第2話

文字数 5,201文字


棺桶の中で永遠の眠りについている女性を見て、お釈迦様は悲しい目をして言った。
「まだ40も迎えていないのに。」

28歳のアイナは東京にいた。『人ごみ』人がゴミと表現されてもテレビのニュースで使われる言葉。東京の人ゴミの中にアイナはいた。
東京の人ゴミに慣れすぎたら新しいスターになれない。人ゴミと何度も表現される前にスカウトされたら返事をする。スターたちはそうやって階段を上ってきたのだ。田舎から東京に来たばかりの新鮮な子だったので、スカウトマンは声をかけた。
「ああ、やっぱりダメ。」
と断られても、「やりたいです。」下手くそな笑顔を見せたり、芸能界の人に怪訝な目でじろじろ見上げられてもあきらめなかったので、世渡り上手な女性に目をつけてもらえた。
大樹はそういう男だった。元々大樹が目指す夢はアイドルだったが、音楽系の会社に回してもらって、最初は別の男が演じていたアーティスト元帥をやらせてもらう事となった。
「元帥は顔を隠してやっていたから大丈夫だよ。」
会社の人は嘘笑いをした。前の元帥はMV撮影のために平気で五千万も借金をしていたので、ヤバイ奴だという事は知っていた。
大樹が元帥をやり始めると、前の元帥が来たが大樹が毅然とした態度ではね返したので、会社の人たちは「エライね。」と嘘笑いする人もいれば、「せこいね。」と言って嫌な目をする人もいた。
「俺だって、歌かけてるんだから。」
大樹は書いた歌を、音楽会社の機械で曲にしてもらっていて、その歌が発売できると信じ込んでいた。
「これじゃ全然だめなんだよな。」
音楽に詳しい山岸という社員が頭をかいている。

歌を書く時は良い人を想うと良い歌が書けてくる。一般的には活躍している好きなアーティストを思い浮かべると良いだろう。歌の相手は妖人間を選ぶこと。運命の相手でもよい。とにかく一般の他人に迷惑をかけてはダメだ。

大樹は元カノを想うようになる。大樹はシックスセンスを持っていないので、元カノにアーティストの才能がある事に気づかなかった。そして、大樹は元カノ宛の歌ばかり書くようになり、陰気だが、少しは歌が書けるようになった。
音楽会社には、歌詞を打ち込むだけで勝手に歌ってくれる機械があり、山岸が大樹の歌詞をいれるとものすごいメロディーが流れてきたので、山岸は息を呑んだ。

その歌は大ヒットしたのだが、山岸は大樹の態度にあきれ果て、お誘いがあった会社に移った。4年後に大樹に会った時、山岸は言った。
「結局さ、元帥は1曲だけしかないよね。」
「え?」
誰の真似をしているのか、くしゃくしゃにかけたパーマの大樹は山岸をぽかんと見つめてみせたが、山岸はそれ以上相手にする気にもならなかった。
『こいつ潰れるよな。』
山岸は音楽業界の仲間たちが自信を失ったり、不正をして医療職についたりする中で、自分がやっている作曲と編曲の仕事に誇りを感じていた。時には頭の悪い子の生歌を聴いてあげたりして、相談相手もする。むしろ医師なんかよりとてもエライ仕事に思えていた。
こんなに高尚な音楽の世界に大樹なんてもういらなかった。

大樹はプライベートでは誰からも相手にしてもらえなかったし、いろいろなせこい手を使って日本の音楽業界のトップに上り詰めたのだが、今まで一度も海外旅行に行った事がなかったのだ。家族からはもう相手にされないし、一緒に海外旅行に行くような友人や恋人もいないので、仕方なくマウイ島に一人で遊びに行く計画を立てたのはいいが、計画の途中でマウイ島で大火事が起きてしまってまた行けなくなった。

東京オリンピックも担当した、宮崎駿も担当した。それでもまだ、海外旅行には一度も行った事のない。そんなマヌケな男が米津玄師だということを、本人以外の誰がそれを知っているだろうか。

