第1話
文字数 1,978文字
東京生まれ東京育ちの俺が初めて関西人に会ったのは小学四年生のときだった。
「はじめまして。大阪から来ました、中村寛太 です。よろしくおねがいします」
がちがちに緊張した彼が口を開いた瞬間、耳に違和感を覚えた。聞いたことのない「はじめまして」のイントネーションだった。隣の席の女子が「関西弁だ」と珍しそうに子声で話しかけてきて、これが生の関西弁かと少し感動したことを覚えている。
寛太は一限目の授業が終わった瞬間クラスメイト達に囲まれた。
「ねえ、なんでやねんって言ってみてよ!」
「え、えっと……なんでやねん?」
「わあ……! お笑い芸人の言い方と同じ!」
クラスメイト達は未知の言語に触れたかのように騒ぎ、次々と「もっと喋ってよ!」「あ、今話し方違った!」などと盛り上がる。その中心にいる寛太はクラスメイト達と喋 りながらもどこか居心地が悪そうに見えた。
一か月後、俺は寛太のある変化に気が付いた。
放課後に学校に残っていたクラスメイトたちとサッカーをしていたときのことだ。普段は「あかーん」とか「なんでやねーん」と関西弁を連発する寛太が大人しい。不思議に思って遊びながらも寛太を観察してみると、時々口を開いて何か言おうとしては噤 んでいた。
俺は帰り道で寛太に何で今日は静かだったのか聞いてみることにした。
「もうこっちに来て一か月だし、そろそろ標準語に慣れないとなと思って」
寛太が言うには、自分だけ関西弁だと学校で浮くから居心地が悪いとのことだった。
「俺は関西弁のままでいいと思うけど。転校してきて一か月経 ったんだしみんな関西弁には慣れてきたよ。別に寛太は浮いてないよ」
そう俺がフォローするが寛太の表情は浮かない。
「いやでも、標準語を喋んないとなんか……みんなとの間に壁を感じるんだ。自分だけ仲間外れみたいな。俺はもっとみんなと仲良くなりたい。近づきたい」
寛太は前を歩くクラスメイト達に目を向ける。彼らは流暢 に標準語を話す。耳に引っかかるイントネーションなんてない。一方の寛太は今みたいに標準語を喋っていてもイントネーションがところどころ違っている。きっと寛太は気づいていない。
「ねえ、寛太。もしかして今って標準語を喋ろうとしてた?」
「そうだけど……もしかしてどっか違った?」
「うん」
寛太は「あちゃー」と顔をゆがませて肩を落とす。
「……どこか教えてくれへんか。直したいんや」
気が抜けたのか関西弁に戻っている。
「うーん……直すって言ってもなー」
わざわざ今直さなくてもいいと思う。寛太は東京に引っ越してきてから一か月しか経っていないのだ。きっと、もう数か月経てば徐々に標準語に耳が慣れていって、俺と同じような標準語を話せるようになっていくのだろう。
今の寛太は焦りすぎている。
俺は関西弁のままの寛太でも変じゃないと伝える方法を暫 く考え、一つの案を思い付いた。テレビで見かけるお笑い芸人を思い浮かべながら口を開く。
「……そういえば明日は雨なんやて。知っとったか?」
何を言えばいいかわからなくてとりあえず天気の話題を出す。横目で見る寛太は顔をしかめていた。
「なんやそのエセ関西弁。変だからやめとき」
予想通りの反応だ。
「俺には似合ってない?」
「似合ってない。合わんことはやめとき」
「じゃあ逆に聞くけど、寛太にとって標準語を喋ることはどうなの? 合う? 合わない?」
少しの反応も逃さないようじっと見つめると寛太は唇を噛 んだ。俺は発言を促すように首を傾げる。
「……合わへん。でも――」
「今の寛太は焦りすぎていると思う。十年も関西弁を聞いて育ったのに、たったの数か月で標準語を喋れるようになるわけないじゃん。気をつけていてもイントネーションに出るよ、さっきみたいに」
そう言っても寛太は迷いのある顔を見せる。
「本当に標準語を喋りたいならゆっくり習得していけばいいじゃん。さっきのサッカーのときさ、言いたい言葉を言えないのは辛くなかった? 言いたいことを言わないとみんなと仲良くなるのに時間かかると思うよ」
「見てたんか」
寛太は小さく笑って押し黙る。どうするべきか色々考えているのだろう。
俺たちが別々になる分かれ道が見えてきたタイミングで寛太が勢いよくこちらを向いた。すっきりとした顔をしている。
「俺、関西弁に戻すわ。みんなと、はよう仲良くなりたいから」
