クチナシの想い

文字数 3,290文字

 長く続いた雨季も終わりを迎え、頭上には突き抜けるような清々しい晴天が広がっています。庭へ植えた花々も、久しぶりの日差しを待っていたかのように一斉に花弁を開きました。
 水のたまった地面はぬかるみを作っていますが、この調子であればすぐに固く乾きそうです。荒れてしまった町へと続くこの道にも、きっとまた行商人や旅人の足跡が刻まれることでしょう。
 その中にはきっと、あの人の足跡も。
 のぞき込んだ水たまりに映りこむ私の顔に、表情はありませんでした。
 仕方なく、花壇のそばへしゃがみ込んで花をつついてみます。
 その花はクチナシの花。六方へ花弁の広がる様子は、光をこぼさないよう精一杯に腕を広げているように見えます。
 会話するとよいらしいのですが、口下手な私にはすぐに言葉が浮かびません。伸ばした人差し指が迷子になって、仕方なく地面へぐるぐると円を描きました。
 そうだ、家の様子も見ておきましょう。雨の間はずっと部屋に引きこもっていましたからね。
 庭の様子を見に外へ出ていた私は、立ち上がって振り返り家の外観も確認します。
 ところどころに苔の生える、ずいぶんと年季の入った木造の家。こんな見た目でも、あの人と一緒に作った大切な私たちの家です。
 私はあの人の帰りまで、この家を守らなければなりません。
 今年も雨季を耐え抜きこそしましたが、雨漏りがひどくて大変でした。一度総点検して補修したほうがよさそうですね。
 見回りはひとまず終わりとして、そろそろ昼食にしましょうか。
 私は畑からいくつかの葉野菜と、井戸からくんだ水をもって家へ戻ることとしました。

 正直なところ、料理はあまり好きじゃありません。何をどう入れればどんな味になるか想像できないのです。
 一人きりの食事ですし、何なら食材をそのままかじってもいいのです。が、さすがにそれは人間としてどうかと思いますのでちゃんと調理することとしています。
 まずは洗ったジャガイモ 2 つを鍋に入れ、水で満たしてから火にかけます。お湯が沸くまで大体 5 分、沸いたら 15 分、火からおろして 15 分です。
 他の調理も 15 分もあれば終わります。ぽっかりと時間ができてしまいました、火にかけてから外を見回ればよかったですね。
 後から悔やんでも仕方ありません、長い人生を思えば 20 分なんて微々たるものです。なんなら贅沢に、沸いたお湯の中で水蒸気の粒に踊るジャガイモでも見ていましょうか。
 ムダとは人間に許された贅沢なのです。せっかくですし、このムダな時間を噛みしめましょう。

 ぼんやりとしていると 20 分経ったようです。そろそろ鍋を火からおろしましょうか。
 用意しておいた木の板の上へ鍋を移動させます。
 火からおろして 15 分、その間に他のおかずを用意しましょう。
 まずは葉野菜をプレートへ盛り付けます。新鮮な野菜は茎から葉をもぐと、ぽきぽきと心地よい音を立てて楽しくなります。
 盛り付けが終わったら、夜の間に戻しておいたウサギの肉を薄く切って炒めます。塩につけて保存してありますので、とくに味を付ける必要もありません。
 火の通った肉をプレートへあげて、残った油でたまごでも焼きましょうか。

 たまごを取りに食糧庫へやってきました。中は暗く、一つずつ取り出して確認しなければなりません。手探りするわけにもいきませんし、何か明るくする方法を考えたいものです。
 見つけました、炊事場へ戻りましょう。
 暗いとはいっても、どこに何があるかはきっちり覚えています。実際のところそれほど問題になっていませんし、やっぱりこのままでもいいですね。
 みしっという音が聞こえたかと思うと、急に視界が低くなります。足元を見ると片足が床を突き抜けていました。
 あぁ、床が抜けてしまったのですか、びっくりしました。きっと雨季の湿気にやられたのでしょう。危険ですので食後にでも直しましょうか。
 手に持ったたまごが割れていないことを確認すると、安堵に息が漏れました。
 そっと力を入れて抜けた床から足を引き抜きます。
 さて、料理の続きと行きましょうか。

