今日のカフェラテは苦かった

文字数 2,000文字

 二限目が休講になったので、私はバッグの中に入っている小説の存在を確認した後、大学の外へ出た。
 今日は友人らと談笑するより、したい事があったのだ。
 正門から歩いて五分程度の場所にある個人経営の洒落たカフェでカフェラテを買い、ガムシロップ二つもらって、我らが『秘密基地』へ向かう。
 きっと、先輩はそこにいる。

 コーヒーショップを出て南に十五分程直進し、小道を曲がってまた五分歩くと、素朴な公園が現れる。私たちはあまり人が居ないその場所を『秘密基地』と呼んでいた。
 摩天楼に囲まれた小さな公園は、季節ごとに花が植え替えられ、常に飽きること無く利用者の目を楽しませてくれる。今日も色とりどりのビオラが至る所に植えられていて、寒さで心細くなりがちな私を癒やしてくれた。
 銀杏の木の下にあるベンチに座り、コーヒーを飲みながら小説の世界に没頭する。疲れたら花を眺めがら雑談をする――私と先輩はそうやって、隙間時間をこの場所で過ごした。

 先客を目で探していると、ゆるくウェーブのかかった栗色の髪が、ベンチからひょっこりと覗いているのが見えた。育ちの良さそうな穏やかな顔立ちの青年が、静かに古典文学の文庫本の頁をめくっている。彼の横には、コーヒー専門店で売っているタンブラーが置かれていた。中身は十中八九、ブラックだ。私は知っている。
 私だったら、読書のお供の飲み物にはカフェラテが良いし、砂糖だって入れたい。専門店の物じゃなくってコンビニの商品だって美味しいと思う。小難しい古典文学より、大衆小説が好きだし――「こんな日」には、本を読むより泣きわめいて発散したい。それなのに、先輩ときたら――。

「やあ、来たのかい」

 本から目を上げて薄く笑ったその顔は、いつもより生気がなかった。

――フラれたんですね――

 口に出せやしない本音を奥歯で噛みしめて、

「はい」

 とだけ言って、先輩が座っているベンチの隣に、無理矢理座った。

――だから、私にしておけばよかったんですよ――

 カフェラテとともに飲み干した本音が、胃の中でぐるぐる回る。ああ、苦いなぁと、独り言つ。

「砂糖は入れてこなかったのかい」

 私は先輩の言葉には応えず、紙袋の中からガムシロップを取り出して、

「現実はこんなにも苦いのです、先輩も今日位は、甘い物を飲みましょうよ」

 と言いながら、先輩のコーヒーにガムシロップを無理矢理入れようと蓋を開けて――動きを止めた。
タンブラーの中には、カフェラテが入っていた。飲み物と言えばコーヒーのブラックしか頼まない普段の彼からは、考えられない事態だった。

「……甘い物の力を借りる事は、僕にだってあるさ」

 力なく言いながら私の行動を咎めるでもなく、先輩は静かに本の世界へ戻っていった。

「ままならないね、何事も――」

 私は先輩が零した諦観の声を聞きながら、自分が『秘密基地』で先輩にふられた時の事を思い出していた。

――僕たちはとてもよく似ているように見えるけど、その実、正反対な人間だよ――

  それが先輩の答えだった。彼の恋人になるには、彼と似た人間にならなければならないらしい。
 私が私らしく居るというだけで、大切な人からは遠ざけられてしまう。
 それでも私は、好きな人に合わせて読む本を変えたくない。影響を受けて勉強する事はあっても、自分が良いと思った物を読む人間でいたい。時々背伸びして専門店のコーヒーを買うことがあっても、普段はコンビニ商品で十分だ。
 そんな私と付き合うことで、先輩は世界を広げられるかも知れないのに。なんて、どうしようも無い思考をふりはらった後、私は、先輩のカフェラテの中にガムシロップを垂らした。

「君なら入れると思ったよ」
「先輩なら、されるがままなんだろうなって思ってました」

 先輩は薄く笑いながら、ガムシロップの入ったカフェラテを一口飲んだ。

「たまには甘い物も悪くないね」
「そうでしょう?」
「他に何か言いたい事は?」

 先輩の切れ長の双眸がすっと細まり、醸し出す雰囲気が変わった。私はそれに気づかないふりをして、言葉を続ける。

「こんな日には、本を捨てて街に出ましょう。物語の世界に逃避しないで、悲しみを感じきってから発散すべきです」

 そう言いながら私はバッグから大衆小説を取り出して、自分のカフェラテにガムシロップを加え、一口飲んだ。
 先輩を振り返ると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。もし、私が、失恋で傷心の先輩にアプローチでもすると思ったのなら、見くびらないで欲しいと思う。
 私はここで、自分の失恋の行方を確認しにきただけなのだから。

「……カフェラテがこんなに美味しいとは思わなかったよ」

 先輩は再び本を開いて、物語の世界に帰っていった。長い前髪が邪魔で、何を考えているのかまでは判らなかった。私は自分の気持ちに蓋をして、カフェラテを飲みながら読書をした。
 色とりどりのビオラが、涙で滲んで見えた。
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