し付ける。
「一つのクラスだけが孤立してるなんて、普通に考えてあり得ないでしょ。自分たちも殺されたら嫌だから、一切なにも知らないっていうことにしたんです。仮にマフィアとあの学校の生徒が繋がってたとしても、それを白状したら色んな意味で不利益ですからね。殺されるかもしれないんですから」
「あのクラスだけ見殺しにされたと?」
 宮島は質問を投げかける。野島は一瞬だけ目を見開き、宮島と目を合わせると、すぐに手元に視線を戻した。
「そう思っちゃいますね。まぁそもそも、マフィアなんてものが日本にあるとは思えないんですけど」
 野島は新たにタバコを箱から取り出し、口に咥えた。宮島は彼の表情を少し窺ったあと、ホワイトボードの最上部に貼られた少年の写真に目をやった。
「じゃあ、埋められていた彼についてはどう考えるんだ? 埼玉県で見つかった少年だ」
「関連性があると考えるのが普通ですけどね。少なくともマスコミは適当なストーリーで紐付けすると思いますよ。でも死体の状態から考えるに、あれは2ヶ月前以上前に埋められたんじゃないかって話じゃないですか」
 佐野は頬に指を当て、小さく頷く。「鑑識がそう言ってたな」「でしょう」
 野島は机から降り、おもむろに窓際に置かれた観葉植物へ近づいた。光に透けた濃い緑色の葉をしばらく眺めたあと、原田と佐野の顔を交互に見た。
「つまり…俺にはさっぱりです」
 その目の奥に、佐野は内側から発せられる狂気を感じた。目を合わせたときに初めて気がつく、サメのように無機質な灰色の瞳。今日は、より一層、サイコパスに似た異様な空気を感じ取った。


 歩道の脇にあるテラス席に腰掛け、美里は母からのメールを眺め続けていた。時刻は昼前になり、心配を募らせた母がなん度も連絡をよこしている。
『どこにいるの?』
『帰っておいで』
『心配させないで』
 母の不安が文字となっているのだろう。そんなメッセージが何層にも積み上がっている。このまま黙って家に帰るわけにもいかなかった。こんな状況下で、母に『男の子の家に泊まっていた』などと言えるわけがなかった。
 結局、返信せずにメニュー画面に戻って携帯の画面を閉じた。中学2年のときに買い与えられたピンクの携帯を、かれこれ5年は使っている。最近巷で流行っているiPhoneという最新型の携帯電話は、確か去年の暮れに父親からプレゼントされるはずだった。約束していたのに、なぜ運動靴に変わったのだろう。携帯を閉じ、ポケットにしまうまでの数秒間でそんなことを考える。
 
 ふと、交差点を曲がって来た黒い旧式のセダンに目がいった。目の前を通り過ぎる瞬間、フロントガラス越しに、あのと佐野に見せられたマフィアのマークが見えた。
 ハッと驚いた。目の前を通り過ぎる僅かな時間で、美里は確証した。そのマークが教室の隅に落ちていたワッペンのデザインと一致することを。
 次の瞬間にはもう、目に入ったタクシーを止めていた。「すいません…!」黄色いタクシーは美里のそばで停車し、後部ドアが開けられる。
「あの黒い車を追ってください!」

 自分でもなぜこんな行動を取ったのか分からない。だが、美里は強い意志に突き動かされ、誰も知らない秘密を知ろうとした。
 タクシーはセダンを追って国道まで走り、郊外を抜けて、見知らぬ町までやってきた。人気のない車道を走り抜ける。
 セダンは小さい交差点を右折し、高架の下に入っていった。タクシーも後を追うように交差点を曲がり、高架を抜けて一方通行の道に入っていった。
 ふと、セダンを見失った。運転手は「あれ?」とあたりを見渡すが、車の影はない。
 気づかれた、と美里は悟った。
「すみません! 逃げてください! 気づかれました!!」
「ええ!?」
 美里の声に反応し、アクセルを力いっぱい踏み込む運転手。だが、加速した瞬間にタクシーの前輪が撃ち抜かれた。バランスを崩したタクシーはガードレールを突き破り、急坂を激しく横転した。










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