第1話

文字数 1,994文字

 2年前だった。親友の年の離れた弟が、泣きながら俺に言った。
 ――友哉さん、僕が16歳になったらオートバイの免許をとるから、一緒に緑山へ行って欲しいんです。
 
 そして2カ月前、彼は16歳になった。彼の名は充久(みつひさ)と言う。俺たちは国道のコンビニで待ち合わせた。
 
 「バイクへ乗る事を、充久の母ちゃんがよく許してくれたな」
 「免許を取った事も言ってないです。父ちゃんにだけ言いました」
 「そうなんだ。バイクを買ったのか? 代金はどうしたんだ?」
 「小遣いやバイト代と、それとじいちゃんです」
 俺はバイクに跨った。
「そうか、行くぞ」
 充久も跨る。

 約束通り俺たちは、市のはずれにそびえる緑山と言う低山へ、バイクで向かう。緑山までバイクで行くのに1時間、更に緑山をバイクで上り切るのに30分と言った具合だ。俺たちは市内を走り、郊外に出て、更に田んぼの中を進み、緑山の麓に着いた。目の前に登山道と一般道の2つのコースがある。どちらの道のゴールも緑山展望台だ。俺たちは一般道にバイクを走らせていく。
 
 登坂とカーブが続く。山の3分の2ほど登った時、充久の前を走る俺は、ブレーキを踏んで止まった。俺に習って充久もバイクを止めた。バイクを待避所の奥に駐車する。
 
 バイクを降りて、俺が充久に言う。
 「あそこだよ」
 俺が指さした場所を見て、充久が頷く。俺たちは指した場所まで歩く。

 充久が言う。
 「カーブはそんなにキツくないですね」
 「ああ、そうでもないんだけどなぁ……。なんでスリップしたのかな」
 充久が側道にしゃがみ込んで、背負っていたリュックを下ろした。リュックの中から線香の束とライター、そして小さな花束を取り出した。
 「用意してきたのか?」
 「はい」
 充久が線香に火をつけて、路肩に置いた。その脇に小さな花束を置く。
 俺がポケットからタバコを出す。
 「タバコですか?」
 「そう、タバコ」
 俺は1本タバコを取り出して、口にくわえて火をつける。
 火をつけたタバコを線香の脇に置いた。

 「兄ちゃんは、たばこを吸っていたんですか?」
 「吸ってたよ。普段は吸わないけど、酔うと1本くれと……」
 「そうなんだ。あの……」
 「何?」
 「1本、僕にもタバコもらえませんか?」
 
 俺は驚く。
 「16歳だろう?」
 「僕が吸うんじゃないです。兄ちゃんに僕が吸わせてやりたいんです」
 「うーん、そうかぁ。じゃぁ」
 タバコを差し出すと、充久がタバコをくわえて火をつける。
 「火がつかない」
 「息を吸いながら火をつけるんだよ」
 充久はもう一度タバコに火をつけようとして、勢いよく息を吸い込んだ。今度は火がついた。しかし必要以上にタバコの煙を吸い込んでしまう。
 
 充久は涙目だ。
「ゲホッ。ゥ……おえ――」
 俺は笑う。
 「大丈夫か?」
 「ぅ……。あまり大丈夫じゃぁ……。タバコの何処が良くて吸うんですか」
 「……さあ、なんでかな」
 タバコに良いところは無いんだから、聞かれても困ってしまう。
 
 充久は自分で火をつけたタバコを線香の隣に置き、手を合わせて拝む。俺も一緒に拝んだ。ひとしきり拝んで俺が言う。
 「もういいだろう。山頂に行こう。じゃないと夕焼けが見られなくなる」

 俺たちはまた山頂を目指して、バイクを走らせる。10分程度で山頂に着いた。バイクを駐車場に止め、俺たちは展望台に上がる。展望台から俺たちの住む街が一望できる。

 充久が景色を見て言う。
 「綺麗ですね」
 「来たの初めてか?」
 「小学校の遠足いらいです」
 「そうかぁ」

 太陽が沈み始めていた。
 「あの日兄ちゃんも、こんな綺麗な夕日を見たんですか?」
 「ああ、見たよ」
 「……そうですか」
 「夕日を見て、それから帰り道で……」
 そこまで言って俺は黙った。
 充久も俺の話の続きをせがまない。

 太陽が半分隠れて、俺は言う。
 「帰るかぁ」
 充久は答えない。
 俺は景色を見るのを止めて、隣に並んで夕日を見ている充久の顔を見た。俺はもう少し充久に、夕暮れを見せたまま放置することにした。
 
 俺は一本タバコをくわえた。タバコの煙がゆらゆらと天に昇っていく。俺は上がっていく煙に向かって、タバコの煙で輪を作って吐いた。輪を作って遊んでいる俺に充久が言った。
 「友哉さん、あリがとうございました。兄の人生の最後の1日に、兄が見た景色を、僕も見ることが出来ました」
 
 俺は微笑んだ。
 「良かったな。でもさ、あいつがオートバイに乗って見た景色は、まだまだあるんだぞ。最後の1日の景色だけが、あいつの見た景色じゃないぞ」
 充久が目を丸くした。
 「どうする。また一緒に見に行くか?」
 充久はこもる声で「はい」と返事をして、俯いてそのまま固まってしまった。心なしか肩が震えて見えた。

 俺は充久の肩に手を置き、街の景色を再び見下ろす。夕日は姿を消し、展望台から見える景色は夜景に変わっていた。

  完
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