本編

文字数 6,450文字

雄叫びをあげてもいいか

目の前の光景に、隆は言葉を失っていた。その光景から、頭の中で次々と連想されてくる恐ろしいアイデアに、自分自身が一番嫌気がさしている。ここは大洗鹿島鉄道、一両だけのワンマン運転で、のどかな田園風景の中を、路線バスよりは広い車内の数十人の人たちを、チープな発車音を時々鳴らして走る。

「明日は柳川駅まで迎に行きますので」
抑揚の乏しい、のんびりとしたその口調が隆は好きだ。その人たちと話をしていると、自分もその口調を真似して話したくなるのだが、いつか小説か何かの中で、土地を移り住んでも郷里の口調を貫くところが好きだ、というような描写を読んで以来、訪問先のことを迎合するが如くその土地の話し方に寄せてしまう衝動を抑えるようになっている。
都会でのサラリーマン生活に嫌気が差し、次に働く当てもなく会社を辞めてしまった。しばらくは貯金を切り崩しながら、するともなしに就職活動をしながらダラダラと過ごしている。就職活動と言っても、もっぱらどこかの会社に就職してこれまでと同じようなサラリーマン生活を送るつもりはない。考えているのは、今盛んに地方自治体が行っている移住と就職をセットにした制度であり、その中でも就農、つまり農家になることを今後の進路の中心に据えている。そして明日、丘咲町役場の農業政策課の担当の方が、農家の人、また実際のこの制度を活用して農家になったという方たちのもとへ案内してくれることになったのだ。

柳川駅に着いた頃には、お決まりの乗り物酔いですっかり心は萎えていた。電話では、到着する電車の時刻を伝えているため、駅に着いてから少しゆっくりするということはできなそうである。いつも必ずと言っていいほど、そして十分すぎるほどの余裕を持って待ち合わせ場所に着く癖のある隆にとっては、場所に着いてからゆっくり自分のペースで時間を取ることができないことが心地のいいことではなく、加えて着いた駅からは役場の社用車で農家を案内して(連れ)回される事になる。来なければよかったと思う気持ちと、せっかくここまで来て案内してくれる段取りまで整えたのだから良い機会にしたいという前向きな想いとがないまぜになって、整理のつかない気持ちが益々隆の気分を悪くした。
現れたのは、メガネをかけた短髪の、いかにも町役場の人という見かけをした、年頃三十になろうかという男だった。名を田部と言った。
「お待たせしてすみません、どうぞ乗って下さい」
そう促されるままに隆は助手席に乗り込んだ。山道を走るのだろう、やはり軽自動車だ。新車の臭いがする、新しい車のようだ。
「ここ停車できないんで、少し移動しますね」
と、駅のロータリーをグルッと手際よく半周と少し回って、車は停車した。その左右の素早い重心移動を体に受けて、隆は早速車を降りたくなった。
「どうぞ、これ役場のパンフレットと新規就農の方向けの案内など入っていますのでよかったら」
すげすげと、役場の名前が表に印刷された大きな封筒に入った書類一式を受け取り、中身を読もうとした。しかし直ぐに車は発進したため、とても走行中の、慣れない車の中で書類を眺めることなどできないため、間もなく封筒に戻した。
「これから農家の方のところに向かいますね。今日は二軒、回る予定です」
天気は曇り。今にも雨が降り出しそうな、曇天だった。
「ここから城里町に入ります」
役場の人間らしく、町のエリアには詳しい様子で説明をしてくれる。
「まだ少し早いので、ちょっと畑を回りますね。13時半に約束をしているので」
時刻は13時5分。早めでもなんでもいいから一刻も早く車を降りたい。いずれ吐いてもおかしくない。
昔から、こういう相手からの主体的な打診、親切の一歩手前とでも言うような申し出に、隆は苦手意識を持っていた。「いえ、あの、車酔いしてしまったので、早めに到着するか、そうでなくても、時間まで車をどこかに停めておいていただけませんか」と一言、その一言が言えなかった。なぜ言えないのか、三十を手前にした今になってもよくわからない。

