江戸城の秘密

文字数 1,816文字

皆既月食の夜。地球と月、太陽が一直線に重なる夜。数分間、赤黒くなった空を皆が見上げた。地球が線上から移動し、再びいつも通りの月明かりが街を照らした時。
突如として東京の真ん中に江戸城が現れた。

その近くにいた者も誰も、いつからそこに存在していたのか分からなかったという。
今となっては当たり前の景色となった。

御茶ノ水の大学で教授をしている彼女は、江戸城の第12学術調査団として半蔵門の前でコーヒーを飲んでいる。地理学を専攻している彼女からしたら、歴史を中心とした分野違いの教授たちの相手は気が引けた。お堅い役員もいるから尚更困る。
輪の中にも馴染めず、ふと横を見ると小さな男の子が一人で昼の太陽を浴びてベンチに座っていた。
「どうしたの?お母さんは?」
「はぐれて、待ってる。」
「そうなのね。一緒に探してあげたいけど、ごめんね。お姉さん用事があるの。」そう言いながら山岡はカバンの中を漁った。
「ほら、チョコあげるから。もう少し待ってて。用事終わったら、一緒にお母さん探すからね。」
その時集合の合図がかかり、山岡は調査団の輪の中へ向かった。

その場には20人ほど集まっていた。
「山岡先生もこの調査に参加されるなんて驚きましたよ。」
学生時代の後輩の三笘京介だ。彼は海外の大学院へ行き、考古学を専攻して調査団の中心メンバーの一人である。
「三笘先生こそ、ずいぶんと偉くなられたようで。」
「嫌だなぁ。あの山岡理恵様に言われたら嫌味にしか聞こえない。」
三笘は飄々と答えた。昔から掴みどころのない人柄である。

調査団は立ち入り禁止の柵をずらし、半蔵門を開け江戸城の中へぞろぞろと入った。
門の中は異様な空気感である。昼間だというのに、そこにいるすべての生き物が息を潜め、じっとこちらを見つめているようである。
ひっそりと薄暗い敷地の中を歩きながら、三笘が声をかけてきた。
「山岡先生、いや、理恵さんはどのように考えますか?この江戸城出現について。」
「うん。もう出現の日から20年以上経つけど何も解明されてないなんて不自然というか。」
「そうですよね。」三笘は山岡の近くに顔を寄せながら声をひそめ、「もっとも不気味なのは、この調査団なんですよ。」と言った。
江戸城出現の日から当初はメディアが取り上げたが、パタリと情報は途絶え、その後政府の後援で設立されたのがこの「国立江戸城学術調査団」だ。
「僕はね、この調査団の裏を掴むために入団したんです。暴いてやりますよ。」そうささやき、三笘は前を行く団員達に小走りで追いついた。
実は山岡の参加理由もそうだった。江戸城は一般人が入る事は法律で固く禁じられている。唯一の方法はこの調査団しかない。
山岡の前をぞろぞろと歩くスーツ姿の調査団達を見つめた。どうも胡散臭い連中である。
その時、ふと、山岡は足を止めた。
「なにあれ…。」
猫だ。灰色で輪郭があやふやだが、眼ははっきりとこちらを見ている。腰くらいまでの背丈がある大きさだ。
一番異質な所は、調査団の誰もその猫に気付いていないことである。今、我々の目の前にいるのに。三笘でさえ目に留めていない。時がゆっくり動いているようだ。

猫は山岡を見つめ、ひとつ、鳴いた。

山岡は一瞬意識が飛んだ気がした。脳が激しく揺れたように熱い。空を見上げて息を呑んだ。空が赤黒く染まっている。皆既月食だ。
「さっきまで昼だったのに。どうして。」
「そりゃあ、戻したからだよ。時を。」
声がした方を見るとあの猫がいた。猫が喋っている。
「今は、20年前の江戸城出現のあの日さ。」
山岡をこめかみに手を当てた。
「待って。理解が追いつかない。他のみんなは?」
「理解を待つ意味はないよ。連中は守護団の仲間入りさ。君は、この城から出ていくんだ。」
「どうして。あなたは何者?」
「待ってるんだよ、起きるのを。」
「…起きる?誰が?」
「王をだよ。目が覚めるのさ。もう少ししたらね。さすがの王様も自分の城が目の前にあったら起きるだろう。そうしたらこの城も不要さ。」
「いまは、その、王は何処にいるの?」
「さぁね。知る必要はないよ。」

そう猫が笑って、ひとつ鳴くと、山岡は昼間の半蔵門の前にいた。スマホで日付を見ると、江戸城に入る前と同じ日付になっていた。現代に戻ってきている。
頭痛がひどい。
山岡はふと顔を上げた。
江戸城が無くなっている。
起きたのか。王が。
横を見ると、小さな男の子がいた。
チョコレートを差し出して、言った。
「おはようございます。王様。」
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