その後、寛太は常に関西弁で喋るようになった。でも、たまに標準語を聞かせてもらうと徐々に上手くなっていた。中学を卒業する頃には九割方完璧な標準語を話せるようになり「標準語と関西弁の二刀流や!」なんて冗談を言っていたのを覚えている。
社会人となった今、俺はたまに仕事関係で関西出身の人と話す。多くの人が標準語で会話しようとこちらに寄り添ってくれる。その温かい心を感じたとき、俺はいつも寛太を思い出す。
「はじめまして。大阪から来ました、中村
がちがちに緊張した彼が口を開いた瞬間、耳に違和感を覚えた。聞いたことのない「はじめまして」のイントネーションだった。隣の席の女子が「関西弁だ」と珍しそうに子声で話しかけてきて、これが生の関西弁かと少し感動したことを覚えている。
寛太は一限目の授業が終わった瞬間クラスメイト達に囲まれた。
「ねえ、なんでやねんって言ってみてよ!」
「え、えっと……なんでやねん?」
「わあ……! お笑い芸人の言い方と同じ!」
クラスメイト達は未知の言語に触れたかのように騒ぎ、次々と「もっと喋ってよ!」「あ、今話し方違った!」などと盛り上がる。その中心にいる寛太はクラスメイト達と
一か月後、俺は寛太のある変化に気が付いた。
放課後に学校に残っていたクラスメイトたちとサッカーをしていたときのことだ。普段は「あかーん」とか「なんでやねーん」と関西弁を連発する寛太が大人しい。不思議に思って遊びながらも寛太を観察してみると、時々口を開いて何か言おうとしては
俺は帰り道で寛太に何で今日は静かだったのか聞いてみることにした。
「もうこっちに来て一か月だし、そろそろ標準語に慣れないとなと思って」
寛太が言うには、自分だけ関西弁だと学校で浮くから居心地が悪いとのことだった。
「俺は関西弁のままでいいと思うけど。転校してきて一か月
そう俺がフォローするが寛太の表情は浮かない。
「いやでも、標準語を喋んないとなんか……みんなとの間に壁を感じるんだ。自分だけ仲間外れみたいな。俺はもっとみんなと仲良くなりたい。近づきたい」
寛太は前を歩くクラスメイト達に目を向ける。彼らは
「ねえ、寛太。もしかして今って標準語を喋ろうとしてた?」
「そうだけど……もしかしてどっか違った?」
「うん」
寛太は「あちゃー」と顔をゆがませて肩を落とす。
「……どこか教えてくれへんか。直したいんや」
気が抜けたのか関西弁に戻っている。
「うーん……直すって言ってもなー」
わざわざ今直さなくてもいいと思う。寛太は東京に引っ越してきてから一か月しか経っていないのだ。きっと、もう数か月経てば徐々に標準語に耳が慣れていって、俺と同じような標準語を話せるようになっていくのだろう。
今の寛太は焦りすぎている。
俺は関西弁のままの寛太でも変じゃないと伝える方法を
「……そういえば明日は雨なんやて。知っとったか?」
何を言えばいいかわからなくてとりあえず天気の話題を出す。横目で見る寛太は顔をしかめていた。
「なんやそのエセ関西弁。変だからやめとき」
予想通りの反応だ。
「俺には似合ってない?」
「似合ってない。合わんことはやめとき」
「じゃあ逆に聞くけど、寛太にとって標準語を喋ることはどうなの? 合う? 合わない?」
少しの反応も逃さないようじっと見つめると寛太は唇を
「……合わへん。でも――」
「今の寛太は焦りすぎていると思う。十年も関西弁を聞いて育ったのに、たったの数か月で標準語を喋れるようになるわけないじゃん。気をつけていてもイントネーションに出るよ、さっきみたいに」
そう言っても寛太は迷いのある顔を見せる。
「本当に標準語を喋りたいならゆっくり習得していけばいいじゃん。さっきのサッカーのときさ、言いたい言葉を言えないのは辛くなかった? 言いたいことを言わないとみんなと仲良くなるのに時間かかると思うよ」
「見てたんか」
寛太は小さく笑って押し黙る。どうするべきか色々考えているのだろう。
俺たちが別々になる分かれ道が見えてきたタイミングで寛太が勢いよくこちらを向いた。すっきりとした顔をしている。
「俺、関西弁に戻すわ。みんなと、はよう仲良くなりたいから」
その後、寛太は常に関西弁で喋るようになった。でも、たまに標準語を聞かせてもらうと徐々に上手くなっていた。中学を卒業する頃には九割方完璧な標準語を話せるようになり「標準語と関西弁の二刀流や!」なんて冗談を言っていたのを覚えている。
社会人となった今、俺はたまに仕事関係で関西出身の人と話す。多くの人が標準語で会話しようとこちらに寄り添ってくれる。その温かい心を感じたとき、俺はいつも寛太を思い出す。