第1話

文字数 4,771文字

宇宙人を殺す方法


子どもの頃に宇宙人を見た。あれは僕が12歳の頃、家族旅行で銀河系M-309のあたりを周遊していた時のことだった。
僕は半球状の窓に張り付いて、食い入るように広大な銀河系を見ていた。最初の方こそ他の子ども達も僕と同じような反応だったけれど、何時間もいる内に慣れてきて宇宙船のキッズルームで(いわばファミリーシップと呼ばれる観光船だったから)好き勝手に遊び始めていた。
大人達は階下で立って世間話をしていた。船はゆっくりと直進し宙路は順調だった。その時、一瞬、船体が揺らめいた。それは誰かがそっとつま先で触ったみたいな些細な違いだった。
そして僕の目の前に彼女が一瞬現れた。
それは透明の光る液体がジェル状になって何本もの細い手みたいなものが本体から生えているのだった。見るからにツヤツヤとしていて、きっと光も放っていて、地球でいうと一番クラゲに近いような外観だった。全体は見えなかったけれど、全長は子どもの僕をすっぽり多いこめるほどに大きいと思われた。
僕は口をOの形に丸くして、目の前の怪異を直視した。ほぼ正面にある台形の角を丸めたようなそれが顔だと分かった。なぜかというと、そこに目だと思しき窪みがあって、僕はそれに吸い込まれるように目が離せなくなったからだ。

そこで宇宙船の警戒音が鳴って、大人達が騒ぎ始めた。どうやら船体がなんらかの圧力で航路がずれたとかいう放送で、すぐに戻るのでご心配なく、とのことだった。
僕は目を逸らすなんて無様な真似はしなかったけれど、瞬きをしたその一瞬にその宇宙生命体は消えていた。僕は天球から360度幼いながらに隈なく探したけれど、光の影はどこにも見つけることができなかった。それを大人に話しても笑って済まされるし、他の子どもに話したところで疑いの目で見られるだけなので、少し大きくなってからはあまりその体験を話さなくなった。
なぜ誰も真剣に取り扱わなかったというと、宇宙への移住が始まって100年、宇宙旅行が一般化してからというものさらに宇宙の調査が進み、地球以外に(もちろん他の星に移住した人類を除いて)生命体は存在しないというのが定説になりつつあったからである。それに辿り着くまで多くの調査団が送り込まれてのことだ。
そして一般人も惑星観光に出た今、彼らはそれを自分達の目を以て体験し、むしろ生命が誕生した奇跡の星に生まれたことを誇りに思おうと口々に言い合った。それは宇宙を攻略してなお地球内で起こる争いに向けられた自戒でもあった。

そんな経緯があって、宇宙人に対しては多くの人がいない、もしくはいたとしても距離が遠すぎて出会うことはないというスタンスを取っていた。
でもそうなると、あの日僕が見たのは一体なんだったんだろう、という疑問が残る。そこで僕は今となっては現実的な職場の一つである宇宙を目指したのだった。
かつて子ども達の夢だったという宇宙飛行士だけじゃない。宇宙掃除人、パイロット、宇宙船のクルー、探索隊、宇宙観光協会、技工士、今や職業は様々だ。
僕はまず高校から宇宙技師コースを選択して、大学では宇宙工学と生化学を専攻した。そして大学に通いつつ地球の宇宙ステーションでインターンをした。
そこで得たコネクションを使ってなんとか宇宙探索隊に入った。
宇宙のデブリスや惑星の地表の物質なんかを集めて研究する部署だった。

そして、それは起こった。
地球標準時間0時56分。
通信にノイズが入り始める。宇宙船外の映像に異常はなし。内蔵システム自体は問題なく起動しているため、外部の影響を調べるために隊員が二名がかりで一旦外に出る。一人の通信が途絶える。
姿を表した隊員のためにハッチを開けたクルーの話では「白目を剥いて震えていた」。
戻ってきた隊員がクルーを攻撃し、クルーは負傷。
救助に向かったクルーも戻らない。
通信と映像で目に映らない何かが、彼らの体を乗っ取っては攻撃を繰り返しているようだった。

