第1話

文字数 2,163文字

私は駄目人間なのか?
可能性を秘めた少数派なのか?
はたまた甘えと弱さの少数派駄目人間なのか?

少数派は間違いないです
また駄目人間の方も認めない訳にはいけません

私は最近仕事を辞めました
もはや履歴書に書ききれないほどの転職です
『覚えが悪い、うっかりミスが多い、機転が利かない』ということだけではなく、私の場合はこれに悩みのかけ算が加わります

私は人と根本的な部分が違うようで、『この人はどういう人なのか?』という反応がよくあります


一つは、コミュニケーションの問題があります
コミュニケーションの問題は、一定の人並みのコミュニケーションが苦手という場合がありますが、私の場合はもっと根本的な人のベースになる感覚が違うという問題があるように思います

例えば私は欲や感情を軸にして物事を考えたり行動したりすることが難しいです
欲や感情に乗っかることに抵抗感みたいなものがあり、自分を変えてしまうような気がしてしまいます
特に『お金、食べ物、恋愛、怒り』に関した会話て違和感を与えるようで『喜怒哀楽が少ない人』、『生きてて楽しい?』等と言われることがあります
欲や感情の多い少ないと、思いの多い少ないとは少し違う気はしますが、私が長年、テレビ、スマホ、パソコンとほぼ無縁であることも拍車をかけてると思います

確かに人と人の関係で、何に笑い何に怒るかということは、この社会で重要なことだとは分かっているつもりです


そして長年の積み重ねから、どんどん萎縮が進んでいき自分が出せなくなってきて、自分が無いという現象も起こり、正解や自然体が分かりにくくなり、場合によっては今の自分の気分まで分からなくなっていきました
これでは人、社会から懸念が生じるのも当然です
私が一見社交的に見えることも事態をややこしくしてるように思います

そんな流れもあり、私は人の話や感情を先ず一旦受け入れたりします
時々お金を借りにくる人がいるのもこの辺りからくるのかもしれません


また更に誰もが当たり前にやっている、相手の年齢や経験に合わせて一人一人言葉などを変えるということが苦手です
言葉をタメ口に統一する勇気がないので全部敬語に統一します
その結果、却って後輩や年下の人から『接しにくい』という反応がきます
目上の人に敬意をはらうことは出来ても、年齢や経験を考えに入れながら関係を作っていくということが難しいです

やはりその原因もまた自分の内面に『切り替え』を発動させるのに抵抗を感じているのではないかと思います

そういった切り替えとかスイッチングとか減り張りもまたこの社会で重要なことだと分かっているつもりです


それから、私はいつどんな場所でも視野に入った人の顔をあまり見たりしません
一人で外にいる時だけでなく、職場や知り合いが多い場面でもそうなります
勿論、必要性があれば見ますが、そのタイミングがくるまでそこにいる人が誰?どんな人?等は考えに入れません
特にたまたま一緒に居合わせただけの人がどんな人なのかは関係ないと考えてしまいます

早目に確認して何かに備えたりすることが苦手なのと、人の顔(目)には情報量が多い感じがして、その強い情報でしばらく気を取られることがあるのも理由の一つだと思います

やはりそれも根本的に自分の中よりも外の方に重心を置く感覚に違和感を持つからだと思います

それがあらゆる人から懸念を引き出すことに繋がっていたり、『この人は空気を読んでいない』というようなことにもなり、延いては日本社会で重要な『痛み分け』を理解していない人ということにもなっているのだろうと思います


更に私は外で人とすれ違う時に、人の進行方向へ動いてぶつかりそうになることがよくあります
読めば読むほどそうなったりします
中にはイラッときてる人もいて、謝ることもしばしばあります
かといって早め早めの過剰反応はもっと相手に嫌がられます
それは職場やプライベートな人達との空間でも起こります

ここでもまた正解や自然体を見失っています

それが直接の原因かは分かりませんが、時々街で職務質問にあいます
考え込み過ぎてはいけないとは思いましたが、だんだん外へ出たくなくなっていきました


これらの結果、私の場合この社会で重要なコミュニケーションとか確認とか空気を読むとか痛み分けとかスイッチングとか減り張りなど全て失格になります

事あるごとにそれを人に説明しようとしましたが、どうしても人や社会の根本的なところを否定しているように聞こえてしまい、逆効果でやめました
ただ、説明が出来ないと私の居場所がどこにもなくて辛いです


こんな私ですから子供の頃から芸術とか自己表現に興味を持ちました
しかし才能はありません
社会が『物事を高度にどれくらい上に積み上げていくか』ということに対して、私は『積み上がらないかもしれないけど、初期衝動とか、何となく好き、何となく楽しい、何となくやりたいという気持ちでどこまでも行きたい』という風になります
プロよりアマチュアでいたいというような
でも当然この世界はプロで成り立っています

また個人か集団かの話に似てるのかもしれません

私は社会からの指摘を真摯に受けとめて、いつか自分みたいな者でも『ある種の正しさ』があるということを証明してみたいです

認知される前のマイノリティとして

2023/5/4 amateur gogh
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