まぁ、それは置いておいて、アイナと元帥の物語に戻ろう。


大樹は寂しくなり、昔の同級生に連絡をとるようになる。誰も大樹が元帥だという事を知らなかったので相手にしなかった。
『頭の悪い奴から連絡がきたな。』とでも思っていたのだろう。
唯一、アイナだけは大樹の相手をした。アイナも恋人ができずに退屈な日々を過ごしていたので大樹と会ってあげたのだ。大樹は自分が元帥だという事を打ち明け、アイナもそれを目を丸くして話を聞き、話が終わるとアハハと笑った。実は昨日、アイナは母親に元帥というアーティストが嫌だという話をしたばかりだったのだ。
大樹は頭が悪かったので貯金をすることができず、いまだに貯金額が700万しかなかったが、それを話してもアイナは「えー、嘘でしょ。」と言って信じようとはしなかった。

アイナはあれほど嫌っていた元帥を好きになり、東京に行くことを決めてしまい、それを聞いた母親は青ざめた。『この子変わったな。』と思った。一応反対はしたが、アイナが聞こうとしないし、相手が元帥なら結婚したら良い生活が送れるかもしれないので母親はアイナを東京に行かせてしまった。

28歳のアイナは東京の人ごみを歩く。大樹と待ち合わせのドトールにつくとドアを開けた。ドトールの中の席で大樹は待っていて、サンドイッチを食べていた。
「あっ、ごめんね。待った?」
アイナが聞くと、「ううん。」と大樹は首をふって答え、アイナの心の一部は冷えた。この人はちがうという事は頭の片隅で知っていたが、東京まで来て職も得た以上、引き下がる事はできなかった。アイナは医療事務の職を得ていたが、大樹がアイナに求めている身体の関係を断る事ができるか不安だった。
大樹は立ち上がり、レジへと向かった。レジの前でアイナに聞く。
「アイナ、何にする?」
「じゃあ、うーんと、ハニーカフェオレ。」
ハニーカフェオレをおごってもらったアイナは少しだけ元気になれた。

「地元じゃカフェの中で待ち合わせってできないよね?ふつう、こうゆうのする?」
「そう?」
大樹はもじゃもじゃした髪の毛をさわっている。

二人はたわいのない雑談をした後に、東京の人ごみに出て、お洒落なショップを見て回った。アイナは大樹が可愛らしい小物を買ってくれるのか期待したが、買ってくれる様子はない。少しお腹がすいてきたが、大樹はさっきサンドイッチを食べたばかりなので、アイナは口をつぐんだ。
腹をすかせたまま大樹のマンションへと向かい、多少気分が悪くなったが、大樹が求めている身体の関係をすませた。大樹が求めるままになる最中、こんなに腹が空いて気分が悪いのにSEXできる自分にはアスリートの能力があると頭の片隅で思った。実際、アイナが運命の男とちゃんと結ばれていたら、子供がアスリートになれたのかもしれない。

「大樹、結婚してくれるって本当?」
「う、うん。本当だよ。」
「じゃあいつ?」
「とりあえず30歳になったらね。別に子供を無理して産まなくてもいいから。」


アイナは大樹のマンションのドアの前で青くなった。
「俺、曲書かなきゃならないから。」
大樹は駅まで、いやマンションの下まで送ってはくれなかった。
アイナは帰りの電車の中で今まで両親は自分のことをどんなに愛してくれたかと思うと切なくて涙がこぼれてしまった。

夜、アイナは夢を見た。
アイナはふわふわと心地良い白い雲の上を裸足で歩いていた。
引き寄せられるように人生のプランナーの店に入る。
カランカラン

「いらっしゃいませ。」
優しそうな50代くらいの女性が顔を出した。
「こちらへどうぞ。」
アイナが案内された席につこうとすると、奥の方で老人が話し込んでいるのが見えた。

「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「戸田アイナです。」
「死亡日もお願いします。」
「えっ、死亡日?私、まだ死んでない。」
「あっ、そうですか。」
女性は本を確認した。
「そうですね、アイナさんはまだ亡くなってはおりません。本日はプランの見直しにいらっしゃったのですね。」
「はい・・。」
「私の名前は矢盛と申します。」

「えーと・・。」
矢盛さんは本をめくりながら、「アイナさんは来年の3月から3歳の女の子として人生をやり直すことになっています。」と言った。

「えっ、私、死ぬんですか?」
「戸田アイナさんという方はまだ60代くらいまで生き続けますが、アイナさんの魂だけは抜け出て3歳の山田凛子さんという女の子に入ってもらいます。」
「えーなんでですか。まだ生きたかったのに。」
「私よりさらに上の神様の方でね、選ばれたことですのでもう変える事ができないんです。ごめんなさいね。」