船体は人体のような構造をしており、多くのクルーが胴体の部分にいて、混乱の中次々とクルー同士が争う事態になった。僕ともう一人は「首」つまり操縦室と胴体をつなぐ部分まで追い詰められていた。透明な窓から見るのはかつて仲間だった人達の惨劇。一緒にいた女性クルーが息を呑んで僕の手をぎゅっと握る。
そして僕は被害者から新たな被害者へと映る透明な生命体の姿を見つけた。

「帰還してください。早く。君も今のうちに操縦室に移ってーーー」

「頭」、操縦室の士官達に向けて通信機から連絡する。女性クルー、「エリナ」がその時ぎゅっと僕の手を掴んだ。
「ノブ、私ーーー」
その時ガツンと音がして見ると、扉が破られた音だった。
意識を失ったクルーの手がぬっと扉から出て真空に投げ出された。

その時だ。僕は彼の手の傷口からぬっと突き出す透明な「手」を見た。


さっとエリナの前に陣取る。その手は意識を失ったクルーに興味を失ったように、こちらに敵意を向けた。その体から抜け出した巨大な透明が僕らに襲い掛かる。瞬間。

「綺麗だ……」

思わずポツリと言葉に出ていた。宇宙人の動きが目と鼻の先でぴたりと止まった。透明な体はずるりと形を変えて、そしてあの日見た顔の窪みと僕は時を越えて見つめあった。

「君に会いにここまでやってきた」

理解されなくてもいい。僕の夢は叶ったのだから。惜しむらくは、そう、せめてコミュニケーションに一つも取れなかったことだ。
僕はそう薄れゆく意識の中思った。透明な物質は僕の鼻から入って一度に侵攻する。
その時彼女(と言っていいだろう)の感覚の一部をも共有した。
それは戸惑い、とも言っていい感覚の揺らぎだった。
「外」で女性の悲鳴が聞こえる。
ビクビクと波打って、白目を向いた格好はまるで完全に乗っ取られたかのように見えるだろう。その実脳を直接刺激されて打ち込まれる一種の弛緩剤には一瞬であり永遠かとも思えるようなエクスタシーがある。
彼女に体を乗っ取られた人間はきっと事きれる前に人生で最高の快感を得たに違いない。そう考えると死もそう悪くはない。
君に会えたのだから、と僕は意識で語りかけた。戸惑いはさらに深くなる。僕はユーフォリアの状態にあり可笑しくなって、僕の脳に残る記憶の断片を共有した。それは思い出すだけでよかった。彼女と僕はそもそも意識を共有していたのだから。

君をずっと探していたんだーーー。

なぜ?と彼女が言ったように感じた。地球のちっぽけな毛のない猿がここまで必死に彼女を追って、ただひと目見るためだけに走ってきた動機が知的好奇心ではないことに不思議を感じているのだろう。他の多くの隊員とは明らかに違う動機が僕にはあった。もっと強い、根源的な動機が。

「ぎ、みを あいしでいるがら」

口を開けばまだ声が出た。でも鼻声みたいな、声帯にチューブを通したみたいな声しかしなかった。
早く!と誰かが操縦室から叫ぶ声。すすり泣く声が徐々に遠ざかる。そうだ、早く行けばいい。もう二人きりにしてくれ。



神経細胞を伝って体を完全に掌握することができる

愛?

彼女はどうしても理解できないようだった。それもわかる。言ったように僕は地球人で、ヒト科だ。もっとクラゲみたいな外観だったら良かったのかもしれない。説得力はないかもしれない。

愛。つまり性欲。
彼女は主にそう解釈していた。そして自分にそういう意識を向けてくる猿の親族に「興味」を抱いたらしかった。彼女の目的もまた繁殖にあったからだ。
広大な宇宙に長いこと一人だった彼女には繁殖相手を見つける必要があった。ある程度自在に自らと標的の生体情報をいじることが出来る彼女は少しずつ生態を変えながらその時期を待っていた。
やがて訪れた探索隊の体を乗っ取り、地球へ行き、生き物に寄生しながら近親種へと辿り着き新たな種を作ること。それが彼女の計画だった。

