第1話

文字数 1,987文字

「吉井くん、今日の宿題がまだ提出されていません。忘れたんですか? すぐ、出してください」

 学級委員の西条凛が、吉井和人の前で、両方の手を腰に当て仁王立ちをしていた。

 成績優秀、スポーツ万能の美少女にそう言われれば、クラスでも目立たないモブの和人は言い返す言葉がなかった。
「ごめんね。早く出さなくて」

 和人は、そう言いながらカバンからノートを取り出して凛に渡した。
「いつも謝るのね。謝ってほしいわけじゃないわ」

 凛は踵を返すと黒板横に積み上げられたノートの上に、和人のノートを置いた。凛は振り返って満面の笑みを浮かべたが、和人と視線が合うことはなかった。

 和人は、おでこを手で押さえてうつむいたままだったから。

 また、委員長に叱られちゃった、はぁ、成長してないなとため息をついていた。

 先生が教室に入ってきた。
「おはよう。今日はバレンタインデーだな。持ち物検査をするぞ。学校に不要なものを持ってきていたら没収するぞ」

 途端に、クラスの女の子たちのブーイングの嵐となった。そんな中で、クラスのおちゃらけ担当の木村太一が叫んだ。
「西条が、文句を言ってるぞ!」
 さっきまで女性の黄色い声が飛び交っていた教室に、男の声が響き渡る。
「誰の告白も瞬殺する西条がチョコを持ってきてるのか?」
「相手は誰なんだよ!」
「俺に決まってるだろ」
「おまえのわけないだろ!」
バン!
 先生が出席簿を机の上に叩きつけた。さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返った。

「わ、私は委員長だから、クラスを代表して抗議しただけ」
 凛がうつむいて震える声でそう言った。

「だよなー!」
太一が叫ぶと先生が「いい加減にしろ」と言った。

「持ち物検査は嘘だ。こんなに大騒ぎになるとは思わなかった。授業を始めるぞ」
 和人は、輪の外でキョロキョロするだけだった。

 放課後になって、和人が一人で掃除をしていると、日誌を職員室に持っていくと言っていた凛が帰ってきた。

「なんで、一人なの? 掃除当番は五人のはずでしょ?」
「みんな、チョコの受け渡しがあるらしくて」

「じゃあ、私も手伝うから、ぱぱっとやっちゃお!」
 和人はうつむいた。
「ごめんね」

「だから、謝らない。ごめんの代わりに、ありがとうって言ってくれたら、相手も嬉しいと思うよ」

「ありがとう」
 凛の頬が赤く染まった。
 掃除を終えて、二人で歩いていると、女の子の声がした。

「あなたが、吉井和人くん?」
 目の前に可愛らしい小学生が立っていた。

 和人は吹き出した。口調が凛と同じでまるで小学生の頃の凛を見ているようで。
「失礼ね。笑うなんて」

 小学生は両方の手を腰に当て仁王立ちをしていた。
「ごめんね。ちょっと仕草や口調が僕の知ってる人にそっくりで」

「あー、ごめんってすぐに謝るの、お姉ちゃんが言ってた通りだ」
 和人は目を丸くした。

「彩香、早く家に帰りなさい」
 凛がその子に言った。

「ベーだ」少女は凛にアカンベーをすると、和人の方を向いた。

「ところで、もう、お姉ちゃんの手作りチョコはもらったの? お姉ちゃんなんて、3回もやり直したんだから」

「こら!」
 凛は、頬を膨らませたが彩香の後ろに立つ女性を見て、息を呑んだ。

「あれ、あなたが吉井くんなの?」
和人は、彩香の後ろに立つ凛に似た美人に目を奪われていた。

「あの、西条さんのお姉さんですか?」

 女性は、ぷっと吹き出すと笑い出した。
「吉井くんってお上手なのね。私は母親ですよ。
凛ちゃんが、お家であなたのことをよく話してるのよ。ほっとけない男の子って。
 でも、違うじゃない。女性の扱いに慣れてるみたいね」

 母親が笑うと、和人は頭を下げた。
「ごめんなさい。お母さんでしたか」

 それを見て彩香が指を刺した。
「あー、また、謝ったー。いつもお姉ちゃんが言ってた通りだ」

「もー、二人とも、あっちへ行って!」
 凛がぷんぷん怒り出す。母親が優しい目をして凛を見つめた。

「いいの? 行っても。カバンの中のチョコ、今年も家に持って帰っちゃうんじゃないの? 去年みたいに。すぐ、カバンから出しなさい」

「いえ、でも、お母さん」

「でもじゃありません。すぐ出しなさい!」

 強い口調に変わった母親の言葉を聞くと、凛はさっとカバンを開け、かわいい袋を取り出した。母親の顔を見る凛に母は言った。

「私じゃないでしょ。吉井くんに」
 凛は和人に袋を差し出した。

「口に合うかどうかわからないけど、あげる」
 真っ赤な顔をする凛の顔をチラリと見た後、母は、和人に言った。

「凛ちゃんが愛情を込めて作った美味しいチョコよ」

 凛は耳まで真っ赤になり「もう、お母さんったら」と言って自分の足元を見た。

 目の前で起きていることが信じられなかった和人はようやく、なんとか笑顔を作った。

「ごめんね、僕なんかのために」

「だから、謝るな」
 凛がうつむいたまま言った。

「ありがとう」
 凛の顔が、ぱあっと明るくなった。
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