 こんこんとたまごをフライパンの角に打ち付けて殻へひびを入れ、両手を使って中身をフライパンへ落とします。
 よかった、殻は入らなかったようです。私はたまごを割ることが下手で、よく殻を落としてしまうのです。力加減が苦手な私はきっと不器用なのでしょう。
 じゅうじゅうと音を立てながら白くなっていくたまごを見つめていると、うまく割るコツについて考え込んでしまいました。
 気づけば黄身も淡い黄色となっていました。たまごもプレートへ移しましょう。
 ジャガイモは火からおろして 13 分、少し早くはありますがそろそろいいでしょう。
 お湯の中からジャガイモをつかみ上げて皮をむきます。湯気を立ち昇らせるジャガイモは、お風呂上りのようで気持ちよさそうですね。
 ふやけた皮はつまむと簡単にはがせて少しおもしくなってきます。
 私は手早く皮をむいたジャガイモ 2 つを鉢へ入れました。ここからはすりこぎを使ってよくつぶします。
 まずは軽くつぶしたところへ塩を一つまみ入れます。そこからさらにつぶし、フライパンに残った油も入れてよく混ぜて完成です。
 あとはこれをプレートに盛りつければ今日の昼食です。なかなかおいしそうじゃないですか?
 鉢にこびりついたマッシュポテトを集めて指でつかんで食べてみました。
 ――味に関しては何も言いません。人間の思考は自由であるべきですので、おいしいと思えばいいのです。
 私は上機嫌になって、盛り付け終わったプレートとフォークを手に居間へ移りました。

 せっかくの天気ですし、テラス戸も開いてしまいましょうか。
 居間へたどり着いた私は、気持ちよく食事するために大きな窓を開くことにしました。
 そこで私は、ふと違和感に気づきました。
 乾き始めたぬかるみに、足跡がついていたのです。
 誰かが通ったのかな? 久しぶりに感じる人の気配に、少し心が躍ります。
 もしかしたらあの人かもしれない。私は慌てて、居間に置かれたノートと鉛筆を手に外へと向かいました。

 玄関の扉を開くと、見知らぬ男性が立っていました。私を見て驚いているようです。
「君、ここに住んでいるの?」
 少しだけ身を引き、警戒するような態度を見せながら男性が話しかけてきました。女の子に警戒するなんて失礼な人です。
 あの人じゃなかったことに落胆しましたがどうせ相手は気づきません。きっと私の表情はピクリとも動いていないことでしょう。
 取り繕う必要もなく私は彼へうなずいてみせました。
「このあたりに人里はないはずだけど、いつから住んでいるの?」
 いつからって、どうしてそんなことを聞くのでしょう? あの人と家を建てたのは、256 年と 240 日前です。
 首をかかげたのが返事だと思ったのでしょうか、男性は質問を重ねます。
「名前はなんていうの?」
 質問ばかりですね。それに名前を尋ねるなら自分から名乗ってほしいものです。けれどもそう伝えることも億劫です。
 私は彼と会話するためにノートへ鉛筆を走らせることとしました。
 彼はきょとんとした顔を見せたのちにノートを覗き込みます。
 顔を近づけて目を凝らしているみたいです。暗い玄関の中では会話もままならないものですね。
 私は玄関の外へ出て彼の手を引いて花壇の前までやってきました。そしてまぶしい光を浴びながら彼の鼻先へノートを突きつけます。
「ガーデニア?」
 呼ばれた名前は尋ねるような色をしています。変な名前とでも言いたいのでしょうか、あの人が付けてくれた大切な名前だというのに。
 私は不機嫌になりながらもうなずき、彼の様子をうかがうことにしました。
「声が出せないの?」
 なんだ、そんなことですか。でもそういえば、あの人にも最初そう聞かれましたね。
 少し懐かしい気持ちです。彼への返事を、私は丁寧に書きました。あの時と一語一句違わぬままに。
『見聞きしかできないゴーレムですので』
 穏やかな風の中で、クチナシの花が揺れていました。
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