向こうから、男二人が歩いてきた。一人はカメラを、一人は天然の傘とでも言えるほどの大きさの、隣とトトロにでも出てきそうな葉っぱを片手に持っていた。
「高橋さんも一緒だったのか」
隣で田部が言った。フロントガラス越しにこちらに気づいた二人のうち、背の低いほうが路地の中へと手で入るように案内した。どうやらここが1軒目らしい。
田舎の農家、という言葉からイメージされる住居として、そのイメージを全く裏切らない、古くて汚い木造の家があった。その玄関の前に置かれた、どこでいつこさえたのかわからない古めかしい陶器の感じの椅子と机があり、私と田部、そして背の低いほうの男は腰を下ろした。背の高い方、カメラを持った方の男ははたまたま別件で来ていたらしい。帰っていった。
「こちらが萩野さんです」
田部が言った。
「はじめまして、萩野です」
小柄な、素朴な雰囲気を持った男が言った。Tシャツに短パン。髪は短髪、と言うほど小ざっぱりはしていないが、頭の上で絶妙なバランスでくしゃっとまとまっている短髪である。これまた、田舎の農家、という表現を右肩に乗せているというほどイメージ通りである。
萩野が隆に聞いた。
「今日はどこからいらしたんですか」
「古谷さんは、東京の代々木からいらっしゃいました。農業に興味を持っていて、今日は実際に応援隊の制度を活用して農家としてやっていらっしゃる萩野さんにお話を聞きにきました」
と、田部は丁寧に説明し、間を取り持ってくれる。
「それは遠いところから。こんな格好ですみません」
それから萩野は、一通り、どういう経緯で農家になったのか説明してくれた。出身はかなやまべ市で、地元の会社に就職したこと、時々東京通いの時期もあり、そのときは都会より田舎のほうが自分に合っていると感じたこと、自分の進路を考えた時に考えの軸としていたキーワードは「自由にいられること」であったこと、など。
説明中、これまた田舎の農家にぴったりの、小汚い毛の薄い犬が、3人の足元でうずくまったりうろちょろしたりしていた。
「雑種ですか」
隆は聞いた。
「どうやらチワワらしいんですけどね」
萩野が答える。東京で見るチワワと、茨城の中山間部で見るチワワは、全く違うものだった。
三人で話を始める前に萩野が持ってきてくれた蚊取り線香は、機能しているとは思えなかった。田舎にはこんなにも蚊がいるのかと、最初は不快感とともに驚いたが、茨城の抑揚のない、語尾が少しずつ上がっていくような調子で話をする田部と萩野と一緒にいると、蚊にイライラするようなことが馬鹿馬鹿しいようなそんな気にさせられた。また、都会暮らしが嫌になっていた隆にとっては、その蚊ですら受け入れるべき大切な刺激と思えた。
「それで、古谷さんは、農家になることを決めて今日来られたのですか、それとも、いろいろある選択肢の中の一つとして、農家に興味を持っているという感じですか」
萩野が聞く。
「農家になるというのは、色々ある考えの中の一つの選択肢です。簡単に言うと、都会疲れ、です。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、今の世の中の方向性というか、資本主義のあり方みたいなものに、これまでの4年、5年半くらいの社会人生活の中で、いろいろと考えを巡らせた結果ですけどね、疑念というか、違和感を覚えるようになって。成長とか、GDPを増やすとか
それに何の意味があるんだろうっていう風に思って」
「色々悩んでいたんですね。GDPの意味について考えるまでなっていたんですね」

「自然と一緒にありたい、という感じです。また、地域おこし、というのもすごい興味があって」
「萩野さんは、そういうところにも積極的に取り組んでいます。農業をやりながら、さっきいらした高橋さんは、応援隊の農業部門ではなくて、地域おこし部門での採用ですので、高橋さんはそれを仕事としてやっていますけど、萩野さんの場合は農業をやる傍ら、やりたいと思う取り組みに自主的に取り組んでいらっしゃるので、その辺りは農業部門でやってみたほうが、むしろ地域おこしの取り組みにも関わっていきやすいという部分があるかもしれないですね」
「ノウコン、っていうのやりましたね。農業の婚活パーティーみたいなものです。若い人たちが段々この地域にも集まりだしているんですよね。この町はないないなんです。鉄道がない、大学がない、高校もない。でも、人がいるんですよね。そういう面白い人、若い人たちがだんだんと集まってきている、それが今の城里ですね」

「畑を見せてもらってもいいですか」
田部の一言で、三人は裏の畑へと向かった。
「背の高い人は、蜘蛛の巣に引っかかるかもしれないので」
蜘蛛の巣に引っかかったすぐ後に、萩野の忠告とも言えない発言が聞こえてきた。髪の毛が、蜘蛛の巣に引っかかっているという感覚を伝えてくるのは、人間の感覚機能のすごさを物語っている気がする。毛糸でも雑草でもない、蜘蛛の巣の粘つくようなあの不快感を、髪の毛の何が感じ取っているのだろうか。
「これは、アスパラの畑です。今は収穫期ではないので、少し枯れていますが」
ハウスの中でボウボウと育つアスパラ畑の列の間を、搔きわけるでもなくトコトコと歩く。前を歩く萩野は頭から肩からアスパラの草を被っている。
「ここに一つ、生えてますね」
うす緑色のアスパラがスッと一本、生えていた。
「よかったら食べてみますか。千切っていいですよ」
「どうやって、ここ根元で千切っていいんですか」
「どうぞ、ひねれば切れると思います」
言われた通り、根元を握って、捻りながら上に引っ張る。うまくできた、という感覚があるものではなく、植物の茎を力で千切ったという感覚だった。
「土を払って、そのまま生でどうぞ」
今の今まで土から生えていた野生の(農家の畑にはえているのは野生ではないか)植物を、水で洗うことなく齧ることに抵抗はあったが、言われるままに、目立つ茶色の部分を払って落とし、齧る。味わう。
「うまい」
生で食べる野菜がこんなにも美味しいのかと、感動する。これこそ、この感覚こそ都会ですり減った心身を自然に還す感覚だと、アスパラを見つめる。

