(改革)

文字数 3,081文字

 ある朝、目が覚めると夜だった。
 つまらないこともあるものだ。思いのほか寝こけたのだろう。
 ほとんどまだ暗がりの寝室、ベッドサイドのテーブルライトを点ける。共に置かれたデジタルクロックを、枕から頭を離し首を伸ばして覗き込む。
「 08:04 AM
  05/20/SUN 」
 液晶ディスプレイには現在の時刻と日付と曜日が示されていた。
 自分だけでなく時計まで寝ぼけているらしい。
「ふふ・・・」
 思わず笑いが込み上げた。すっとんきょうな時間を表示して所在なげに目を逸らす真四角のデジタルクロックを、手のひらに載せ目の高さに掲げて独り言つ。
「ペットは飼い主に似るって言うけど、ほんとだな。お前も俺に似てすっかりマヌケになっちまった」
 いいえそれには反論させてもらいます、とばかりにけたたましくアラームを鳴らし、掌上のデジタルクロックが心なしか震えた。
「わ!・・・脅かしやがって!俺に似るのがそんなに嫌か。生意気なやつだ」
 放り出しそうなほど驚いたことの腹立ち紛れに、悪態をつきじっと睨む。
と、サイコロ型のデジタルクロックはポイッと掌から布団の上へ飛び出た。その上コロリコロリと器用に転がって文字盤を俺の方へ向け、もう一度ぴょんと跳んでから喋り出した。
「冗談じゃないですよ旦那!あっしは寸分の狂いも起こさねえで一所懸命に時を報せてきたってのに、あっしがアンタに似てマヌケだって?まったく酷い言われようだ。マヌケは旦那、アンタだけだよ」
 アラーム音が滑舌を使って喋り出したものだから、すっかり面食らった俺は、ソレを見るともなく見つめたまま黙ってしまった。
すると、たった二秒も長すぎると言いたげに、鋭いが決して不快ではない高いアラーム音の声が改めて喋り始めた。
「もしや旦那、忘れたとは言わせませんぜ。あれからたったふた月も経っちゃいないんですよ、お天道さんの働き方改革。日曜休みで祝日は晴れにするってやつ。雨雲も同意してくれたしねえ。
そらね、発表から三日と置かず導入開始が四月一日エイプリルフールだったこともあってジョーク扱いもされやしたけど、さすがにもう八回目の太陽休日ですぜ。いい加減慣れてくださいよ。あっしだってあれから毎週日曜はアラーム鳴らさないことに努めて休日の意義を最大限に活かせるよう協力してるんでやすからね。旦那、聞いてますかい?わかったらほら、こう、ぐでーっとね、ちゃんと二度寝してくださいよ。あ、暖房が消えちゃってらあ。点けておかないと冷えるってなもんじゃないですからね、凍え死んじまいますよ、なあ旦那」
 半ば捲し立てるように喋り続ける声を聞きながら、俺はすっかり思い出して冷静さを取り戻しつつあった。
 上体を起こし胸まで掛け布団をかぶった姿勢で聞いていたが、最後の助言に急に寒さを思い出し、急いでエアコンを起動させた。
 そしてついに本当の奇妙に鳥肌が立った。
 日常生活も仕事もあるゆるものがAI管理で統制されて久しい昨今だが、どうも気味が悪くて慣れずにいた俺は、今点けたエアコンも音声認識機能が搭載される以前の旧世代のものを使っている。玄関ロックも手動の、錠に鍵を差し込む錠前タイプに付け替えてもらったほどだ。
 もちろん、デジタルクロックも例外ではない。古道具屋を全国訪ね回って、音声認識機能非搭載の電波時計を高値を出して買い求めた。アラーム機能と文字盤ライトしか付属されていない今や化石のようなそれだ。