「では新しい人生のプランですが・・。アイナさんは保育園の頃に運命の方と知り合いになれますよ。ラッキーですね。」
矢盛さんは目を輝かせて微笑み、プランの続きを喋り出した。
「・・・細かい事なんですけど、小学2年生の5月18日はお友達と校庭で遊ばずにお家に戻ってくださいね。先輩が投げたテニスボールが頭に当たる可能性がありますから。」
「分かりました。」
矢盛は詳しいプランの説明を続け、
「失礼ですが、アイナさん、初体験はいつになさいます?」
「えー、それは恥ずかしいな。」
「もちろん、アイナさんの人生の進み具合によっては、初体験をやらないで次のステップに進んでいただくことも可能です。」
「うん、まぁその方がいいな。でも次のステップって一体何があるんですか?」
「それは恋愛に限らないですが、人生のプランに予定されている事。例えば、アイナさんがお母さんと一緒に温泉旅行に行くというプランがこの後に計画されています。」
「初体験した後に、親と温泉旅行に行くなんて気まずいなぁ。」
「もちろん初体験していただくのも良い人生勉強にはなりますが、初体験をしないためには・・。」
矢盛はプランを変えるためにどうすればいいか説明をした。

一通りの人生プランを聞いたアイナは何かを思い出したように怯え始めた。
「でも、どうして私が死ぬの?本当にこのお店、信頼できます?」

お店の奥で話こんでいた老人が話をやめて、眼鏡をずり上げながらアイナを見た。
老人の相手をしていた仏様がこちらに来る。
「アイナさん、前の人生では40歳で亡くなりましたよ。それを覚えていますか?」
「あの・・、いいえ。」
「あなたを責めるつもりはない。大変な時代を生きていましたからね。あの老人も少しはズルをしたけど、あなたが前の人生を生きていたら、かけがえのない友になれたはずだったのです。彼女はとても大事な宝物を失った気がしていたのです、この人生ずっと。」

「それが、アイナさん。」
仏様は言い、老人はうつむいている。

「ああ。」
アイナは胸をつまらせた。
「アイナさんの人生こそ、仮の人生だったのです。ご両親もそのことを分かっていますよ。あなたはまた大変な時代を生きられた。あなたはかけがえのない失敗をし、危険をまわりに忠告してきた。」
「そんな事・・。」
「いいえ、しました。あなたは仮の人生でも他人の不幸を望んだことなど一度もなかった。」

「来世ではあの人とかけがえのない友となりなさい。」
「はい。でも、今の私の身体はどうなるんですか?」
「他の迷える魂にゆずるのです。それはあなたにとって大きな財産になることでしょう。」
「それは来世のお金?」
「お金よりもっと大切な事は才能です。才能があればどんどんお金を稼げます。」

『だから言ったでしょう。不正をしてはダメです。ご子息に重要な才能が芽生えなくなる。才能を与えてくれる先生に、愛されなくなる。』

アイナは夢から目覚め、潜在意識の中で人生最後の時を過ごし始めた。

仏様は老人と話し始めた。
「よく長く生きられましたね。あなたの来世の人生はもっと輝きますよ。こちらのパンフレットをご覧ください。」
仏様は海外旅行のパンフレットのように老人に人生のパンフレットを見せた。

「五輪メダリストの父親と優しい小柄な母親と過ごすロマンチックな人生。ダンサーの両親と過ごすメディアに引っ張りだこな人生。エリートサラリーマンの父親と小説家の母親と過ごす優雅な人生。どれでもお選びいただけますが、どちらになさいますか?」

「うーん。この五輪メダリストというのは何の競技なんだい?」
「柔道です。」
「柔道かぁ。怖いなぁ。ダンサーの両親と過ごすというのは面白いのかね?」
「はい、楽しいと思います。」
「このどちらかでいいや。」
「そうですか。」
仏様は知っていた。子供が選んだところで、最終的に子供を呼ぶのは親であることを。

「ロマンチックな人生も、いいですよね。」
「え?」
老人は怪訝そうにパンフレットから顔を上げた。
「ところで、アイナちゃんも同じなんだよねぇ?」
「アイナさんは千秋さんの友人ですから。姉妹には生まれません。」
「そうかい。でも・・。」
「千秋さんのポイントは余るほど貯まっていますから、これくらいアイナさんにプレゼントされてはいかがでしょう?」
「ああ、そうだね。生まれ変わればポイントなんてもう意味ないもんね。」
千秋さんが言うと、仏様は笑った。
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