『メタボリック紳士悩無(めたぼりっくしんしのーむ) 』

文字数 1,103文字







その男は列車に揺られていた。
通勤途中の人間がひしめき合う中で、男は腹部に違和感を覚えた。
今朝急いで掻き込んだ「卵掛けご飯」がいけなかったのか。
それとも、昨夜飲み会でビールと餃子、キムチを交互に胃袋に押し込んだのがいけなかったのか。
己の胃腸が勝手に悶えていた。
日々の暴飲暴食で、男の腹はメタボリック寸前である。
次の駅で更に人間が雪崩れ込んできた。
いよいよ男の腹が押しつぶされ、腸が勝手に呻き始める。

ヤバイ。

腹に爆弾のような物を抱えている気分になる男。
尻の筋肉を引き締め、つり革に掴まりながら何とか堪えている。
しかし、肛門が熱くなり始める。

ヤバイ。

ガスが漏れてしまいそうだ。
ついでに中身もちょっと出そうで戦慄を覚える。
この超満員状態でニンニクとニラの成分が含まれた屁を出してしまうのは自殺行為に近い。
ただでさえ新鮮な空気が足りないこの車内である。
冷や汗が男の額を濡らし始める。
会社の最寄り駅はまだ先。だが、人の波に乗って仕方なく途中下車する事にした。

爆発寸前の肛門に意識を集中し、内股で公衆トイレを探す。
人ごみが邪魔で見えない。
駅のホームの端に、利用尽くされてくたびれたトイレを見つけた。
降車して改札へ向かう人の波に揉まれ、体に力が入らない男は翻弄されながら目的地へ慎重に移動する。

ヤバイ。

太ったOL風の女性にぶつかられた。
思わず臀部の力が緩まり、少しだけガスが漏れた。

ヤバイ。

「うう」
男は渾身の力を肛門に集中し、尻を押さえて前屈みに走る。
人がまばらになったところでようやくトイレにたどり着いた。
アンモニア臭が漂うタイル張りの汚い室内に戸惑う。床にはトイレットペーパーの黄ばんだ切れ端が落ちている。
躊躇している暇は男には無い。
今にも爆発しそうな肛門を抱え、個室に入った。

爆発

噴射。

強烈な異臭と共に、男の表情は穏やかになって行った。
「ふー」
溜め息をついた途端、極限のストレスから開放され、しばし幸せな気分を満喫する。
それにしても、とても臭い。
鼻から吸い込んでいる気体が空気と呼べるものか。

男は開放感と満足感に包まれ、胸元のポケットからタバコを抜き取った。
ライターで点火するが。
炎が強すぎた。
「おわ!」
それは男の睫毛に引火して焦がした。
トイレ内でのタバコは防災法に引っかかる気がするが、男のささやかな至福の瞬間の一部を止める者は誰も存在しなかった。
仕切られた個室だから。
自分の排泄した臭いに苦笑を浮かべながら、紫煙を吐いた。






※トイレ内でのタバコは絶対にやめましょう!
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