 二〇四六年現在、少なくとも新たに生産されている家電のほとんどは、人工知能、音声認識機能が搭載されたものばかりになった。指でボタンやスイッチを押すようなものは廃れ時代遅れも甚だしく、扉を開けないと中の様子が見えない冷蔵庫は〝ガラパゴス冷蔵庫〟なんて呼ばれる始末だ。
 とは言え未だ、ユーモアを交えて流暢な会話ができるシロモノは高級品扱い、庶民階級の社会には出回っていないはずだった。
それがどうだ、二年ほど前に手に入れたこの愛用のデジタルクロックは、その仕組みはまったく見当もつかないがぴょこぴょこと動き回り、まるで見えているようにこちらへ向き直った。さらには、アナクロマニアの俺ですら歴史管理センターの持ち出し禁止区域にひっそりと忍んでいるデータでしか聞いたことのない〝江戸弁〟らしき口調で喋りかけてきたのだ。
 鳥肌が立つだけでは収まらず頭痛までしてきた。昨日の太陽の熱を失ってすでにマイナス三度まで下がっている室温のせいだけではない。

 エアコンが作動し温風が循環し始め、黙りこくったままの部屋の温度が徐々に上がっていく。
 寒さでジリジリと痺れかけた指先の感覚に気を取られながら、恐るおそる話しかけてみることにした。
「・・・あの、あー、えーと。時計、さん?」
 そういえば呼称なんてないので、とりあえずその物自体に敬称を添えて呼んでみる。が、文字盤の分表示が16から順に一つずつ増え19へ移り変わってもまだ、デジタルクロックからの返事はない。
「時計さん。えーと。あ、いつもありがとうございます、その、太陽休日のアラーム、俺、セットしたままなのに鳴らさないでくれてたんすね、そんな気ぃ使ってもらってたなんて気付かなくて、あの、すみませんでした」
 一片たった十センチメートルの立方体に向かって敬語で話しかけるのを誰かに見られたら、さぞ気味悪がられるだろうな、なんて思いかけたが、それも昔の話だったと、考えながら転換していく脳内に俺自身、翻弄された。
誰もいないどころか壁に向かって話し掛けても、壁面に内蔵されたAIがイヤホンを通して返事をしてくれる時代だ。
独り言に白い目が向かなくなったのは俺にとって不気味でしかないが、変人と呼ばれていた人種に世間は幾分か寛容になった節もある。
まさしくそれが不気味で仕方ないのだが、俺の他にもこんなふうに気味悪がってる奴がいるかどうかわからない。議論を聞いたことはないし議題に挙げるつもりもないから。

 そうこうしているうちに八時三十分になり、室温も八度まで上昇していた。
 軽金属をシルバーのラッカーで塗装した真四角の塊は、うんともすんとも言わないままだ。
 左手の親指と中指でその側面をつまみ上げてみる。ひんやりとして硬い。作動してはいるがなんの機械音もさせず、静かだ。
 なんだったんだ?
 つまんでいる二本に薬指を追加してそれを振ってみたり、舐めるように隅から隅まで観察し三つしかないボタンを様々に押してみるが、ただ時を刻む以外に何も起こらない。
 寝ぼけていたのだろうか。
 夢だったのかもしれない。
 それが素直に行き着く答えだった。
 そうだろう。もはや意固地になってアナクロな生活を送ってはいるが、深層心理かなにかでは現代社会に憧れているのかもしれない。
 そう考えると妙に腑に落ちて、世間を不気味扱いしていた自分が強がりな臆病者とわかった。

〝ただの〟デジタルクロックを、サイドテーブルの所定の位置に直し、エアコンのリモコンを手に取る。室温が十五度を超えたので、風量のボタンを一回押し、強風の設定を自動に切り替える。
 そのままリモコンを見つめ、ふと呟く。
「AI搭載型に切り替えるか」
と、言い終えるが早いか持っていた右手からリモコンがひとりでに滑り落ち、掛け布団の上でバタバタと暴れ出した。
「ちょ!ちょっと待ってえな旦那!わしのこと捨てる気か!長い付っきゃいやないかい、考え直してえや!」
 これも夢か幻覚か。今度は黄ばんだリモコンが関西弁らしき口調で懇願してきた。
 俺はさっきより更に驚いたが、同時に少し嬉しくなった。



完。
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