アスパラのハウスを抜けた先には、大きな茎がパイナップルの頭のように、土から勢いよく空中へ生えている。あれは何だと聞くと、何でしょうと萩野がクイズを出す。長芋かと田部が言うと、惜しい、冬の芋だとヒントを加える萩野。里芋、と隆が言うと、正解、と萩野が言った。
「食べてみますか」と次のきゅうり畑できゅうりをもぎって渡された。
「きゅうりは棘が生えているんですよ。新鮮なきゅうりは棘が生えているけど、出荷の道中で棘が取れて丸くなるんです。農家の中には、「ワンタッチきゅうり」と言って、出荷されて陳列されるまで一回しか触っていないということを売りにしているものもあります」
棘がついたきゅうりをかじったのは初めてだった。みずみずしくて、美味しかった。
さっきのアスパラは、途中で残すのが憚られて最後まで食べた。きゅうりも同じように、最後まで食べあげる勢いで齧っていると、
「食べ残しはその辺に捨てていいですよ、土に還りますから」
と言われた。
流石に大きなきゅうりで、少しだけ残して目の前に放った。ついてきていた、というより萩野が抱えてきていたチワワがすかさず噛り付いてきた。
「犬も、野菜を何でも食べるんですよ。子供の野菜嫌いというのは、あれはたぶんおいしくない野菜を食べさせられているからだと思います。畑で採れたての野菜を齧ると、美味しそうに食べるんです。スーパーに並ぶ野菜はきっと、あんまり美味しくないんだと思いますよ。子供はその辺敏感なんでしょうね」
肘を曲げていたら、優しく萩野に蚊を払われた。腕に蚊がとまっていたことに、萩野に払われて気がついた。
レンコン畑に到着して、さっきの傘のような大きな葉っぱがレンコンの葉っぱだということがわかった。
「この辺の土は湿気っていて、それがレンコンには向いているんですよね。ぐんぐん育って」
上からレンコン畑を覗くと、黒い土が葉っぱの間から覗いた。沼のようだ。ここに入って、体を沈めて、土を除けながらレンコンを収穫する。その様子を想像すると、やっていられないな、と感じた。汚れるのがそもそも嫌だな、と思い出すように感じた。実際に現場を目の当たりすると、追体験と言えようか、身体感覚を持って農作業を思い浮かべることができる。肉体労働であり、自然を相手にした営みは、都会の暮らししかしたことのない人間には、とても心地の良いものではない。
結局のところ、人間は慣れる。慣れるはずだが、慣れるまでが大変。慣れるというのは、一種の諦めである。諦めであり、開き直りである。そうでもしない限り、体がもたない。心もきつい。慣れることで、環境に適応し、できる限り平穏に日々を送るための、人間の生存本能である。繰り返すが、慣れるまでが大変。慣れるまでのことを考えると、足がすくむ。

茨城の中山間部手前まで来たのだから、そのまま帰ることが憚られた。明日もあさっても、特に予定もない。その日は木戸に泊まることにした。
萩野に木戸まで車で送ってもらった。その道中も、本当に吐く寸前まで車酔いしていた。この頃は、車酔いというより、常に何か体の三半規管がおかしくなっていて、その脆い状態で車という乗り物に乗れば意図も簡単に体が不調を訴えてきた。立てども座れども落ち着かず、横になるのが一番楽だった。
吐き気と戦いながら、隆は萩野に聞いた。
「米は、儲からないんですか」
「米は、儲かりません。いろいろな自治体が、茨城中で新規就農を応援する体制を整えて取り組んでいますが、米農家になることを勧める人は誰もいません。米は、楽なんですよね。野菜に比べて。米は、一反歩当たり、売り上げが十万円です。農協の試算で、それにかかる経費は九万一千円。これは人件費を除いた金額です。経費も、実際はもう少しかかるはずです。お米で稼ごうと思ったら、土地を広く持つ必要があります。三十ヘクタールとか。でも、新規就農者でその規模の土地を任されることはまずありません。代々米農家でやっているところで、せいぜい二十ヘクタールとかです。日本って、毎年お米って余っているんですよ」

今 日本中で余っている農作物を、今から作るための修行をする必要が果たしてあるのだろうか。やったこともない、縁もゆかりのない土地で、誰に教わるかもわからない。加えて、休みはない、儲からない、天気に左右される、きつい職業だと、脅かされる。でも、やってやれないものではないと言う。食うものを自分の手で作ることに憧れる一方で、その現実は厳しい。ただの自己満足、いや、自己の満足すら得られない、何のための覚悟なのか。
余る米を作っているのは、高齢者なのか。そうだとすれば、何年か何十年かすれば、作り手が減るのではないだろうか。外国からの食料の輸入は、これからも永続的に続くのだろうか。 日本は、外国から食べ物を買うことができる程の資金力があるのだろうか。日本に食べ物を売りたいと思う外国人がどれほどいるのだろうか。世界では、飢餓に苦しむ国や地域があると聞いている。この土地が狭い日本で米が余ることと、グローバル化したはずの現代におけるこの飢餓との間のつながりを、どう説明したらいいのだろうか。
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