第1話

文字数 1,992文字

太陽に焼かれた堤防沿いの道を、彼女は髪を靡かせて僕の前を歩き、時々振り返り笑顔を向ける。僕はその笑顔から眼を逸らし、堤防越しに青い海とテトラポッドを見た。
歩いて汗をかいた僕らは喫茶店を見つけ入る。
 彼女は店員を呼び、オーダーを伝えた。
 「コーヒー2つ」
 「僕はまだ決めてないよ…」
 「悩んだ末にいつもコーヒーでしょ」
 彼女は笑ってメニューを閉じた。 
「お兄ちゃん、あの娘に別れようって言ったんだって?泣いてたよ」
 彼女は真剣な眼差しで僕を見つめた。
 「頼まれたの。何でか聞いて欲しいって」
彼女は、僕が付き合っていた娘の友達で、部活の後輩、さらに僕の母の妹の娘、つまり従妹にもなる。
「なんか…付き合わないと悪いかなって…でも面倒になってさ」
「そんなのが一番残酷なんだから」
「わかったよ…」
僕はストローでグラスの中の氷を回しながら、口ごもって答えた。

僕の両親と叔母夫婦は、僕たちが生まれる前から仲が良く、一緒に遊びに行ったりしていた。ところが彼女の父親が早くに亡くなり、見かねた僕の両親がこの母娘を引き取った。結局僕たちは小学三年まで一緒に暮らした。
当時僕の家は、この海辺近くの借家だった。部屋数が多く、叔母と彼女も息苦しさを感じず住めたはずだ。
彼女と僕はいつも一緒だった、まるで兄妹のように。彼女は僕と二人の時は、他の人には見せない顔を見せる。多分母親にも見せていないはずだ。それだけ甘えているのだろう。
「はい、プレゼント」
僕はリュックから包みを出した。
「え、私…に?」
「自分の誕生日ぐらい覚えときなよ、明日だろ」
「お兄ちゃんありがとう!」
彼女は包みを抱きしめ、嬉げに僕を見つめた。
「そんなに大げさにしなくても…」
「うん…お兄ちゃんは絶対私の誕生日覚えててくれてる」
僕は妙な照れくささを感じ、眼が潤みかかっている彼女を見ないようにして呟いた。
「なんか、黒い雲が出てきたね…」
僕は彼女を促し、店を出た。しかし、既に夕立前特有の湿った空気が辺りを包んでいる。
「仕方ない…、あそこに行こう。昔遊んだ秘密基地、雨宿りぐらいできるよ」
「うん!」
僕たちはポツポツと大粒の雨が降り出している中を走る、昔よく遊んだ、テトラポッドへ。
迷路のようなテトラポッドの中を、濡れない所を探し、下へと進む。僕たちはやっと雨が遮れる隙間に入り込み、座った。
「お兄ちゃん、寒いよ…」
彼女は僕にしがみつき、唇を寄せた。僕は、彼女の唇を、いつものように迎え入れた。

彼女の母は叔母だが、本当の父は…僕の父だった。叔母と父の、ただ一度の間違い、それが彼女だった。彼女の父は無精子症で、叔母は子供が欲しかったらしいが諦めていた。
叔母は夫と姉への罪悪感はあったものの、子供との生活を選び生きる決心をした。彼女の父は、叔母の裏切りと自分の病気が叔母を苦しめていたという思いを胸に、悩み、自殺をした。僕の母は何も知らずに哀れな妹と子供を引き取った。 
父にどれくらいの悔恨があったかは分からない。ただ、海辺の家から引越しする時、母には話していない彼女の事を僕に話し、妹として大事にして欲しいと言った。
だが…もう遅かった。可愛い従妹は、いつしか恋人になっていた。早熟な僕たちは、既に結ばれていた。このテトラポッドの中で…。
僕は、父から彼女の事を聞かされた時、絶望した。従兄妹なら結婚できる…そう思っていたのに…。
それから僕は彼女を避けた。しかし彼女はテトラポッドに僕を呼び出し、泣きながら詰った。嫌いになったの、酷いよ、と…。
僕は彼女に真実を告げた。僕が実の兄であることを、そして僕たちは過ちを犯したのだと。
僕の言葉を聴き、それまで泣いていた彼女は不意に泣きやみ、不思議な笑みを向けた。
「私は…結婚しなくてもいいよ…一緒にいるだけで」
彼女は僕に口づけをし、服を脱いだ。まるで挑発するように…。そして、僕は獣になった…。

雨が上がりの夕日を、僕たちはテトラポッドの隙間で抱き合いながら見ていた。彼女は甘えるように僕の唇を舐め、呟いた。
「もう、また彼女作ったら泣いちゃう…」
「わかった…」
「昔…お兄ちゃんは『僕たちはテトラポッドみたいだ』って言ったよね?あれって…?」
「ああ、先輩後輩で、いとこで、兄妹で、恋人…、テトラポッドの突起みたいに四つの顔があるなあって…顔四つ…何か悪魔みたいだな」
「でも…四つとも、私たちなんだよね…」

あれから五年…、僕たちは敢えて悪魔の選択をした。彼女は妊娠し、僕たちは結婚した。母は喜び、父と叔母は項垂れた。
赤ん坊が生まれる前に、父と叔母は相次いで亡くなった。死因は心労かショックか、よくわからない…、所謂「心不全」だ。多分妊娠を報告した時の僕たちの笑顔は、父たちには悪魔に見えたのだろう。
そして母は二人の死に憔悴し、病床に着いた。
僕たちは悪魔かもしれない。でも、彼女の腕の中で眠る赤ん坊は、紛れもなく天使だ…。
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