それが、どうやら既に自分と交合したいという生き物が現れた。
彼女は疑るように僕の記憶を探ったが、そこになんら嘘は含まれていなかった。

なんなら結婚してほしいんだ。と僕はハイな状態で申し出た。
彼女にとって結婚という概念は新しいものらしかった。特定のパートナーと番って生涯そのパートナーだけと交合するなんて、動物としてはかなり珍しい形態に違いない。
それでも彼女のものとなり、彼女を繋ぎ止められるなら僕はこれ以上は考えられなかった。

結婚して何か私にメリットはあるの、と彼女は言った。その頃になると意識はだいぶ安定してきていて、僕には8割方彼女が何を伝えようとしているのかほとんど言葉になって分かった。それも彼女が記憶から共用言語を確認し言語中枢を解してコミュニケーションしてくれるからだが。

きっとメリットはない。だから僕は伝えたいだけ(意識の)声を張り上げて言った。

君をずっと愛すると誓うよ。僕の生涯をかけて。

彼女はやはり、結婚という概念を完全に受け入れた訳ではなかったけれど、目の前の繁殖を求めるヒト族が死ぬまで実験を試してみようというつもりにはなったらしかった。

「とは言うけれど、きっと彼女は寂しかったんだ。ずっと一人だったから。銀河系の反対側からワープしてきた仲間の一群が帰る際に取り残された時、彼女もまた子どもだった。他人種の体の乗っ取り方もまだわからなかった。それをマスターするまで、ずっと宇宙で一人ぽっちだった」

男はしみじみと語った。節くれだった手に褪せた色素班が浮かんでいる。

「幸い彼女は体の構造を自由に変えることができた。他の種族にも出来るが、自分の体を変えるのが一番手取り安かった。なにしろ、一番よく知っているからね。だから彼女は体の構造を人間に少しだけ寄せたんだ。少なくとも受精卵が出来るくらいには」

男はその落ち窪んだ瞳を瞬かせずに話している。その奥には思慮深そうな焦茶色の光彩があり、とても話に出てくるような冒険心に溢れた若者と同一人物とは思えなかった。

「それからどうしたって?もちろん、夫婦がやることは決まっている。そして幾分も立たない内に彼女は身籠った。ただーーー」

男は辛そうにぎゅっと指を握りしめた。

「それ自体は喜ぶべき事だった。問題は、妊娠期間だった」


「初めての妊娠に、初めての異星人間での子だ。その子が胎教にいる間、彼女はあの手この手でその子が生きていけるように、両方の体を少しずつ変え続けなければならなかった」

老人はそこで目の前の人影に向かって言った。

「そして彼女は君を産んだ時に、命を落とした。回復するだけの体力を長い妊娠期間で使い果たしてしまっていたんだ」

目の前の子は、異星人にしては地球人寄りの風貌をしていた。それは作為的であった。二人は乗組員のいない宇宙船の前に座って、彼らの住んでいた惑星を後にしようとしていた。

地球人寄りと言っても透明な肢体はあまりにも人離れしている。

「地球に辿り着くまでにお前は学ばなくてはならない。私の記憶や他の人間の記憶から見た地球人の姿を」

子はパチリと大きな目を音を立てて瞬かせた。

「私は一緒には行けない。お母さんを置いては行けないからね」

男は眉を下げて悲しそうに言うと、地面に置いていた花崗石を一つ取って娘に手渡した。

「お母さんのお墓にも飾ってあるものの対になっている。それを持っていくといい。操縦は教えた通りだ。いいね?」

娘は黙って再び瞳を瞬かせると、宇宙船の中へと入っていった。宇宙船が飛び立つ姿をしばらく見守って、男は惑星の上を歩き始めた。
やがて足を停めたのは、石を敷き詰めた墓標だった。

花を模した鉱物は、順番に並べられていて老人が長い間墓参りをしていることを示していた。

「生涯愛すると言っただろう?」

墓に向かって、老人は優しく声を掛ける。彼は墓の側に腰を降ろして寝転がると、背中を丸めて、そして動かなくなった。




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